第11話 闇に吠える

 突然現れたルクスに、最初は動揺していたトゥリアだったが、次第に落ち着きを取り戻したようで、珍しく額に汗を掻きながら発言した。


 「……小僧はもう寝る時間だろ。アインは、どうした?」


 「アインなら、今頃は屋敷の外れの火消しで忙しくしているだろうよ」


 「……どうやら、他のネズミも紛れ込む準備をしていたようだな。まあそれをまんまと利用する小僧の悪知恵を褒めるべきか咎めるべきか……」


 カリスはトゥリアの力量を見抜いていた。ルクスの協力があったとしても、トゥリアにしてみれば赤子の手をひねるようなものなのだ。何せ、今のトゥリアは実力を全く発揮していないのだから。


 「それよりも、この状況を説明しろ!? 何で、トゥリアがカリスを殺そうとしているんだ! 教えろよ!」


 激昂するルクスの胸にトゥリアが触れれば、張りぼてでも押すような軽さでルクスの体はふわりと浮き上がった。


 「ぐっ――!」


 「ルクス!?」


 浮かび上がったルクスは、そのまま大した力を入れた様子もないトゥリアによって突き飛ばされるとカリスが激突した壁と同じ場所に叩きつけられた。


 「事実だけを教えてやろう、そこの女……カリスは私を殺そうとした」


 堂々とトゥリアはカリスを指差した。事実を突きつけられたことで、カリスは辛そうに目を逸らした。しかし、ルクスの反応は罵声を浴びせるでも否定することもなく、無念そうに拳を強く握りしめているだけだった。


 「……何となく、そうじゃないかとは考えていたよ」


 「どういうことだ、ルクス」


 「余計な混乱を起こしたくなくて言ってなかったけどカリスを拾った時、この子が来ていた鎧をその場に捨ててきたんだ。後で気になって鎧を探しに行ったら、既に鎧は無くなっていた。……何となく不気味に思ってさ、また改めて詳しく見に行ったんだ。そしたら、他に人が通った形跡があった。……隠蔽てやつだな」


 ルクスの言葉を聞き、カリスは酷く狼狽していた。


 「ま、待って、ルクス……私は、そんなことした覚えはない。信じられないかもしれないけど、記憶喪失だって本当だった!」


 ルクスは首を横にゆっくりと振った。


 「……分かっているよ、カリス。魔術のことは齧った程度の俺だけど、あの鎧に魔術の残滓ぐらいは感じられたんだ。この屋敷の周辺には、トゥリアが施した人払いの特殊な結界が張られているから、そう簡単には誰も行き来できない。おそらく、カリスの鎧に何らかの魔術が使われたことで、それが結界に干渉して一時的に抜け穴を作った。もちろん、カリスの仲間達はそのまま暗殺に向かっても良かったんだろうが、下手に動いてトゥリアやアインに動きを感知させるわけにはいかなかったんだろうな。いずれにしても、カリスには魔術を使って屋敷に侵入しなければいけない理由があった。それだけじゃない、記憶を失っていたカリスに剣術を教えた時に、剣を握った身のこなしは戦いが体に身についている者の動きだった。……ずっと心の中で否定していたけど、部屋から出ていくカリスを見つけて確信に変わった」


 「毎日、隠れて見ていたの……」


 「違うよ、俺の魔術と君に使われていた記憶喪失の魔術が干渉した時に、もしも俺の嫌な推理が当たっていたら、動き出すのは今夜しかないと思ったんだ。けど、今夜動き出さないなら、君の疑いは晴れる……そうとすらも願っていた。でも、結果は君の仲間達が動き出す合図となり、君はトゥリアの部屋にやってきた」


 あえて見逃されていた事実を聞かされたカリスは、薄く失望の混ざるルクスの瞳から逃げるように顔を逸らした。そして、カリスは痛む首に手を当てながら立ち上がる。今度こそ、心残りは消えていた。


