第14話 存在証明の覚醒

 二階の部屋から放り出されたルクスは近くの木に激突し枝をクッション代わりにしながらルクスは地上に落下する。


 「――かはっ」


 背中から落ちたルクスは肺から息を吐き出しながらも状況が状況なので悠長にしている暇もないまま、ルクスは這うように地面を転がればほぼ条件反射的に体を捻って追撃を辛うじて回避した。

 自分が寝転がっていた場所に出来上がったどこかで見たような爪の痕に舌打ちをすれば、体を起こすルクスの数メートル先についこの間も見たような大きな影が降り立った。


 「トゥリア……いや、色が違う」


 ウェアウルフ化したトゥリアの毛の色は、夜よりもさらに深い黒色をしていた。漆黒と呼んでも過言ではないほどに。だが、目の前のウェアウルフは黒よりも明るく、どちらかと言えば青、いいや、それよりも深い青の藍色だと思えた。


 『ほう、この夜の闇の中で私の毛色が分かりますか。ウェアウルフの体質が体に馴染んで来たようですね』


 「その声……アイン!?」


 一応は驚いて見せたルクスだったが、少し考えればアインがウェアウルフで追ってくることぐらい簡単に想像することができた。

 ただ同時に、トゥリアが指示を出したにしては珍しいことのように思えた。アインによるやや暴走気味なこの行動は、トゥリアなりの誇りを感じさせる別れに泥を塗るような行為にも感じられたのだ。


 『お元気そうで何よりです、ルクス。私の目的はご理解いただけますね』


 「俺達を捕まえに来たのか……。いや、それとも――」


 次のルクスの発言を待つ前に、アインが煌く瞳と共に突進してくる。


 「くっ――」


 辛うじて横転したルクスだったが、すぐ隣で足を止めたアインは掬い上げるようにして広げた右手の爪をルクスに伸ばした。


 『さあ、ルクス。手を抜いていては、私を止められませんよ』


 悠々と語るアインの声とは裏腹に、鋭く尖った五本の爪はルクスの脇腹を浅く切り裂いた。

 歯を食いしばるルクスは、追撃から逃れるように息を乱しつつも体を放り投げるようにして後退した。


 『私はウェアウルフです。人間の身の上では、不自由でしょう。力を解放しないと、貴方の守ろうとしている人は守れませんよ』


 一度手を止めたアインの視線の先を辿ったルクス。その先には、騒ぎを耳にしたカリスが店の中から飛び出して来たところだった。すぐ後ろから、ミリアも飛び出して来れば二人して心配そうにこちらを窺っている。


 「やめろ、カリスに危害を加えるなっ」


 『勘違いはしないでください、カリスだけに手を加えるつもりはありません。――逃亡者を助けようとしたミリアも同罪です』


 冷淡に言い放つアインの声は、どこまでも事務的で数年間寝食を共にした人物と同じには到底思えなかった。


 「――ルクス!」


 駆けつけようとするカリス。


 「来るな、カリス!」


 叱責するように叫べば、ミリアは走り出そうとするカリスの体を拘束するように後ろから抱きしめた。戦士であるカリスなら簡単にミリアの手から逃げ出すことも可能なのだろうが、ルクスの剣幕を見たからかあえて動くような真似はせずに体を強張らせていた。

 改めてルクスは、鋭い眼光で見下ろすアインを見据えた。


 「……本気なんだな、アイン。お前は俺やカリスだけでなく、ミリアも手に掛けるつもりなのか。ここには、トゥリアの守りたいものがあるんじゃないのかよ!?」


 『なるほど、トゥリア様のことを聞いたのですか。なら、なおさらですよ。……冥途の土産に教えてあげましょう、私はトゥリアの……兄です』


 「……そんなことだろうと思ったよ。恋人でもないし、友人でもない、でも単なる使用人でもない。……兄と妹と言われれば納得だ」


 『理解が早くて助かります。長い昔話は不要です。今の私は、一人の妹を持つ兄として貴方に告げましょう。ある少年と少女を逃がせば、大切な家族に危機が及ぶかもしれない、そうなった時……私は迷わず極端な道を選びます。血にまみれても、例えトゥリア様や村人達に非道だと蔑まれようとも。――全てを犠牲にしても、私はトゥリアを守らなければいけないのですよ』


