姫騎士フィル(原著:やえくさん)

――姬騎士ひめきし


 姬騎士心得之條こころえのじょう――

 が命、吾がものとあたわず。

 王家之血、 までかげかげりて、己の身分し、御下命ごかめい如何いかにても果たすし。

 そむくもの、従わなぬもの、たがうもの、一切合切いっさいがっさい討ち滅ぼす可し。

 なお、死して墓標に刻む名無し。

 死して墓標に刻む名無し。

 灰燼かいじんし、名も無き騎士と隱世かくりよめっすものなり

 隱世に滅すもの也。



   ※   ※   ※   ※   ※



 夜の帳が落ち、ぼうの月が首をもたげる。

 今宵、禁制の幻惑密藥アーゲットアルカロイド出処でどころ確定はっきりさせる。


 くだんブツの売人を尾行けた処、なかなか厄介な場所に辿り着いた。

 ――貴族の邸宅。

 ほど

 役人達がアレだけ動いても特定みつけられい訳だ。

 特権階級にある者を探るのは難しい。

 裁くのはもっと難しい。


 そんな時の為に、、がいるのだけれど。



――半月前


 帝都、スラム街――

 さくの月がドヤ街の街明ネオンを一層、きらめかす。

 満天の星空を暗月あんげつ穿うがち、暗黒の瞳孔ひとみ中宙なかぞらに座し、静寂ひっそりたたずむ。


 禁制の“ブツ”を求め、彷徨う女。

 肌の露出はかなり多め。

 髪はボサボサ、所々薄汚れてはいるが、かなりの美形、いや、絶世の美形なのではないだろうか。

 身綺麗にすれば恐らく、上玉じょうだま、間違いない。

 娼婦、か。

 顕わになった胸元、その柔肌、左胸元には“聖十字ガラサクルス”のあざ、やけに印象的。

 凡そ、男であればその十文字の痣を忘れる事はないだろう。

 フラフラとした足取り、口許は乾き、しかし、よだれを垂れ流し、まばたきは少なめ、時折、うーうーと小さくうめく。


 ――軽度の禁断症状。


 典型的な幻惑密藥の禁断症状。

 可哀想に。

 アレに手を出したら、アレ無しでは生きてはいけない。

 麻薬とは悪魔との契約。

 金で買える悪魔の抱擁、悪魔的享楽。

 そして、悪魔に隷属を強いられる禁断の果実。


 猛禽類のそれを思わせる鋭くギラついた視線が彼女をトレースする。

 獲物を狙う眼差し。

 優男やさおとこは、ごく自然に彼女に歩み寄り、ごく自然に声をかける。


「お嬢さん、どうしたんだい?」


 心地良い低音。

 ひとえに、いい声。落ち着く印象。


 胸元をチラ見し、

「おっ?こりゃ凄い、聖十字の痣。聖痕スティグマータみたいだ」


「…――」


「…分かった分かった。欲しいモノ、があるんだろ?いいだろう。向こうで少し話そう、か」


 深夜、優男のエスコートで見知らぬ酒場にいざなわれる。

 分限者や貴族、紳士のそれとは根本的に違う、やけに馴れ馴れしいが執拗しつこくはなく、小気味良こきみいい感じで女を誘う。


 ――女衒ぜげん

 優男は、女をくるわに仲介して金儲けをする女衒。

 珍しいものではない。

 一つ、違うとすれば、彼は女を仲介する生業なりわいとは別ルートの稼ぎ扶持ぶちも持っている事。

 それが――


「ほら、幻惑密藥だ。持って行きな」


「持ち合わせ…無い」


「今日はイイ。タダでヤルよ――その代わり…」


「その代わり?」


「次の薬からは金を貰うし、俺の紹介した店で働いて貰う。大丈夫、他の処より薬の金は安く流してヤルよ。安心しな」


 ――成る程。

 仲介手数料、あたしの稼ぎに準じた割合の幾ばくかが廓からこの優男の手許に入り、且つ、薬代は別途あたしから徴収する。

 仲介料分都合がつく為、薬代を他の売人より多少安く流せる、だからこそあたしはこの男から購入した方が都合がいい。

 あたしが稼げば稼ぐ程、男への手数料は増え、薬に依存すればする程、男に薬代を支払う、そういう仕組みか。


 よく、出来ている。

