第5話 それでも、彼は

 仕留めた鹿をソリに乗せて、鼻高々に帰宅したルクスを待っていたのは容赦のないトゥリアの叱責だった。


 「――お前、魔術を使ったな」


 屋敷の庭先で非難するような目のトゥリアが両手を腰に当てルクスと向かい合う。

 同じ目線だったトゥリアだったが、いつの間にかルクスの方が見下ろすような高さになっていた。それもそのはずである、トゥリアはルクスと出会った頃から一ミリも身長は変わっていない。外見も全く変化が無いのだ。それにアインも若いままだが、村人は何も不思議がる様子はないので、ルクスも深く考えないようにしている。大事なことかもしれないが、ルクスにとっては些細な話だった。

 トゥリアを見る度に定期的に浮かぶ疑問の一つだが、今はそれよりもルクスにとってはこの状況をどうやって誤魔化すかが大切である。


 「……いや、使ってないよ」


 自分よりも小さな女の子に見上げられている状況だというのに、トゥリアから発せられる威圧感のせいかうまく言い訳一つ出てこない。ルクスができた対応は、目を逸らすことだけしかできなかった。

 一目で言い訳を探しているルクスに気づいたトゥリアは、長い睫毛で覆われた目を細めた。


 「ほう、ルクス坊やもいつの間にやら嘘を付くようになったか。いやはや、親代わりとしては喜んでいいのやら泣いていいのか分からんな」


 どの角度から見ても明らかにトゥリアにはその二つの感情ではなく、別の感情が前面に出てきているのはきっとルクスの気のせいではないだろう。

 トゥリアの視線はルクスから厨房へ鹿を引きずっていくアインへと向けられる。


 「何だよ、鹿の体に矢が刺さっているだけだろ」


 背中に背負ったままの弓をこれ見よがしにルクスは掲げる。


 「この弓と!」


 まだ何本か残った矢筒を肩から下ろして、右手に持つ弓と対になるように矢筒を掲げた。


 「この矢で! 俺は獲物を仕留めたのさ!」


 上手な言い訳が浮かばないならと胸を張ってみたルクス。


 「その自慢の弓矢をもう少し近くで見せてくれないか」


 ほらよとどこにでもある年季の入った弓矢をルクスが下ろせば、トゥリアは弓矢に鼻を近づけて臭いを嗅ぐ仕草をした。


 「……思った通りじゃな。調子に乗って墓穴を掘るのは、身長が伸びても昔から変わらんようだ」


 「はぁ!? 何を根拠に……!」


 「くっさいのぉ……。弓矢にべっとりと魔術の残り香が付いておるぞ。それに……な……」


 いきなりトゥリアは、ルクスの指先をぺろりと猫が毒見をするように舐めた。油断していたルクスはトゥリアの唐突な行動に、声変わりをする前のような高い悲鳴を上げた。

 舐めた後に飴玉でも転がすように口をもごもごと動かしたトゥリアは、動揺から弓矢を落としたルクスの姿ににやつく。


 「ト、トゥリア……。いきなり何すんだよっ」


 外見の年齢相応に鈴を振るような声でトゥリアは笑う。


 「なんだ、日頃から今のような可愛い声で笑えばもう少し愛でがいもあるというものだな。だが、今ので完全に分かったぞ」


 べーと舌を出してトゥリアの濡れた朱色のベロが妙に色っぽくて思わずルクスは顔を逸らした。


 「私の下がびりびりしておるぞ。これはな、鼻や舌が敏感な私だからこそ感じられる拒否反応のようなものだ。さて、私は嘘をつかないことをお前はよく知っているな」


 「……ああ」


 「これ以上、言い訳や誤魔化しの類は通用すると思うか?」


 「……思わない……です」


 大きくうなだれながらルクスは魔術の行使を認める。


 「私は自分の力で獲物を獲って来ると聞いていたのだが、これはどういうことだ」


 トゥリアの破顔した表情は瞬く間に厳しいものに変わり、威圧感がさらに増していくが意を決してルクスはトゥリアに反論をする。


 「一応、魔術だって自分の力だ。トゥリアから教えてもらった知識とアインから学んだ弓の使い方で俺はできるようになったんだ! 間違ったことなんて一つもしてねえだろ!」


 「まったく、反抗期というやつだな。連れて来た当初は一緒に風呂も入っていたというのに」


 「それとこれとは、今は関係ないっての! どうして、トゥリアは魔術を使うと怒るんだ? いや、魔術を何で嫌っているんだよ!」


 ルクスの鳩尾みぞおちにトゥリアの華麗な右ストレートが突き刺さった。咳き込みながら、膝を曲げたルクスの横をトゥリアは素早く通り過ぎていく。


