第二章『積み重ねた日々と』

第4話 十年前のヒーロー 十年後の少年

 どうしてトゥリアは自分に戦う術と知恵を与えようとしたのかという疑問すら浮かぶ暇もなく追われる日々を過ごした。

 学習の最中、トゥリアは言った。


 「どれだけ力を手にしても、知恵が無ければ一緒だ。巨人が棍棒を振り回して向かってくればそれなりの脅威かもしれないが、頭を使って罠を作れば簡単だ。伝説級の怪物がこの世界には存在するが、そのいずれも人間や魔術師の知恵の前に淘汰されている。力を求めるお前には酷な話かもしれないが、強さだけが世界の答えだった時代は何千年も前に終わっておる」


 力だけでは戦いに勝つことはできない。強い力を求めるルクスに何度となく似たようなことを語り続けたが、いつも結局のところ「無いよりも有る方が良い」という言葉で締めた。

 頭の勉強はトゥリアが一任する中、アインはひたすらに戦う力を教えた。

 剣術や格闘技をアインから学んでいく中で、アインは時に師として兄のように語ることもあった。


 「私がルクスに教えているのは、何も単なる力だけではありません。戦う力に始まり、奪う力、壊す力、殺す力、守る力……そして、救う力。今のルクスにはまだ理解できないかもしれませんが、力は一括りにはすることができないのです。ルクスが最終的にどのような力の在り方に行き着くのか見当もつきませんが、それがお嬢様を守る力になればと願っています」


 寡黙なアインが『力』の話をする時は、少しだけ怖かったことをルクスはいつまでも覚えている。それは、彼が誰よりも力の恐ろしさを知っていたのからかもしれない。

 ルクスはぼんやりと聞きながらも深く考えようとはせずに聞き流していた。ルクスが求めた力は、最初からトゥリアを守る為に使うつもりだった。敵が現れれば壊しも殺しも奪いもする、トゥリアが助けを求めれば守りも救いもするつもりだったのだ。


 ルクス少年は勉学や鍛錬以外もウォルク家の皆と食事を囲み、たまに三人で遠出したり、狩りをして過ごす。充足感に満たされた少年時代をルクスは過ごすことになるのだった。


 そして、奴隷だった時の記憶が忘却の彼方に消え去ろうとししていた頃にルクスの世界は急変する。




                               ※



 その年、ルクスは十七歳になっていた。

 奴隷だった時がおそらく六、七歳だと仮定してのこの年齢である。

 自分が十七歳だということで困ることもないし、気がかりなことと言えば自分が屋敷から離れた後にトゥリアやアインが寂しくなるんじゃないかと考えてしまう。


 「おっと……」


 林の中を歩いていたルクスは木の根っこに足を取られそうになり、近くの枝を掴んで体を支える。

 季節は冬になっていた。

 屋敷や村の周辺は雪が降り積もり、辺り一面銀世界に変わっている。一歩踏み込めば、雪は膝まで埋まり、屋敷から履いてきた長靴の中に雪が入って来るのであってもなくても同じに思えてくる。


 「それでも、無いより有る方がマシだよな」


 すっかりトゥリアの口癖が移ってしまったようだ。苦笑しつつ、注意深く地面を探れば豚の鼻のような鹿の足跡を発見した。

 よし、と既に勝利者気取りで緩む口元を引き締めて背中に背負った弓矢を手にすれば、腰を低くして木の影から次の木の影に潜るようにして移動する。小さな音で最短距離で足跡を辿る。

 何本目かの木の根元に肩をぶつければ、立派な角を生やした鹿を発見した。弓を構えて低くした腰を浮かせれば、パキン、と枝葉を踏む音が響いた。


 「しまったっ」


 おまけに声を出してしまい、鹿は木の裏から顔を出した狩人に気づき慌てて駆け出す。歩きにくくなった雪の中をものともせずに加速していく鹿にルクスは、屋敷を出る前にトゥリアから言われたことを思い出していた。


 ――なんだ、狩りに行くのか? 字も書けて計算もできるようになったが、獲物を狩る実力は成長しとらんのにか? 下手くそに追いかけられれば獲物のご迷惑なるのだから、やめておけ。


 あのわざとらしく見下した笑い声がルクスの気持ちをムキにさせた。

 すっと冷たい空気を吸い込み、指先に意識を集中させる。目線はどんどん遠ざかる鹿を標的に。


 「我はある種の咎人であり、しかし、喰らうことが本望である」


 『魔術』を使用する下準備として詠唱を行う。大気に漂う魔素まそを呼び集め、形と役割を与えて魔術に昇華させる役割が『詠唱』だ。

 『魔素』を腕から流して指先に、『詠唱』をすることでそれは体内に流れる血液のように弓矢に注がれば、魔術が発動しようとする。これこそ、『魔術詠唱』。


 「――業の血雨を浴びる贄には選択を与えられん」


 炎や雷を呼び起こす魔術なら、かなり長い詠唱を強いられるが、ルクスの僅かに肉体を強化する程度の詠唱ならすぐに終わった。

 そうこうしている間にもルクスの視界の中で親指程の大きさになりつつある鹿の体が、ぐっと視界一杯に広がれば、鹿の体に赤い光点が浮かぶ。ルクスの行使した魔術『ラックアウト』の効力により、標的となった獲物は魔術の効果により目印を付けられる。

 瞳の中に魔術が流れ込んでむことでルクスの目の色は青から赤へと変色する。体内に魔術が行き渡れば、ルクスは弓矢を構える。すると、鹿の浮き上がった光点を辿るように矢の先から一筋の線が伸びて行けば光点と結合した。


 「悪いが、これ以上手ぶらで帰るわけにはいかないんだよ」


 ふっと蝋燭の火を吹き消すような息をルクスが吐くと、矢が放たれた。矢はまるで鹿に紐でも付けていたかのように木の間を蛇行しすり抜け、一切の不安要素なく真っすぐに鹿の方まで飛んでいけば光点の浮かんでいた左脚の太ももの辺りを貫いた。

 ガッツポーズをしたルクスは、弓を肩に担ぐと、とどめを刺す為に懐からナイフを取り出せば鹿へと歩みを進める。

 ルクスの唯一使える魔術『ラックアウト』は標的に目印を立てることで、目印に向かって飛来する放たれた矢が空気中の魔素の力を借りて目印ごと標的に届く。そこには如何なる物理法則も通用せず、一度ルクスのクラックアウトの干渉を受けた標的は糸で引っ張られるかのごとく矢で撃ち貫かれるのだ。

 トゥリアは魔術や魔素の知識は与えたが実践的なことは教えれることがなかったので、ルクスが独自で身に付けた魔術だった。アインも魔術の類は使わないので、自分の魔術が正しいかどうかの自信はルクスには無かったが自分の生み出したものは魔術だったのだと信じたい。

 最初は首や足をばたつかせて抵抗していた鹿だったが、血を流し過ぎたせいでルクスが到着した時には既にぐったりとしていた。


 「一欠けらも残すことなくいただきます。俺と主人と師匠は食事には人一倍の敬意を払う人達なんだ」


 鹿の潤んだ目に罪悪感が湧いた。しかし、トゥリアは命を奪うことにいつまでも罪悪感を感じることこそが良い狩人だと言っていた。

 トゥリアの言葉がルクスの背中を押せば、振り上げたナイフを鹿に振り下ろした。




 

 

 

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