 この集金システムであれば、情愛に訴える必要もない。

 女を落とす必要もない。

 落とす必要がなければ、一人当たりにかける時間も少なく済む。

 而も、病気やケアも必要ない。

 使い物にならなくなったら別の獲物を見付ければいい。

 実に効率的。


 それだけに――

 禁制。

 矢張やはり、この薬は、ダメ、だ。


「これもヤルよ」


「え?」


 翡翠ひすい首飾ネックレスを差し出し、ごく自然にあたしの首にかける。

 何故、こんな高級品ものを。


「おっ、似合うね!」


「なぜ?高い…でしょ」


「いや、いいんだって。こーゆーもんは、似合うコが着けるべきなんだ」


 屈託のない笑顔に害意は感じられない。

 何なのだろう、この男。

 訳が分からない。


「お兄さん、名前は?」


「あ?ああ、俺の名は…そうだな、。シリアだ、覚えておけ」


「…?」


「ああ、俺の故郷ふるさとの“名”さ」


「知らない土地…でも、いい響き」


「…そうか?」


「…ええ」


 ――ふふっ。

 彼はわずかに微笑ほほえんだ。

 やたらと無邪気に、悪戯いたずらに。


 何故か、憎めない――



――ぼうの月



 満月――

 夜襲にはもってこい。

 いや、そんな暴力的な事を心算つもりは毛頭ない。

 いつ、だって、そう。


 あたしは、暴力、が嫌い。

 一方的に“告白”されているだけ。

 暴力があたしに、付き合え、と。


「フィル様ッ!こういうの、ワクテカしますね」


 生け垣の中、隣で藻搔もがく少女。

 モニカがいつも通り、うずうず、している。


 彼女、出身は暗部やみわだ

 漆黒の対刃軽装ケブラーメイルに身を包んだ出で立ちながら、その行動は無駄に派手で闊達かったつとて隠密おんみつ向きではない。

 困った仲間はいか

 張り込みは慣れているというので連れてきてみれば、案の定、緊張感の欠片かけらもない。

 遠足キャンプに来た幼子おさなごようにキョロキョロと周囲を見回し、鼻をすすっては首筋をき、落ち尽きない。

 まぁ、異様な緊張感の中、此方こちらの気がかすまぎれ、余計に集中力が高まるので、る意味、良くはあるのだが。


「モニカ!この姿の時、その呼び方はしてはいけない、って言っているでしょ!と言うか、それ以前に、あたしの名前はフィルよ、フィ、ル、!」


 不用意な発言、たしなめる。

 この子、いつになったら覚えるのかしら。

 端麗風雅甲冑ドレスメイルまとう今のあたしは、フィルシア、ではない。


「ごめんなさい。フィル様ッ♪」


「ダレがゴリラじゃ!フィル!今のあたしは、フィ、ル、!」


 ――テヘッ。

 かわいく謝ってみせるが、本当に反省しているのかどうか、全く怪しいものだ。


 実の処、張り込みは得意じゃない。

 売人の優男は、屋敷の中で何者かと話し込んでいる。

 その話が、兎にも角にも、長い。

 お前は、教頭先生、か!

 話がなげーんだよ!

 あらっ!

 あたしとした事が、はしたない。

 オホホホッ――

 売人の跡を尾行けて物証を得ようとしているのだが、何はともあれ話が終わらず。

 モニカがいなければ、早々はやばや飽きてを黒史書ポエムでもつづっている処。

 まったく、、ですわ。


「あッ!?フィルシリア様ッ!」


 不図ふと、モニカに袖を引かれる。


「え!?なにナニ?」


 モニカは、じーっとハシビロコウさながら、右方向を注視し、微動だにしない。

 そそがれる視線の先、松明たいまつを手にした警邏けいらの姿。

 月明りの照明は、その男の呆気あっけに取られた間抜まぬづらを、明け透けに映し出す。

 あたしも釣られて阿保面あほづら丸出し。

 あ、あたしの美貌が…


「見つかっちゃいました♡」


 含羞はにかむ、モニカ。

 なに、こいつはかわいい顔してんのよ、もー!