 ルクスは打ちのめされた気分になった。

 トゥリアに見逃され、ミリアに助けられ、カリスとの未来にもようやく光明が見えて来たことで、日和見気分で居たのかもしれない。実際は違うのだ、どこにも逃げ場はない、安全なこの空間から逃げるということは、常に危険と隣り合わせになるということなのだ。そして、アインも今までと変わらずに大切なものの為にやるべきことをやるだけだった。


 「アイン……俺は、今日アンタを超える」


 圧倒的で絶対的な強者としてルクスの中で、アインは君臨していた。気持ちを奮い立たせる為だけの宣言を口にしたルクスは、内に眠る力を呼び覚ます。


 「アアア……アアアアアアアァァァァ――」


 喉を震わせる声はいつしか、一匹の獣の雄たけびに変化する。

 筋肉は盛り上がり、まだまだ幼い少年の肌は黒々とした体毛に覆われていくと、皮膚を体毛が全て覆ってしまう頃には二足歩行で立つ筋肉質の狼がそこに立っていた。その姿は、まさしく半分人間であり半分狼でもあった。


 『来なさい、ルクス』


 挑発するように右手の四本の指の関節をルクスに向かってアインが動かしたのが、開戦の合図となった。


 『アインッ――!!!』



                              ※



 闇の中で二匹の狼が交錯すれば、武器とした爪と爪が衝突し合い、火花が躍るように散る。

 端から見ていた素人のミリアからしてみれば、ほぼ同等の戦いに感じられたかもしれない。しかし、カリスはルクスが追い詰められていることに気づいていた。

 トゥリアと戦った時よりもルクスの戦い方には慣れを感じられたが、ウェアウルフとしての戦闘経験の差が二人の格の違いが歴然としていた。なおかつ、アイン自身が戦いの達人というところが、ウェアウルフ化したアインの戦闘能力を底上げしていた。


 そして、もう何度目かの鋼のように固くしたアインの拳がルクスの顔面を強打した。


 『ガッ――!』


 休む暇なくアインは、再び握りしめた拳を槍のように放つ。

 消えかけた意識を再び戻し、頭を下げて回避したルクスは頼りない力を足元に集中させて後方へ飛んだ。


 『仕切り直しですか』


 そう口にするアインだが、仕切り直しなんてものじゃないことはルクスは気づいていた。自分の行為は、ただ逃げただけに過ぎない。

 既にほんの数秒休んだだけでは、ルクスの荒い呼吸は落ち着くことはなかった。トゥリアと戦っていた時よりも、まだ戦いの語りにはなっているものの、さすが長年ルクス自身を鍛えてくれただけあって雲のような存在であることは変わらないようだ。

 喋るのも精一杯のルクスに気づいたのか、『しかし』と言葉を紡いだ。


 『――このまま長引くのも厄介。可能なら、トゥリア様がお目覚めになる前に戻る予定でしたので……。では、少し急ぎましょう』


 おもむろに右手を地面に置いたアインは何か念じるように瞼を下ろした。変化は、その直後に起きる。


 『第二獣化だいにじゅうか。――静謐せいひつなる騎士の刃ソドス』


 全身を覆うアインの一本一本の体毛が逆立ち始めたかと思えば、毛先から電流を放出するように魔素が空気中に弾け発光した。

 アインは意味のない行為を嫌う。何かをしたらしいということしか分からなかったが、突然とルクスの肩に焼けるような痛みが走った。


 『なっ――んでー―!』


 左肩か噴出する血液に苦悶の表情を浮かべるルクス。傷みに苦しむよりも先に、津波のような混乱がルクスの思考を支配した。

 疑惑の眼差しをアインに向けるが、そこから一歩も動いたような形跡はない。それどころか、ただただアインは右手を地面に置いているだけだ。


 『驚きましたか、ルクス。これが、次の段階へ進んだウェアウルフの力です。進化とも呼べるでしょう。……第二獣化を発動したウェアウルフは、人間態のままでは使用できない魔術を使うことができます。ただし、使えるのは生まれ持った性質による固有の魔術のみ』


