第7話 君が彼女を拒むというのなら
首を絞められるような息苦しさから逃れるように、少女は目を覚ました。そこは、ウォルク家の屋敷の一室だった。
目を覚ますまで、とても長い夢の中に居たような気がしたが、起き上がると同時にその記憶はうやむやに消え去っていた。
まだ夢の中に漂っているような現実感の無い光景に少女は、ぼんやりと部屋を見渡していた。豪華な部屋と自分を包んでいる柔らかなベッドは、物語に飛び込んでしまったような錯覚を与える。
二回、気を使うようなノックの音がした。まだ目覚めていないと思っていたのか、少女の返事を待つことなく扉が開くとトレイの上に水差しとグラスを乗せた少年――ルクスが入ってきた。
目を覚ました少女に気づいたルクスは危うくトレイをひっくり返そうとしそうになるのを押さえれば、近くのテーブルの上に乗せると少女に向き直った。
「お、おはよう。……気分はどう?」
初対面の少年が若干挙動不審になりながら挨拶してくることに、僅かに恐怖心を抱くものの悪意が無いことは雰囲気から分かった。
「……ここは、どこ?」
ルクスは少女が声を発した瞬間に澄み切った風を頬を撫でていったような気がした。肌に触れた謎の風は、ルクスの頬を上気させる。
「あ、えーと……ここはウォルク家の屋敷だよ。て、ウォルク家て言っても分からないよね。この屋敷には、トゥリアとアインと……あ、名乗り忘れたけど俺のルクス。俺を含めた三人で住んでいるんだ。俺も詳しいことは話せないけど、この近くの村で凄い慕われるお金持ちのお屋敷なんだよ。あ、もしかして村の子? 俺、村の人はほとんど顔見知りのつもりだったけど、君みたいな子が居るなんて――」
「――分からないわ」
少女の一言にルクスは声を詰まらせた。
「ご、ごめん、俺いきなり訳の分からないことばかり言って困らせちゃったね……。今はゆっくり休ませることが大事だって、アインも言ったのに……俺、二人に君が目覚めたことを教えてくるから、ゆっくり休んでいていいよ」
ルクスはこの少女の前では何故か
背中を丸めてとぼとぼとルクスが去っていこうとすると、
「違うの」
絞りだすような少女の声にルクスは足を止めた。そして、窒息しそうな声で少女は言葉を続けた。
「――何も思い出せないの」
※
少女に食事を振る舞い、落ち着いたところを見計らってから屋敷の客間に少女と屋敷の住人三人で集まる。
「記憶喪失ですって?」
案の定、驚きと疑いが入り混じりつつ声をトゥリアは漏らした。
相手を値踏みするような眼差しでトゥリアはじろじろと少女を見る。居心地悪そうな視線から少女をすぐにでも庇いたい気持ちになるルクスだったが、この屋敷の主であるトゥリアにはルクスもアインも逆らうことはできない。下僕や奴隷は関係なく、本能に近い部分でトゥリアの発言に従ってしまうのだ。
おもむろにトゥリアは「アイン」と呼べば、無言でアインは退室し、再び室内は静寂に包まれる。
「……アインはどこに行ったんだ」
沈黙に耐えられなくなったルクスはぽつりと呟けば、外の住人に見せるような尊大な態度で椅子の背にもたれながらトゥリアは応答する。
「ルクス、私がよそ者を嫌っていることは知っているな」
「ああ……ごく一部の商人しか外の人間と関わらないよな」
急にトゥリアが別の話を始めたのかとルクスは不審に思ったが、そう脱線することなく本筋はぶれていないようだ。
「私はお前のように無条件で部外者を信じるようなお人好しではない。村の近くまで敗残兵がやってくれば、村の明かりを消して近づけられないようにするし、私のことをどこかで耳にした盗賊が居るならきつめのお仕置きをして二度とここの詮索をしたいと思わせないようにする。……何故私がこうまでして、この屋敷や村を守ろうとしているのか考えたことはあるか?」