 警邏の男と視線が交錯。

 遠距離とはいえ、視線が重なる。


「な、何奴ッ!!」


 なにやつ、とか言われちゃったよ。

 もう、どうすんのよ、この子は。

 あたしの“美学”が崩れて行く…


「うン!見られちゃったら、しょうがないッ!SHOWショーがなッ、It'sイーッ!!!」


 モニカは茂みから躍り出てて、警邏の男のもとに走りに寄る。

 あっ!

 この子はまた、勝手に。


 ――電光石火。

 身構えるより早く、モニカはその拳で男の鳩尾みぞおち肝臓レバー、金的を立て続けに打つ。

 間髪入すかさず、手刀を延髄に入れ、前のめりになった男の鼻っ面に右軸足の左後ろにクロスさせた左足のかかとで蹴り上げダメ押し。

 力なく崩れ落ちる警邏の男。


「――侵入者だ!出会え、出会えーッ!!」


 叫び声が上がる。

 他の警邏にも見付かってしまったようだ。

 それだけ警邏が多い。

 貴族の邸宅とはいえ、これ程までに厳重な警戒、矢張り、間違いない。

 ここに“ブツ”がある。


「あちゃ~…ゴメンちゃい♪」


 舌を出して謝るモニカ。

 ほんと、かわいいコ!

 いやいや、かわいい、とかそんな場合じゃない。

 複数の足音が聞こえる。

 明らかに貴族の私兵らしき者達が集まりつつある。


 どうする?

 逃走――

 売人との接触に邸宅への出入り、この警戒の有様ありよう、ほぼ確実にブツの出処である事は確か。

 逃げ落ち、事の顛末を伝え、ガサ入れさせるのが吉。

 併し、物証がない上、相手は貴族。

 その特権を振りかざされれば、捜査の手は頓挫とんざし、ブツのルートは複雑化されてしまう可能性さえ考えられる。

 ブツを押さえておかなければ逃げおおせるのは、あたしじゃなく、相手のほうこそ。

 ここで取るべき行動は一つ。


 ――あたしが裁くフィルフィールジャッジメント


 ハッ!

 思わず、決め顔をしてしまった。

 あたしとした事が、はしたない。

 ドヤ顔は、誰かに見せる迄、取っておかねばならないのに。

 流石さすがに気分が高揚し、自分に酔ってしまいましたわ。

 オホホホッ――


 ――ガサッ!

 えっ?


「とーぅ!」


 モニカは屋敷の裏庭に勢い良く飛び出す。

 両手を伸ばし、軽く跳ね、ハンドスプリングからエアリアル、ロンダート、バックフリップと流れる様に庭の中央へ。


「ちょ、ちょっと、待ちなさいよ!」


 この子、また勝手に飛び出した。

 しかも、あたしを差し置いて。

 慌てて、モニカを追って裏庭に。


「どうしたのだ?」


 屋敷の天蓋付露台テラスから見知った売人と邸宅の主人らしき人物が庭を覗き出る。

 屋敷の主人に見覚えがある。

 王宮の社交界で何度か見掛けた顔。

 悪趣味な毒々しい色使いの服飾、でっぷりとした体格、分厚い唇に黄金の差し歯、金細工の付いた片眼鏡モノクル、その脇の鼻筋にある大きないぼ状の黒子ほくろ、似合わないカイゼル髭、まばらな頭髪、異常に長い五指。