 解説し目を細めたアインの瞳の色は確かに赤く染まっていた。体内で魔素を循環した証明である。


 『ご丁寧にどうも……。悪いが、ウェアウルフ初心者の俺にはそんなのできるかよ……』


 『できないなら、死ぬだけですよ』


 次は背中の皮を剥ぎ取るような傷みがルクスを襲う。


 『誰も助けられぬまま、誰も守れぬまま、何も残せないまま、ただただ死ぬしかない。今のルクスの発言は、そういう意味です』


 片膝をついたルクスに容赦なく、視認できない刃が襲い掛かる。


 『生きることを放棄し、最後まで抗うことを止めた時点で命は終わったようなものです。まだ無様でも醜態を晒しても生きようとするのなら、その命には意味があり輝くこともある。しかし、唯一残された権利を放棄してしまえばその姿はただの無様であり醜悪だ』


 腕や足や胸や腰や、肉体を削るようにアインの魔術による見えない刃がルクスの体を掠め取る。

 ルクスの意識が遠くに離れ始めた頃、『ルクス、最後の授業です』というアインの一言に霧散しかけた意識が再び人格を取り戻す。


 『アイン……まさか……――ぐぅ!?』


 『喋る余裕はあるんですね、口を動かすなら……心を肉体を思考を動かしなさい。口は最後でいいのです』


 ルクスの口の辺りから目の間をアインの刃が駆け抜けた。傷つきながらも、ルクスは気持ちが揺れていた。


 (アインは、『最後の授業』と言った。致命傷を外し続けていること、それから煽るような口調、標的を前に自分の詳細を明かすなんて真似アインはするはずがない。……つまり、アインは全力で『最後の授業』をするつもりなんだ)


 この疑問を問いかければ、アインはきっと否定する。もしかしたら、違うかもしれないという気持ちもルクスにはあったが、どちらにしてもアインが全力で自分に挑んできているのは覆しようがない真実であった。


 『アイン、俺は生きるぞ! 生きて、カリスを守り抜く!』


 精神力だけで足に力を込めたルクスは、生き抗う為に地面を転がった。目には見えなかったが、何か鋭い風のようなものが背後で通り過ぎたような気がした。


 『私の刃は闇から闇へと蠢く不可視の剣。この夜の闇全てが、私の剣になるのですよ』


 案の定、アインはルクスに解答をよこした。発言通り、アインの攻撃に法則が無いわけではないのだ。その法則は恐らく闇の中でのみ攻撃できるということなのだろう。だが、今は完全に夜更け。朝までは遠く、夜の闇に満ちている。どう足掻こうとも、朝まで時間を稼ぐなどの安易な方法で足を掬うような真似はできないのだ。

 なおもルクスは思考し、肉体を行使する。

 先程の攻撃を回避できた、なおかつ、アインはじっとこちらに意識を集中している素振りだ。ざっと考えても、アインは狙いを定めてこちらを攻撃しているのだと推測できる。つまり、回避できない攻撃ではない。狙いを定めた場所にしか透明の刃を使えないというのなら、思考の外から視界の外側へ逃亡を続けるという選択肢が生まれる。

 ただ走ることだけに意識を傾けたルクスは疾走を重ねる。アインの刃が何度も空間を削ぐように向かってくるが、掠りはしているが確実に避けれていると呼べた。


 『アイン! うおおおぉぉぉ――!』


 半円状に大きくアインへと回り込んだルクスは地面を蹴れば高くジャンプした。そのまま、握りしめた右拳に落下の速度を上乗せして降下すれば拳をアインに叩き込んだ。


 『――ルクス、十点です』


 囁くようなアインの一言を耳にする頃、ルクスは無数の不可視の刃によって切り刻まれて宙を舞っていた。今まで避けることのできていた分、全てを帳消しにするほどの痛みの中でルクスは受け身も取れないまま地面に叩きつけられた。