唐突なトゥリアの問いにルクスはうまく言葉を返せないどころか、新たに放り込まれた疑問に意識が持っていかれてしまう。
「……守る理由?」
「考えたこともないって顔をしているな。だろうな、汚れた世界で右も左も分からぬお前に私が見せたのはこの屋敷とあの村の温かさだ。そうすると、自然とお前はあの村を尊く考えるようになってしまう。私はお前が今の質問を疑問に思わなかったのを誇りに思うよ」
褒められてるのか新手の皮肉なのか不思議に思いつつルクスは次の言葉を待った。
「それが、どうしたんだ」
「ルクスは何があっても守りたいものがある。私も同じなんだ。……ルクスを信じるのも村の平和を守るのも、私には責任と義務があるんだよ」
ルクスがトゥリアの発言の意味を考える時間もないまま、アインが戻ってきた。アインは薄茶色の液体が入った透明なグラスを少女の前に置いた。
生まれて初めて見る液体だった。トゥリアが好んで飲む紅茶を何倍にも濃くしたような淡い色だが、強すぎる色は薬品のようで口にしようとは到底思えない。何より、直感的にこの液体が単なる飲み物ではないことはきっと記憶を失っている少女にだって判断できるだろう。
「トゥリア、コレなんだよ……」
無知を嘲るようなシニカルな表情でトゥリアは言った。
「自白剤のようなものだ」
「は……?」
どうしてそんな物を出したんだという言葉をルクスは飲み込んだ。愚問である。目の前の少女に飲ませて試そうというのだ。
ルクスの心情などお構いなしに、トゥリアは説明する。
「相手の理性を奪って無理やり吐き出すような薬ではない。この薬は即効性のあるもので、約一時間程度、嘘が言えなくなる。そもそもこの原料になった材料は幻覚作用のある花なんだ。その花を煎じて薬品と調合することで、相手の人格を壊すことなく真実を口にさせる魔術薬なのだ」
「俺が聞きたいのは、そんな説明じゃない! どうして、そんな彼女の気持ちを無視するような薬を飲ませるのか知りたいんだよ!」
「どうしたもうこうしたも、そいつは私達の屋敷の中では不純物のようなものだ。一度体内に入れた毒は体を蝕むように、その女が毒かどうかを見定めなければならない」
「でも、こんな風にこの子を試すような真似をするなんて……!」
ルクスは自分の服の袖が重たくなる感覚に引かれて視線を下げると、少女が憂いを帯びた瞳で見上げていた。そして、少女は下手な笑顔を浮かべて首をのろのろと首を左右に振った。
「君は……」
「ルクス、私は大丈夫だよ」
視線を交錯させるルクスと少女に面白くなさそうな顔をしたトゥリアが、「ルクス」と名前を呼ぶと、アインはルクスに自白剤ドリンクを差し出した。
「ルクス、お前が飲ませるんだ。……私も悪意だけで言っているわけではない。ほんの僅かでもそいつに記憶が残っているなら、自白剤で記憶を呼び起こすこともできるかもしれん」
トゥリアの申し出がルクスには、屋敷の主として村の守護者としてのできる限りの譲歩だということが理解できた。少女の様子を見る限り、アインやトゥリアが飲ませることよりもルクスから貰った方がずっと気が楽なはずである。
戦々恐々とルクスはトレイに乗せられたグラスを掴む時には、既に少女は準備ができているようで小さな口を開けていた。もっと穏やかな空気なら、そんな少女の仕草で再び心臓を早くしていたのだろうとルクスは寂しく思う。
「ごめん、少しだけ我慢してほしいんだ。……でも一つだけ君にこんなことをした責任を取らせてほしい」
「責任?」
「君が望む限り、俺は君を守り続ける。約束するよ」
少女は少し戸惑った顔をしていたが、ゆっくりと言葉を飲み込むように頷けば、まるで接吻をするかのように目を閉じて再度開口した。
何度も何度も心の中で謝りながら、ルクスは少女の口に液体を流し込んだ。
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