 「今日はこれぐらいで許してやる。お前が自力で獲物を獲って来たら、街や村まで行き来に使える馬を買ってやると言ったが、魔術を使っているようではまだまだ先の話だな」


 普段から鍛えていたはずのルクスを簡単に立ち上がれなくさせるトゥリアに、底の知れなさを感じつつなおも食い下がる。


 「げほっごほっ! ま……待てよ、俺にも理由は教えてくれないのかっ」


 縋るようなルクスの声にトゥリアは一度足を止める。


 「理由なんて大層なものはない。――ただ魔術が嫌いなだけだ」


 トゥリアの吐き出した一言によってルクスは何年も一緒に過ごした家族のような存在でも、踏み込めない壁があることを知った。同時に、自分は本当の意味で家族にはなれていなかったのではないかという不信感にも似た疑問がこの日以来ルクスの中で少しずつ大きくなっていくのだった。




          ※



 二階建てのウォルク家の屋敷は一階だけで十部屋以上もあり、二階もそれに近い部屋の数があるらしい。らしいというのは、ルクス自身がまだ入ったこともない部屋もあるので、暫定的な部屋数だからだ。

 驚くべきことにこの屋敷には、トゥリア、アイン、ルクスの三人しか住んでいない。その為、アインはこの屋敷の全てをほぼ一人で管理しているのだ。どこかに使用人が隠れていて夜な夜なこっそりと屋敷の掃除をしているのではないかとルクスは眠れぬ夜に何度か考えたことはあるが、常人離れしたアインの仕事の速さを見ていると信憑性が高くなるだけだった。

 いつもなら今の時間はアインと武術の訓練をする時間だったが、残念なことに罰としてルクスは屋敷の窓と廊下掃除を申し付けられた。


 「どこが、今日はこれぐらいにしてやるだよ……。おまけも増えてるぞ」


 溜め息を吐いたルクスは屋敷の窓を雑巾で拭いていくが、普段からアインの手伝いで掃除をしていたルクスの動きはなかなか手慣れたものだった。手慣れているが故に、屋敷の窓と廊下の掃除の大変さを知っている。少なくとも、今から大急ぎでやっても陽が沈むまでに終わる自信はなかった。

 これで掃除が遅くなったら晩飯抜きという可能性が頭に浮かんだルクスは、大急ぎで手を動かしていると。


 「ルクス、少々動きが雑になっていますよ」


 「うっ……アイン……」


 声のした先では、飾られた花瓶に花を活けたアインが一定のトーンで注意をする。相変わらず若々しくて、もうしばらくすれば外見だけならアインに追いついてしまいそうな気がルクスはしていた。


 「また飯抜きになるのも嫌なんだよ……。分かるか、この気持ち?」


 「自業自得です。そもそも、魔術に頼らずとも狩りをしながら自衛もできるように教えているんですよ。これでは何の意味もありません」


 いつもトゥリアの逆鱗に触れた後のアインはいつもと変わらず淡々としていた。むしろ近頃は日常になりつつあるせいで慣れていたのかもしれない。そんなアインが、感情的に責めるのは物珍しさすらあった。


 「そうは言うけど、昔盗賊に襲われた時みたいな危険が迫ったなら、俺は魔術でも何でも利用してトゥリアやアインや村のみんなを守りたい」


 「ルクスの成長が垣間見える真摯な発言は喜ばしいものですが、この状況では毒にも薬にもなりませんね」


 「ぐっ……。アイン、前々から聞きたかったんだけど、何でトゥリアはあんなにも魔術を嫌がるんだ?」


 花瓶の向きを変え直していたアインはルクスの質問に手を止めた。


 「……お嬢様は言いませんでしたか? 魔術がお嫌いだと」


 「それは知っているけど、どうして嫌いなんだよ。俺は理由を知りたいんだ」


 花瓶に触れていた手を離したアインは、ルクスに含みのある目線を送る。


 「時が来ればお嬢様から語ることもあるでしょう。それが今ではないというだけの話です。その時に、偶然知ってしまうかもしれませんし、お嬢様の口から聞くことになるかもしれませんが、いずれは……必ず魔術を嫌うお嬢様の理由を知ることになるでしょう」


 言うだけ言ってアインはさっさと次の仕事に戻っていってしまう。

 素っ気ないアインの態度と水で湿らせた雑巾の感触が蚊帳の外に居るようなルクスの気持ちを加速させた。

 

 「……なんだよ、二人して」

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