喫茶カテドラル(原著:戸松秋茄子さん)
「コーヒーを2つ頼む。苦いヤツだ――人生のようにな…」
――喫茶カテドラル
大聖堂と名付けられた小さな純喫茶。
人生の迷いを、店にいる
壁中、至る所に掛け時計が配されている。
その時計、全ての針が止まっている。
この店にいる間、時から解放される、そういう演出。
――カランコロン。
レトロな鐘の
黒ずくめ、いや、喪服、か。
カウンターに座るなり、その二人組、ボルサリーノのホンブルグを
やけに芝居がかった
「おい、あんちゃん!喫茶店に入って『コーヒー』なんて注文の仕方があるか」
奥のテーブルから
「いやね、あんた。一口にコーヒーったって色々あるさな。ストレート、ブレンド、エスプレッソ、カプチーノ、なっ、分かるかい?」
――また、伊藤さん達か。
本当に、困った人達だ。
「コーヒーは“コーヒー”さ。アラビカでもロブスタでもいい。無論、リベリカがあるのなら頼もしいが、何より今は苦いヤツを」
思わず僕はボルサリーノの男をチラ見し、豆を挽く。
「マスターは
グスッ――
鼻を鳴らす伊藤。
小鼻を拡げ、苦虫を噛み潰したような顔で語る。
「そら、そこが二代目のダメなところだ。
何か適当に出すつもりだったんだろ?
先代は違ったぞ。コーヒーの味も分からん奴はピシャリと追い返したもんだ」
ボルサリーノの男は下唇に手を
「だが、今は彼がマスターだ。違うのかね?」
――いえ。
僕は静かに答えた。
ふて腐れたような表情で伊藤は向かいの連れに愚痴を
何がそんなに気にくわないのだろうか。
いや、分かってはいるんだが、僕には僕の意地がある。
僕は客を選ばない。
客が僕を選ぶんだ。
だからこそ、伊藤さん達を追い返すようなマネは決してしない。
――お待たせしました。
喪服の二人組にカップを差し出す。
「バラコか」
――はい。
「マスターは、分かっているな」
ボルサリーノの男は、ハンチング帽を被った連れにコーヒーを
しかし、ハンチングの男はカップを見つめたまま手をつけようとしない。
――お気に召しませんか?
僕は客に最適なものを出す。
自負。
先代にここだけは負けない。
口にしてくれさえすれば、それが美味しいと、今一番欲しいものと分かってくれるはず。
はず、なのに――
「いや、ちょっと彼は病んでいてな」
――どういうことです?
気になったわけじゃない。
ただ、なぜ、手をつけないのか、その理由付けが欲しいだけ。
「彼はこれから出頭する。その前に一杯、俺からの
――出頭?
何やら、きな臭い話。
ガチャッ!
奥のテーブル席で灰皿とカップがぶつかる嫌な音が響く。
険しい顔をした伊藤は乱暴にカップを置き、いきり立つ。
「なんだとッ!あんちゃんら、お尋ね者か!!」
ボルサリーノを片手で押さえ、ポジションを直しながら、
「いや、違う――少なくとも、俺は、な」
「なにを云ってんだ!揃いの恰好して!」
「ただの偶然。喪服に揃いも何もない。俺は弟分の葬儀に列席した帰り。たまたま彼に
「二代目!110番だ。早く架けろ」
「少し落ち着きなよ、
「!?なんで、儂の名前を?」
「そちらのお連れさんが、そう呼んでいた」
「…とにかく、そんな話、信用できるかッ!」
ボルサリーノの男はシガーケースからコイーバを取り出し、カッターを入れ、炙る。
「爺さん、とにかく落ち着きな。まずは一服」
葉巻を吹かす。
甘い香りが辺りを包む。
「おいッ、あんちゃん!喫茶店で葉巻なんぞ吸うな!コーヒーの香りが死んじまう!!」
「バラコはコイーバの香りで死にはしない。甘い香りがコイツの苦みを引き立てる。分からないのか?」
「なにを
「――分かりました、話しましょう」
ハンチングの男が重い口を開く。
発汗しているのか、ネクタイを緩め、ハンカチで首筋を拭う。
「私はね、殺し屋、なんですよ」
――えっ!?
危ない。
伊藤さんのことを云えない。
それにしても――
どういうことなんだ。
「今まで、何人も殺してきました。しくじったことなんて一度もないんですよ、こう見えて」
こう見えても何も初めて遇った人の印象に偏見なんてない。
それにしても、なんて大胆な告白を。
あの伊藤さんが
自身でもそれが大胆過ぎる告白と悟ってなのか、やけに息苦しそうに話す。
「私はね、殺した標的に敬意を払っているんです。
命は尊い。その命を無断でいただくんだ、せめて、敬意を払いたい。違いますか?」
――なにを云ってるんだ?
