第3話 君の隣で生きる義務
「はっ――」
気絶していた少年は、見覚えのない部屋で目を覚ました。
今まで見たことのないぐらい豪華な部屋の一室の天蓋付きのベッドに少年は横になっていた。頭のてっぺんに触れてみれば、僅かに丸みを帯びていた。そっと撫でてみれば、たんこぶからチクチクとした痛みが走る。
ベッドの周りに敷かれた真っ赤な絨毯に足を下ろせば、部屋に置かれた煌びやかな装飾品が目に留まる。
インテリアとしての役目しか果たしていないティーカップの飾られた食器棚、金の骨組み出来た三人掛けの椅子は部屋の主の趣味なのか狼の装飾が椅子の角に施されていた。
窓の外を見てみれば、高さから考えるとここは二階の一室のようだ。窓の先には視界を埋め尽くさんばかりの木々達が生い茂っており、窓枠に手をついて左右を見渡せば、ここが広い屋敷の一室だということが理解できる。ざっと見ただけでも両手で数えきれない程の部屋があるように思えた。まともに部屋の数を計算できる知識は少年には無いので、諦めて外に出てみようかと考えていると、扉があちらから開いた。
「おや、お目覚めでしたか」
アインが料理を乗せたカードを教えながら入室すれば、その隣には前に見た時とは違うドレスの少女の姿もあった。
真っ先に話しかけたさそうな少女だったが、何か言い辛そうにアインの影でもじもじとしていた。
「いくら栄養失調もあったとはいえ、ちゃんと言わなければ、伝わりませんよ」
観念したように少女は思いっきり溜め息を吐くと、
「……す、すまない、昨日はついカッとなって殴ってしまった」
申し訳なさそうに少女は謝罪を口にしたのだ。
その発言は少女に殴られたことよりも衝撃的で、拳で殴られる何百倍も頭に響いた。むしろ少年にとっては殴られることこそが奴隷としての当然の対応だったが、主人が殴ったことを詫びていることに思考は追いつこうとしない。
しかし、少年の体は正直な反応をみせた。
「ど、どうしたのだ! 何故、お前は泣いている!?」
あろうことか、狼狽する少女は少年の両頬に一切の躊躇もなく両手を重ねる。その行為がなおさら少年の涙腺を刺激し、体を正直にさせた。
「ありがとうございます……ありがとうございます……。ご主人様、どうか……貴女の名前をお教えください……」
驚いた様子の少女は一度アインの顔を窺う。アインは小さく笑みを浮かべて頷くと、少女も深く頷き返した。そして、少女は少年の両目から溢れる涙を親指の先で拭った。
「――トゥリア・ウォルク。姓はウォルク、名はトゥリア。好きなように呼ぶが良い。お前はもう奴隷ではない、今日から私の家族なんだからな」
「はい、はい、はい……! ありがとうございます……ご主人様……」
「やれやれ、お前が主人と呼ぶなら好きにせい」
悪戯した子供をおどけて叱るようにトゥリアが言う。
少年は決意した。主人と奴隷という主従関係を超えて、一人のトゥリア・ウォルクという少女を守ることを誓った。
奴隷から解放してくれたこと、服を買ってくれたこと、温もりを与えてくれたこと。
感謝は決して尽きることはないが、当たり前のように人として生きる権利を作ってくれた。閉ざされていた未来に光が射しこみ、
少年はそれからしばらくして、ルクス・ウォルクという名前を貰った。
※
ウォルフ家の屋敷は街外れの村のさらに外れにあり、不便ところではあるものの、村の人間達との交流は盛んで食料を分けてもらったりとまるで村人達とウォルフ家は家族のような親密さがあった。
まずトゥリアがルクスに義務付けたのは、最低限の読み書きと武芸だった。
読み書きは毎日何時間もトゥリアに付き添われて頭に叩き込み、武芸はアインから学ぶ。
トゥリアの勉強は教えるのがうまく、今までに何人も見てきたかのように指導するのが板についているようにもルクスは思えた。まれに大人の女性に見えてしまう彼女に見惚れて怒られることも多々あった。
午前中に机にかじりついたルクスは、夕食までの間にアインから剣術や格闘術を教えてもらうこととなる。ルクスの目から見ても、アインの剣術の腕は達人の域に達していると言っても過言じゃないだろう。
過去に一度、盗賊が村人に危害を加えようとする現場に遭遇したことがあった。
※
ルクスは信じられないものを見る目で視界の光景を眺めていた。
村からさほど離れていない道中で盗賊が腰のサーベルを抜き、若い村人夫婦を脅して金品を要求する現場にアインとルクスは出くわした。馬車が道の外れに止まっているところを見ると、どうやら街に商いをしてきた帰りに狙われたようだ。
金を持っていそうな少年と執事が来たことで盗賊は新しいカモがやってきたのだと喜色満面を浮かべた様子だったが、その顔は瞬く間に反転することとなる。
盗賊の数はおよそ十人だったが、もしかしたらどこかに隠れている可能性も捨てきれなかったが、アインはあっさりと行動に出た。
「運が無かったようだな、兄ちゃん達。もし無事に帰りたいなら、金目の物を置いてい――ぎゃ!?」
人相の悪い盗賊の一人がサーベルを馬車に乗ったままのアインに突き付けた直後、男の体は数メートル以上に転がった。