 「ごめんね、ルクス。そう、私は、送り込まれた暗殺者だよ。概ねルクスの言う通り、魔素の濃度が薄くなる川の流れに乗って潜入しようとした。どうして、記憶喪失になってしまったのかは分からないけど……」


 黙って二人のやりとりを聞いていたトゥリアが口を挟む。


 「……ルクスの推察通り、私の結界とお前の鎧が拒絶反応を起こしたのだろう。記憶が復活するきっかけになった狩りでの出来事も、それと同じでルクスの魔術と反発し合ったんだろうな」


 トゥリアの使った結界のように内に守るはずの力がカリスという異物を妨害しきれずに暴走し記憶を奪う方向へ向かってしまった結果が記憶喪失だとしたら、対象を壊す方向へと働こうとしていたルクスの力と反発し結果的に内側に留めようとしていた守りの力が破壊されて、記憶が戻ったということなのだろう。

 あれだけカリスの記憶が蘇ることを望んでいたルクスだったが、今は複雑な気持ちで聞いていた。だが、ルクスにはもう一つはっきりさせておかなければいけないことがあった。


 「頼むよ、二人とも。俺に教えてくれないか? どうして、カリスはトゥリアを殺す!? どうして、トゥリアはカリスを殺さなければいけないんだ!? 俺には全然分からないよ、教えてくれ!」


 月夜が部屋を照らせば、辺りを重苦しい空気が包み込んだ。

 喧嘩した時は、いつも息が詰まりそうな屋敷は空気だった。でも、そんなのとはわけが違う。次のトゥリアの口から出る言葉が、今までのルクスの人生すら変えることは容易に想像できた。それでも、ルクスは願った。次に出てくる言葉が何かの間違いであってほしい、完全にカリスの誤解であってほしいと。


 「――語るより、実際に目にした方が早いだろう」


 何を、とルクスが問いかける前に――トゥリアの変貌が始まった。

 まずはトゥリアの髪が命を与えられたように波打ち始めれば、その髪はさらに伸びて長くなる。そして、長い髪がベール状にトゥリアの全身を包み込んだ。ここまではまだ、ルクスは美しいとすら思えた。場違いにも長い髪のカーテンの先には、この世のものとは思えない程の美女が居るのではないかという夢想にも浸ってしまった。

 呆然と眺めていく内に、トゥリアの全身は四倍にも五倍にもなり、部屋の天井にぶつかりそうにもなった。間を置かずして、黒髪のカーテンは左右に勢いよく分かれた。


 「え……。なんだその姿は……」


 やや前方に傾いた姿勢の二足歩行で立つ――大きな狼がそこにはいた。

 鋭い牙と成長した長い顎、びっしりと生えた体毛の外側に伸びた長髪が一本一本生きているかのように、ぐるりと頭を中心に回転すれば、狼の背中にぴたりと張りつき肉体に取り込まれた。

 開いた口が塞がらないルクスは、狼の一部を見てようやく思考が動き出す。


 「トゥ、トゥリア……」


 狼は何か薄い布を着ていたが、それはトゥリアの下着だと理解した。あまりにサイズと違うので、偶然布切れが体にくっついているだけのようにも見えるが、紛れもなく狼はその服を着ていたのだ。

 むしろ、答えはそうそうない。状況から見ても、最初から一つだ。


 『そう、私よ。ルクス』


 狼の瞳は、よく知っている紫の瞳で、狼の声は、よく知っているあの子の声だった。

 状況に思考が追いつかないルクスに説明するように、背後でカリスは立ち上がりつつ喋り出す。


 「狼人ウェアウルフて聞いたことない? 人でありながら、狼の力を併せ持つ狼人おおかみびとへの変身能力を持つ種族よ。……そして、そのウェアウルフの王族の直属の姫様が……トゥリアよ」


 トゥリアがウェアウルフになったことで、焦っているのかカリスは早口で説明する。そんなカリスに対して、トゥリアは牙を剥いて笑う。


 『よく調べてきておるな、シルバハルトの小娘。ルクス、説明ついでに教えてやろう。……ここにいるカリスは銀器狩人シルバハルトと言って、私達ウェアウルフの天敵。古来より、ウェアウルフを世を混乱させる異端者と決めつけて執拗に狙っている組織だ。……つまり、私とカリスは最初から敵同士だったのさ』