 虚ろな目で視線だけこちらに向けるルクスに、毛を逆立て赤い瞳を光らせたままのアインは歩み寄った。


 『第二獣化を会得しているウェアウルフの多くは自分の弱点を理解しています。視界から離脱し、その隙に攻撃をするという方法は悪くはなかったのですが、既に克服済みのウェアウルフが大多数でしょう。さて……まだ生きていますか、まだ運命に抗う覚悟はありますか』


 投げかけられたアインの問いにルクスは、右手を地面に付けて震える手足で立ち上がろうとする行動で意思表示をする。


 『結構。生きているなら、命がある限り向かって来なさい。ただし、普通のウェアウルフ程度で挑むつもりなら、そのまま横になっていなさい。私に、勝つ気でいるなら単なる人外から逸脱するのです』


 肉体が何度限界を迎えようとも、心が折れそうになっても、今のルクスには死ぬことと生きていることの境界が曖昧になっていた頃とは違う。

 トゥリアが居た、アインが居てくれた、何より――カリスが居る。

 亡霊のままの自分なら、きっとカリスは守れない。

 人間のままの自分なら、きっとカリスは救えない。

 弱いままの自分なら、カリスは死んでしまう。

 自由を求めない自分なら、カリスと生きることはできない。


 『俺は、生きる。生きるんだ、生きて、生きて、生き抜く』


 もうルクスから迷いが消えた。

 例え、これがアインの仕組んだ授業だとしても、全力で目の前の障害を排除する。アイン程度を超えられないなら、生きられない。生きていけないのだ。


 心の求めるままに、ルクスは力を叫ぶ。

 ラックアウトを使用していた時とは違い、ウェアウルフの姿で強引に魔素を使おうと思えば体内の血液が沸騰するような苦痛に襲われた。

 いいや、そんなものはまだ軽い。

 いつしか体内の血液が体の穴という穴から外へと逃げ出そうとする。血液の一滴一滴がまるで生命を与えられたミミズのような気色の悪さに吐き気がやってくる。

 こんなもの、乗り越えてみせる。


 その時、ルクスの視界が急に太陽の光を受けたように明るくなった。




          ※



 そこは檻の中だった。

 暗くじめじめと、妙な異臭が永遠と嗅覚を支配する。


 少女がやってきた。

 黒いドレスは、まるで蝶の羽のようで美しかった。


 ――さあ、行こうか。


 少女が檻の隙間から手を伸ばした。

 怖くはない、むしろ、胸の高鳴りが大きくなっていく。


 ただし、もう檻から伸ばされた手を待つつもりはない。

 君はそこにいて、微笑んでいてくれ。と願った。


 檻の中に、君の手の平に、優しい温もりに、もう、居場所はない。


 ――ただ、目の前の檻を壊すだけだ。そう、檻の内側から壊す力を――。




          ※



 ルクスの意識が現実に覚醒する。そして、体内から放出した魔素が地上を引き裂き、夜空を一瞬にして照らし、瞬く間にアインの不可視の刃を消滅させた。

 落雷でも落とされたような魔素の奔流の中心に立つルクスを見たアインは、力の制御にルクスが失敗したのだと考えていた。


 ――だが、しかし。

 ルクスは燃え盛るような雷の中で、堂々と立っていた。魔素と反応したことで、炎は蒼炎となりルクスを包もうとしたが、それを片腕で払いのける。


 『ルクス……なんだ、その姿は……』


 驚愕に唸ったのはアインだった。

 当然だ、ルクスはウェアウルフの姿ではなくなっていた。


 ――狼を模した面を装着したルクスがそこには居た。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る