最初、盗賊の仲間達が何が起きたか分かっていないようだったが、転がった男の顔面に残された靴の痕で仲間の一人が蹴り飛ばされたことが理解できたようだ。
盗賊達は人質を取るという発想すら浮かばないのか、全員がサーベルの標的を村人からアインに構えた――が。
「ありゃ……」
一番人質を取りやすい位置に立っていた盗賊の男の両腕が宙を舞う。頭も肉体も思考が追いつかないのか、肘の辺りから消えた腕の断面から徐々に血が噴き出すのを呆然と見つめ続ければ、そのまま多量の血液を頭上に噴出しながら仰向けにひっくり返った。
悲鳴もなく腕を切り落とされて男の倒れた音で、初めて攻撃を受けたことを明確に気づいた。そして、両腕を失った男のすぐ側にはサーベルを手にした執事が立っている。
「そ、そいつが……俺の武器を奪いやがったんだ!」
短い気絶から目覚めた最初に蹴られた盗賊が、指をさして叫んだ。
盗賊達は完全に狙いをアインに定めて、全員で徐々に逃げ場のないように囲みだす。サーベルを奪われた男も、懐からナイフを取り出せば、共に襲い掛かる準備は整ったようだった。
アインは涼しい顔をして盗賊達から視線を外して、自分が手にしているサーベルをしげしげと物珍しそうに掲げた。
「武器? これが、か? ……まともに手入れもしていない、このガラクタが? これなら、私の屋敷の食器の方がまだ武器と呼べるな」
盗賊達は、アインの注意が逸れたと思い込んだようで、喋り出したのを隙だと捉えた盗賊の一人が飛びかかると全員が一斉に襲い掛かる。しかし、ルクスはアインが喋ることの意味に気づいていた。……アインは完全に盗賊達を誘っていた。
まず最初に近づいた盗賊の腕が飛べば、続けて後からやってきた二人の盗賊の肩口から鮮血が上がる頃には、アインは三人の間を潜り抜けていたが、盗賊達はまだ自分達が優位に立っているのだと勘違いしている者もいた。それほどまでに、恐ろしいスピードで盗賊達を刻む。
もはやアインの姿は風のようだった。もし風が明確な殺意を宿し、高速で移動し傷つけることがあるなら、まさしくこういう状態のことを言うのだろう。
魔術でもなければ、魔力を秘めた道具を使用したわけでもない、単純な身体能力のみでアインは盗賊達の間を吹き抜ける疾風の如く駆け抜けた。そして、風が止む頃には血気盛んな盗賊達は誰一人として立っている者はいなかった。
「――だが、お前達に使うには丁度良い」
サーベルは血で染まっているにも関わらずアインは執事服に付いた砂埃だけを落とす。返り血一つ浴びていないアインは、地べたで呻く盗賊達を見向きもせず村人に声をかけた。
「ここでしばらく私とルクスが見張っていますので、貴方は街の方へ行って衛兵を呼んできてください」
腰を抜かしていた笑ったままの膝で何とか立ち上がると、妻を抱えて街へと走り去っていった。
ルクスは恐る恐る馬車から降りれば苦悶の表情を浮かべる盗賊達を見回せば、全員が辛うじて生きているが、何かしら肉体の一部を失った後のようだ。
「さて……」
アインはサーベルを無造作に振ったように見えたが、
「――いぎゃぁ!」
一振りのサーベルは、倒れていた盗賊の背中を切り裂いた。
「教えなさい、他の仲間達はどこにいますか」
歯の間から吐くような息を漏らす盗賊は質問に答えるつもりがないことを察したアインは、今一度背中に傷を残せば、盗賊は悲鳴を上げて涙ながらに他の仲間の場所を口にした。
盗賊の口にした場所はルクスも知っている近くでは有名な砦の跡地だった。
「ア、アイン……」
ルクスは驚いてアインの名前を呼んだが、刃物に見つめられるような視線で射抜かれて思わず足を止めた。
「ルクス、よく聞きなさい。この男達からしてみれば、村人は獲物であり男達は狩人であった。しかし、立場は逆転しようとしています」
「まさか……」
「一度狩りの楽しみを知ってしまった狩人は失敗をすれば、必ず仲間を連れてきます。その度に見逃して撃退をしていれば、いずれ多くの被害が出る。ならば……狩人達を根絶やしにするしかないでしょう」
ごくり、とルクスは生唾を飲み込んだ。
大げさに言うでもなく、比喩もなく、アインは盗賊を皆殺しにするのだと宣言している。常人なら、気でもおかしくなったかと言われるところだが、アインにはそれを実行できるだけの力を持っていた。アインは無茶はしても、無謀はしない男なのだ。
愕然とするルクスは道を外れて歩き出すアインの背中に慌てて声を掛けた。
「お、俺も手伝うよ」
足を止めたアインは振り返ることなく首を横に振った。
「いいえ、君はここに居てください。彼らの見張りも必要ですから。……君の力はこれから先、また必要とさせていただきますよ」
森の中に消えていくアインにそれ以上引き留めることもできず、ルクスはただの自分の無力さに拳を強く握りしめた。
ちゃんとトゥリアを守れる従者になれるのだろうかという不安が、この時から徐々にルクスの中で大きくなりだしていた。
出て行った時のままの綺麗な服でアインは数時間後に、何事もなかったように帰って来たのだった。
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