川は流れる(原著:水円 岳さん)

「シャッターチャンスだッ!」



 と降り続いた雨がようやく、あがる。

 文月入りし、寒さは感じられなくなったとは言え、水嵩みずかさの増した川の様子見たさに雨天、わざわざ来るのも俺くらいだろう。

 小さい頃からの習慣、いや、癖、あるいは、習性。

 趣味の釣りのせいか、水辺や水溜まりを見付けると、ここにはどんな魚がいるのだろう、と胸躍る。

 増水した川なんてもんは、その中でも大好物。

 台風の最中、どれ程、水面が上昇したのか、よく見にいったもんだ。

 危ないから真似するなよ。

 コレは俺だから出来たことだ。


 そんな無邪気なクソ子供ガキだった俺も今では立派な

 水辺に立ち寄る事も少なくなり、釣りもご無沙汰。

 そもそも、釣りを楽しむ時間がない。

 せわしなさのせいにして、いつしか好奇心がうすらぎ、頭髪も薄らぐ。

 あつくなったと言えば、腹の肉とつらかわ、ついでに情だけ。

 ああ、それ程、時が経っちまったんだなぁ。


 俺がこの川に立ち寄ったのは、インスタえを狙って。

 新旭橋しんあさひばしの土台は真っ赤に染め上げられている。

 これが増水した川面かわもに映り込み、照り返されるさまは幻想的。

 誰にも知られていない、俺だけのインスタ映えスポット。


 子供の成長記録を押さえる為に購入した

 今はその役目を終え、フォロワー皆無の俺のインスタを埋めるだけの小道具。

 ああ、と言うのは、の事。

 大物芸能人気取りにと呼んでいたんだが、これが癖になってしまって抜けず、ナチュラルにと言っては、皆に笑われる。

 ちなみに、キヤノン製。

 キヤノンは、『きやのん』と発音するのに、キャメラは『きゃめら』と発音する。

 この謎の癖のせいで、出身地をよく疑われるのだが、断じて田舎者ではないし、そこ迄、耄碌もうろくしてない。


 日が傾く頃、東側からキャメラを構える。

 夕日が赤く染まる頃、それが絶好の『シャッターチャンス』。

 浮世絵さながらの美しい光景が、この僅かな時だけ現れる。


 ――さぁ、来やがれ、俺のシャッターチャンス!

 い・ま・だ!!!

 おりゃッ!――


「う~ん……ブレちまった」


 撮影した画像を液晶画面で確認、こりゃ酷い。

 全く上達しない。

 俺にセンスがないのか、単にキャメラが古いのか、あるいは、俺自身が古いのか、もう絶望的な写真。

 もっとも、おっさんのインスタなんぞ誰も見ないんで問題ない。

 少なくとも、茶色一色の飯の写真よりはマシ。


 しかし、娘に言われるがまま、インスタのアキャウントを取得し、使ってはいるものの、これ、何が楽しいんだ?

 まったく、分からん。

 ああ、アキャウントと言うのは、アカウントの事。

 『C』の発音は、“キャ”と綺麗なカタカナ英語で発音する。

 ちなみに、赤蜻蛉あかとんぼは、『あかとんぼ』と発音する。

 『K』の発音は、“カ”だ、間違ってはいけない。

 銅を英語で発音するのであれば、キャッパー、河童かっぱを発音するのであれば、カッパ。

 癌のことをカンサーとは言わないだろ。

 キャンサー、だ。

 柿ことをキャキとは言わないだろ。

 かき、だ。

 当然のこと。


 この謎のこだわり、捨てるつもりはない。

 年をくう、と言うのは、拘りを持つこと。

 拘りの1つもないようじゃ、生きてきた価値がない。

 生きた証の1つもないようじゃ、誰かに語れる資格がない。

 人生を語るって言うのは、業務独占資格なんだ。

 そうだろ?

 拘りの深さは、顔のしわの深さに比例する。

 加齢は華麗に信念を強め、無闇やたらと妄信する。

 平たく言えば、頑固。

 叱ってくれる人間が年々少なくなるんで、そりゃ頑固者にもなるさ。

 ああ、頑固者の発音は、がんこ。

 ぎゃんこ、じゃない。


 ――え?

 分からないのかい?

 あんたも、“頑固”だねぇ。


 目が乾いてきた。

 どうも集中すると瞬きをしなくなる。

 ドライアイ、ってヤツだ。

 特にキャメラを覗いていると、普段より目が乾く、川だけに。

 瞳孔の動きが緩慢、焦点が鈍ることから川面かわもが妙に煌めいているように映る。

 コレを写真に収めたいもんなのだが、俺の目に映るこの玄妙な光景をキャメラに写す技術がない。

 誰か俺のこの川哀想かわいそうなキャメラテクにお恵みを。

 若い時に、もう少し、キャメラを学んでいれば良かった。

 まあ、俺のキャラじゃない。



 ――それにしても。


 通い詰めると分かることがある。

 川は動く。

 変化する。

 脈動する。

 生きている。

 大地を、地球が生きている証明、さながら大自然の血脈、たとえるのであれば命脈、か。


 変わらないことの喩えに、川の流れは絶えないなどと言うが、実際はそうでもない。

 渇水に涸れ、地に潜り、梅雨や秋の長雨に打たれ、濁流でうねり、その巨体をくねらす。

 夫の心と川の瀬は一夜に変わる、とはよく言ったもんだ。

 穏やかなところも猛々しいところも同じくその川の表情。

 この川のと変わる無邪気な表情が、実に魅力的。

 俺がまた、川辺を尋ねるようになったのは、この乙女さながらの表情を見たい為なんだろう。

 なんだろう、夕方のせいなのか、季節のせいなのか、やけに感傷的。



「人生は川のようなもの――か」


 不意に、そう思う。

 川は、自ら流れる先を決められない。

 今ある川筋だって、永遠のものではない。

 身を細らせくねることも、増水してのたうつことも、川自身の意思ではない。


 ヒトが自分で切り開いたと思い込んでいるその人生も、どれほどを己の意思に忠実であったのだろうか。

 何一つ確証を得られぬまま、他の流れと束ねられた川は海に達してその生を終える。

 俺もまた、多くの人々の人生の流れに委ねられ、やがて海へと帰るのだろう。


 ――ピロロロロロロッ!

 首からストラップでぶら下げたガラケが鳴って、はっと我に返る。

 いいタイミング。

 潮時。

 丁度、引き上げようかと思っていた。


 堤防の上を歩きながら、電話に出る。


「ん、どうした?」


「あッ、パパ?特売のギョーザ、四つ買っていい?」


「二つで十分だよ」


「四つ!」


 二つで十分、なんだがなぁ――

 コイツも、頑固になってきた、な。

 いや、似てきた、のか。

 アイツに。


 

 ああ――


 それでもきゃわは……流れる。



 ――おっと。

 訂正しておく。


 川の頭文字は『K』だった、な。

 いまのは、きゃんだだけ、だ。


 俺とした事が、格好悪きゃっこわるいマネをしちまった。


 アイツに笑われる、かな。

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