 再び訪れる沈黙。ルクスは自分がちょうど二人に挟まれていることに気づく。これで終わりではないのだろう、ウェアウルフとなったトゥリアの瞳は相変わらず母性を感じさせ、カリスの眼差しには愛情が感じられた。

 静寂の中で、ルクスは自分が重要な岐路に立っていることを自覚していた。彼女たちは、無言で居ながらもルクスに問いかけている。


 選べ、選択して、と。


 「お、俺は……」


 『――答えは決まっているだろ、ルクス。そこで沈黙しておけば、すぐに終わる。全て私に任せておくんだ』


 機敏な動作で黒い影がルクスの頭上を通り過ぎた。そして、影はカリスの胸に触れればそのまま床に押し倒した。

 鋭い剣先のようなトゥリアの長い爪がカリスの頬に触れれば血が流れ、丸太のように変貌したトゥリアの腕はそのまま力を入れてしまえば簡単にカリスを押しつぶしてしまうことだろう。

 カリスはじっとしていた。ルクスを求めるでもなく、ただ大きな流れに身を委ねるようにしてぎゅっと目を閉じた。


 「――カリスを見逃してくれ」


 トゥリアの腕の力が緩んだことで、ルクスの発言によって少なからずトゥリアが動揺していることをカリスは知った。同時に、驚いたのはトゥリアだけなくカリスも同じで、逃げ出すチャンスを見逃してしまう程に意識が停止してしまっていた。

 何故なのか、というトゥリアの視線。

 自分という外敵を無視してしまえば済む話だ、というカリスの疑問の眼差し。

 その両方を否定するように、ルクスは苦悶の表情で首を横に振った。


 「トゥリアには感謝している、心の底から感謝している! トゥリアもアインも、俺の大切な家族なのは確かなんだよ! ……でも今の俺は、カリスと一緒にいたい! 俺の苦しみに共感してくれたカリスは嘘かもしれない、それでも、あの時間全てが嘘だなんて思えないんだ! 俺は俺の気持ちに正直に生きたい……だから、その手をカリスから離せ」


 トゥリアが初めて聞く低く唸る、それこそ、敵意を向ける狼のような声だった。


 『お前に選択肢はない、よそ者を連れて来ればどうなるかという結果をよく見ておけ』


 再び感情を凍り付かせたトゥリアが、冷水を浴びせるような口走る。

 冷徹なトゥリアの発言こそが大人であり、殺すなと叫ぶ発言こそが子供のようだとルクスも分かっていた。それでも、命を奪うことを許容するトゥリアの姿を見たくはなかったし、初めてありのままの気持ちで好きだと思えた人を失いたくなかった。

 何をごちゃごちゃと考えているんだとルクスは、心のままに叫んだ。


 「カリスは、よそ者じゃない! 俺はカリスのことが、大好きなんだ! 俺は全てを奪われてもいい、カリスに生きていてほしい! カリスに出会えて、もっとこの世界が好きになれた。……俺から世界カリスを奪わないでくれ」


 完全な拒絶をルクスは口にする。ここでカリスを手に掛けても、見逃してもルクスはもう戻っては来ない。トゥリアは、すぐにそう察した。

 瞼を閉じたトゥリアは、ルクスの言葉を何度も頭の中で反復し、長い思い出から覚めるようにして毛むくじゃらの影の中から瞳を開いた。


 『ルクス、私はお前の成長が心の底から嬉しいよ。愛を知らなかった、夢を語らなかった、未来を信じなかった。……生きる意味すら理解できなかった。そんなお前が、今は生きたいと生きてほしいと叫んでいる。どうしようもなく、この事実がたまらない』