 間違いない、典薬寮てんやくりょう付薬生の一人、アミド子爵。

 一度見た人間は決して忘れない。

 それが、あたしに下された職責への回答。


其方そちは何者ぞ?」


「愛されず、祝福されぬまま闇夜に捨て去られ、はや十と四つ。

 生まれの証さえ立たない、このあたしが何の因果か帝国の手先。

 許された名すら定まらず、今のあたしはフィル

 “月下の騎士”フィル。またの名を“隠密騎士”」


「ほ~ぅ。その騎士殿が身共みどもにどのような御用が」


 子爵は売人に目配めくばせ。

 売人は親指と中指を摺り合わせ、指パッチンフィンガースナップ

 屋敷内外からゾロゾロと私兵がつどう。

 装備はマチマチ、思い思いの兵装を纏う。

 明らかに公的な兵士の類ではなく、悪漢破落戸ごろつきの類。


 売人を指差し、

「禁制の品“幻惑密藥アーゲットアルカロイド”の密売人の其処許そこもとを追って参った次第。

 罪を認め、大人しく弾正台だんじょうだいに出頭すれば、あたしの名をもって助命嘆願、今なら寛大な処置で済まされよう


「…俺を追って、だと?俺は只の御用商人。言い掛かりはしてくれ」


 下手な芝居。

 あたしに気付いてはいない。

 女の顔を一々覚えていないのだろう、か。

 否、覚えていたとしても、こんな場所にいるとは思うまい。

 それが彼の記憶に蓋をする。


「プァ~ッハッハッハッ!騎士殿、大きく出られましたな?帝国の忠臣たる身共が帝国の禁ずる品を扱う訳がないでしょう。

 皇帝陛下に誓って、身共の潔白を宣言致しましょう」


 何とも白々しい。

 いやしくも陛下に誓ってなどのたまうとは。

 許せない。


さて、騎士殿。有らぬ疑いを着せるだけに留まらず、身共の敷地に許可無く立ち入った件については、どう釈明なされるお心算つもりか?

 帝都にあればこそ、陛下より貸し与えられた土地とは言え、身共は貴族。貴族の敷地であればこそ治外法権、身共の領内と等しく、いみじくも私法が通るのですが、騎士殿はご存知であらせられるか?」