内容が内容だけに、店内の空気が妙に淀む。
自身の話に興奮でもしているか。
針の動かない時計が、本当に店内の時を止めているかのよう。
「今まで殺した標的の葬儀には、必ず参列するようにしています。
ご焼香の一つでもあげなければ、その標的の命を踏み
「――…」
口をあんぐりさせる伊藤。
あまりにも現実味のない話に想像が追いつかない、そんな印象。
僕もだが――
「今まで失敗したことは一度もなかったんです。
ですが、失敗してしまいました。私も驚いているんですよ…私が失敗するなんて」
ハンチングの男の頰を
微かだが、体を小刻みに
良心の
寧ろ、悔しそうに語っているかのように見える。
それだけに不気味。
「今日の葬儀でね、故人の身内にバレてしまったんですよ。私が故人を殺害した殺し屋である事が。驚きました。彼のあまりの鋭さに。どうしてバレたのか、いまだに分かりません」
なにか様子がおかしい。
ハンチングの男は、やけに苦しそうだ。
にも関わらず、苦悶の表情。
意味が分からない。
ボルサリーノの男は、ハンチングの男がコーヒーに口をつけないのを見て、葉巻の煙をゆっくりと吐き出す。
「マスター、何か彼でも飲めそうなものを出してくれないか」
――うーん……
流石に、どのようなモノを出せば良いのか、迷う。
さっきまで客に最高にマッチしたモノを出す自信に満ちていた僕だが、場に飲まれてしまって、客に飲ませるようなアイデアが浮かばない。
「頼むよ、マスター。彼は
――わかりました、少々お待ち下さい。
いつもは、客にマッチさせる。
しかし、マッチさせる自信が全くない。
こうなったら、僕が単純にオススメするモノを出すしかない。
二階の居住スペースに上がる。
キッチンの戸棚を開け、ハーブティーの袋を手当たり次第に取り出し、机の上に並べる。
迷い迷った挙げ句、バレリアンとレモンバームを選択。
バカラ製のポットを探す。
まだ、食器かごの中。
布巾で水滴を拭うものの、雑さが否めない。
店に戻った僕に、ボルサリーノの男は低い声で問いかける。
「それは?」
――ハーブティーです。
ポットを温めながら淀みなく、しかし、微かに声を震わせながら語る。
――香りは独特ですが、
――神経を鎮め、不安を和らげてくれます。
そう云った僕の
「二代目!カテドラルはいつから茶なんて出すようになったんだ!」
沈黙していた伊藤ががなる。
うるさい
――ここは喫“茶”店です。
――お茶の一つも出しますよ!
いい加減にしてくれ。
いつまでも“親父”と比べるな。
ここはもう、僕の店、だ!
親父や伊藤さん達の店じゃない。
ポットの湯を捨て、ドライハーブを入れる。
バレリアンの腐臭にも似た匂い。
レモンバームを多めに入れて、匂いを紛らわせる。
お湯を入れ、素早く蓋。
バカラの輝きの中、
――どうぞ。
ハンチングの男は、カップを見詰めつつ、か弱く首を振る。
ダメか――
彼に、彼に合うモノを提供できない。
――どうすればいいんだ…
ガタンッ!
突然、ハンチングの男はまるで頭突きをするかのにように机上に頭をぶち当て、カウンターに突っ
思わず、反射的にカップを引き、砕かれずに済む。
一体、なにごと。
「マスター、お代はここに置いて行く。釣りはいらない」
ボルサリーノの男は立ち上がり、カウンターに一万円札を置く。
急展開に軽くパニック。
彼を置いて行くのか。
なぜ?
――待ってください、お釣りを……
彼は振り返ることなく立ち去る。
ドアの鐘の音が空しく響く。
――ちょっと、待ってください。
カウンターを
伊藤さんの絶叫が店内に
「に、二代目ッ!!!こ、このあんちゃん、死んでる!!」
――えッ!!?
カウンターに駆け寄り、ハンチングの男の様子を覗う。
背中から脇腹にかけて大量出血。
椅子にまでベットリと鮮血が
店内の掛け時計の針
まさか――
この男がバレた相手、故人の身内って、あの男だったのか?
――そうか。
弟分の葬儀に列席、確かに云っていた。
そうだったのか。
僕は彼が飲まなかった、いや、飲めなかったそのハーブティーを
苦い、いつにも増して。
口の中いっぱいに広がるその苦みに、人生を苦しみを見た。
僕が店を閉めたのは、それから程なくして。
あんなに元気だった伊藤さんも逝ってしまった。
僕にはもう、何も残されていない。
たった1つあるとしたら、それは――
――苦い経験。
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