 目に涙を滲ませつつトゥリアは語る。きっと、トゥリアの心の中には様々な思い出が渦巻いているのだろう。

 光明が見えた気がしたルクスは、今ならトゥリアに思いが通じることを信じてそっと歩み寄ろうとした。


 『――ならばこそ、カリスは消す。それだけの立派な心は、ここで失うことは許さない。その感情は、私の側で使え』


 「なっ……!? どういうことだよ、俺のことを認めてくれたんじゃないのか!?」


 『認めたからこそ、お前はここに居させなければならない』


 「トゥリア……カリスを殺すなら、俺はここから出ていくぞ」


 『構わん、力尽くでお前を捕まえ、カリスの記憶だけを完全に奪い取る』


 トゥリア! とルクスが叫んでも、既にその瞳はルクスの方を見ることはなく、ただの排除すべき対象となったカリスを見下ろした。

 どれだけ泣き叫んでも、縋りついても、渋々言うことを聞いてくれるトゥリアがそこにはいないことをルクスは理解した。


 一体、何がダメだったのか。何故、こんなことになってしまったのか。

 カリスを救ったことが全て間違いなのか、あの時の記憶が無くなってしまえば、自分は幸福な日々を送り続けることができたのか。

 例えそうだとしても、カリスとの満ち足りた日々を失いたくはない。奴隷だった頃よりもずっとわがままになったが、このわがままな気持ちを手放したくはない。そんな気持ちすら、ルクスからしてみれば一欠けらも失いたくない大切な世界の一部になっていた。

 だったら、自分のやるべきことは一つなのだろう。


 ――世界を奪われないように、外敵を排除する。

 その為にも、力が欲しい。無力な自分ではない、まさに怪物のような力がー―欲しい。


 心臓が大きく跳ね上がった。



         ※



 ルクスは己の肉体に異変を感じていた。

 ドクンドクンドクン、と。

 心臓を体内から取り出して、高速でお手玉でもしているかのように忙しく跳ねている。まるで、自分の体じゃなくなったかのようだ。

 次に両腕に血が巡るのを感じれば、両腕が身勝手にじばたと暴れ出した。これも、自分の体じゃないみたいだ。

 両足がジャンプするように跳ねれば、足に繋がる神経が強引に引き伸ばされるように恐ろしい感覚に襲われる。体が、まるで別の体に入れ替えられているようだ。

 腹の中が爆発でもしたかのように熱が広がる。背中が高熱と共に服を破るほど大きく、胸の辺りも同じく膨らむ。全身が、大きく変化していっているのがここで初めて気づいた。

 電撃を受けたように視界が閃光に染まったかと思えば、ここだけは大丈夫かと思っていた首から上までも変化が訪れる。視界は闇夜だというのにぐっと明るくなり、口の端に後でチャックでも付け足されたかのように容易く広がる。ああ自分は完全に、別の存在になってしまったのか。


 呼吸が止まっていたような時間だったが、肺に多量の空気が流れ込んでくることで、意識は完全に覚醒する。思っていたよりも、ずっと悪くないと思った。


 ルクスは”毛むくじゃら”になった腕と、”鋭利な刃物”のようになった爪でしっかりと床に手を付いて体を起こした。


 『良かった』


 トゥリアもカリスも先程の状況から変わっていない。

 しかし、自分で出した声に自分で首を傾げた。これは自分の声のはずだが、ここまで野太い声は耳にした覚えがない。

 ただ二人とも、トゥリアまでもが分かりやすく狼狽していた。


 『ルクス……お前のその姿は、どういうことだ……』


 『俺の姿?』


 顔に触れれば、犬ような体毛にも驚いたが、鼻から口までが長くなっている。指の端で口元に触れれば、ナイフにでも触ったかのような鋭い感触に手を引っ込めた。

 状況を飲み込めないまま、ルクスは窓に映った自分の姿に気づいた。


 『俺が……ウェアウルフになっている……』


 そこには上半身の服が破け、見覚えのあるズボンを履いた――一匹のウェアウルフと化したルクスの姿があった。

 

 

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