 無論、よく知っている。

 これこそ、並の役人や騎士では手が出せない理由。

 貴族同士とて、他領にあってはその特権を行使出来ない大権、それが貴族の領法。

 だからこそ、がいる。


「偉大なる帝国の慈愛と恩寵おんちょうを踏みにじないがしろにする悪党共、てめぇら許さない!」


「!?――騎士殿、いや、お嬢さん。あんまりわしをナメていると、痛い目に遭うぞ」


 私兵共が躙り寄り、距離を詰める。

 包囲する様に辺りをぐるり。

 兇刃を舌舐めずりし、更に間合いを詰める。

 一足一刀の間合い。


って仕舞しまえ」


 被せ気味に、

「モニカッ!」


Iアイよ!」


 取り囲む私兵の兇撃を、尋常ならざる体術でくぐり、次々と打ち倒すモニカ。

 人間の弱点を的確に打つ、蹴る、ひしぎ砕く。

 ――殺戮美獣ザ・ビースト

 人の姿をした破壊兵器。

 獣の様に本能の赴くまま、狩りをする。

 モニカは、そう“訓練”されている。

 貴族の私兵ごとき、して破落戸風情に遅れを取る事は万が一つにも無い。


 二人を取り囲む私兵が次々と倒され、焦る子爵。

 売人に振り向き怒気を乗せ命じる。


「家来共を全て呼び出して参れ!後、先生もだ!」


「…は、はい」


 屋敷の中に急ぎ入る売人。

 追うにしても、いまだ私兵が立ちふさがる。

 モニカの戦闘術に逡巡たじろぎはするものの、包囲を解かない処、なかなか忠誠は篤い。

 否、単に子爵の力をおそれているだけか。


 間もなく、屋敷から売人に引き連れられ、新手の私兵が続々と現れる。

 何と言う数だろうか。

 一貴族の屋敷に配するには多過ぎる警備の数。

 明らかに、尋常ではない。

 それが何よりも、禁制品を扱っている証拠。


 そして、驚くのは、新手の兵の後に出て来た男。

 見覚えがある。

 それもそのはず

 あれは、先代剣聖ザ・ブレイドの十三人の高弟の一人、“迷い殺す”ヴァジュラ・ヤーン。

 秘剣“無明剣アヴィディヤ”の使い手。

 帝国の英傑えいけつの一人。

 既に引退したとは言え、何故、あれ程の使い手がこんな処に。


 ――モニカでは荷が重い。


 モニカは手練てだれ。

 併し、それは隠密として。

 対群衆として雑兵の類であれば一人で百人を殲滅する程。

 だが、相手が対個人に特化した達人クラスともなれば話が違う。

 況して、剣匠の中の剣匠、ヴァジュラ・ヤーンが相手となれば止めなければ。


「モニカッ!アレを」


I々アイアイさッ!」


 モニカは女騎士の脇に近寄り、懐をまさぐり、印章シンボルを取り出す。

 印章には聖龍サン・リー聖十字ガラサクルスが刻まれている。

 まぎれもなく帝室の紋章。

 而も、その最上位を表す金柏葉・宝剣・金剛付、且つ、帝室の血族を示す王冠を被った双頭の鷲が刻印されている。


「えーい、控えぃ、控えぃ!此方こちら御座おわす御方を何方どなたと心得る!

 畏れ多くも帝国大君が第二皇女、フィル様にあらせられるぞ!」


「…フィルだ!!」


 嬉々として語るモニカだが、どうにも詰めが甘い。

 どうしてこうも、物覚えが悪いのかしら。

 ――そう。

 隠密騎士フィル、今語っているフィルは、世を忍ぶ仮の姿。

 その正体は、帝国皇帝第二皇女フィル本人。


「ハッ!!?」


 私兵はおろか、売人も先生も子爵さえも目を丸くし、口をあんぐり。

 子爵は、はっ、と目を見開く。

 思い出したのだろう。

 皇宮であたしの姿を見ているのだから、こちらから身元を晒せば、忘れよう筈もない。


「――フィルシア様ァッ!!!こ、こッ、これは、トンだご無礼をっ!!」


 ――平身低頭。

 流石に貴族とは言え、帝臣。

 帝室の、況して、皇帝直系の姫を前にしては、頭を下げるしかない。


さて、薬生アミド子爵。先も申した通り、素直に弾正台に出頭せよ。

 三度みたびは云うまい。分かっておろう」


 売人が口を挟む。


「…禁制品なんて存じ上げません」


 優男はあくまでもシラを切る。

 仕方ない。

 左手で胸元を開く。

 その胸元には大きな痣、聖十字ガラサクルスと翡翠の首飾りが映る。


「忘れたとは言わせない。見覚えがあるだろ、


「!?…お、お前――」


「そう、フィルと名乗ったのは、あなたを覚えておく為」


 売人が力なく項垂うなだれる。

 子爵は小刻みに震える。

 畏れったか、小悪党め。

 これで万事、上手く行く。

 ――その筈、だった。


 だった、のだが――


 禿頭とくとうを下げたまま、

「――クプッ、クププッ。偉大なる皇帝陛下の姫君、フィル様程の高貴なる御方が、こんな夜更けに身共の屋敷に小娘一人をお供に訪れよう筈がのぁ~い!」


 何を言ってるんだ、この男は。

 印章を見せただろう。

 この印章を偽造する事等出来やしない。

 それだけでも十分。

 なのに、何故この男は。

 気でも違ったのか。


 頭を上げ、その血走った狂気の眼差しを向け、

「プァ~ッハッハッハッ!至高の大君の姫君の名を語る不埒者ふらちものめっ!

 何処どこ女狐めぎつねとも分からん、このフィルなる狼藉者ろうぜきものを斬り捨てよ!!!」


 ――そう、来た、か。

 追い詰め過ぎた。

 物証でも押さえていれば、この男をここ迄追い込むには至らなかったかも知れない。

 併し、今となっては何もかも遅い。

 あたしの存在を“消し”に来たのだから。


「モニカッ!あの剣士以外を相手にしなさいっ!

 アイツは、あたしが相手をするから――」


I々々アイアイアイさーッ!」


 モニカは増援された私兵に向かって走り出す。


「先生、お願いします」


 ヴァジュラは、ゆらり、と前に出る。

 滲み出るオーラは無数の刃を纏っているかの様。


 姫騎士は、子爵の脇から一歩踏み出た剣匠と対峙。

 鋭い眼光は月明かりを受け、益々、燃え上がる。

 ぞくり、と背筋をつく。

 冷や汗が伝い、鼓動が高鳴る。

 鯉口こいくちを切るヴァジュラが重い口を開く。


「姫君。それがしの事は存じておろう」


「無論」


「それでも退かぬと?」


「道理が無い」


「では、一人の騎士としてお相手進ぜよう。某を呪う事なかれい。呪うのであれば、ご自身の運命をば」


匹夫ひっぷに成り下がった剣客けんかく等、呪う価値すら値しない」


「――では、参る」


「来なさい」


無明之刃アヴィディヤ!」


 ――ザンッ!

 爆発的な踏み込みは獰猛な虎の狩りさながら。

 満月に照らされ映す自身の影すら、ヴァジュラの姿を追えぬ程。

 僅か一歩が20フィート

 フィルシアの脇に旋風つむじかぜを残し、通り抜ける。

 背中越しに血振ちぶりをし、納刀のうとう


 帝国の敵である猛者共を数えきれぬ程斬り捨ててきた必殺の無明剣。

 無明とは、迷い。

 迷いがあれば剣筋は鈍る。

 その迷いごと斬り裂くのが無明剣。

 ヴァジュラの剣筋に一切、迷いはない。

 譬え、相手が皇帝の姫であっても。

 それ程の手練れ。


「…良い手合わせでした」


「――ええ」


 ――バシャァァァァーッ!

 打ち上げ花火の様に大量の鮮血がそらを染め、舞い散る花片はなびらの如く辺りを埋め尽くす。

 ばたり、と倒れるは、剣匠ヴァジュラ。

 力無く一言。


「“剣聖”とお手合わせ願え、恐悦至極きょうえつしごく……」


 ヴァジュラが倒れるのを目の当たりにしてパニックにおちいる子爵。


「ば、ば、ばっ、馬鹿なッ!?ヴ、ヴ、ヴァ、ヴァジュラがやられた、だとぉーッ!!?」


 驚く子爵の前にモニカがひょいっと顔を出す。

 ギョッ、として尻餅をつく。

 きょろきょろと見渡せば、家来は全て打ちのめされている。


「当たり前じゃん!フィル様は、現剣聖ザ・ブレイド。ゴリラより強い、ホンモノのゴリラ姫よ!」


「ヒッ、ヒィッ!」


「寝てろ、このハゲッ!」


 顔面にグーパン。

 子爵は鼻血を吹き出し、片眼鏡が割れて破片が顔中突き刺さり転倒。

 痙攣して泡を吹く。

 似合わない自慢の髭を引き千切り、ふっと吹き捨て、モニカはおどける。

 ついでに、子爵の黄金の差し歯を抜き取り、ポケットにそっと仕舞う。

 その手癖の悪さ、治しなさいよ、まったく。


 フィルシアはモニカに近付き、頭を撫でつつ、髪をわしゃわしゃ。


「フィル、あたしはフィル。後、ゴリラじゃない」


 ――テヘッ。

 舌をちょろっと出して首をすくめるモニカ。

 もう――

 かわいい、んだから。


 さて、と。


 後始末は――

 誰か、呼ぼう。

 このきったない子爵オッサン、運ぶのだし。

 なんか、くさそう。

 あらっ、あたしとした事が、はしたない。


 ――あっ!


 売人、あの優男が、いない。

 逃がした。

 あたしとした事が情けない。


 仕方ない。


 あの男を追おう。


 今度逢う時は――


 ――綺麗な服を着て。

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