第33話 失われたもの

「きちんと製本されてるじゃない?」

 お父さんは意外という顔でそう言った。

「わしの父親か祖父がしたのかもなぁ」

「これなら状態がいいな」

 お父さんは見るわけではなく、パラパラと本をめくった。

「ふうん……」

 なんだか難しい言葉がたくさん出てくるみたいなので、ぼくには読めないことがわかった。おじいちゃんも無理なので、本の解読はお父さんに任せた。


「たまには3人でグラナスに会うか」

 と、なぜかピクニックのようにぼくたちは階段を下りた。

「グラナスさん、起きてる?」

「おおー! 今日は3人そろって! 努、久しぶりだな、元気か?」

「済まないね、なかなか時間がなくて会いにこれなくて」

「いいんだよ、努と過ごしたあの時間はわしにとって貴重な宝物だし、今はむかしのお前みたいな誠が来てくれるからな」

 ドラゴンの表情は読み切れないけれど、たぶん、うれしくて笑ってた。


「なるほど。召喚の儀式を使うわけか」

「やったことあるの?」

 ぼくはたまらなくて声をかけた。

「今とは逆だよ。わしはこの塔の屋上に舞い降り、ここに描かれていた魔法陣に召喚されたのさ」


 お父さんは黙って聞いていた。が、聞きたいことがあるようだった。

「まだすべてを読んだわけじゃないんだけど、つまり召喚にはある程度の魔力が必要?」

「そういうことになるな」

「この辺りも街からは外れているから、まだマナがある方だと思うんだけど」


 グラナスさんが話を遮った。

「努、そうじゃない。マナは減ったよ、ずいぶん。わしはこうしていい待遇で暮らしているからまだ生きながらえているがな。他の幻獣たちはほぼのこってないじゃろう」

「じゃあどうしろと?」

「わしの魔力を使うんだよ」


 みんなが黙った。

 グラナスさんには魔力があるってこと? 確かに魔力があるから、ブレスを吹いたりできるのかもしれないけど。


「わしも幻獣である以上、多少の魔力は持っているよ。それだけでは不十分かもしれないから、努は本をよく読んでくれ」

「もちろんそうするつもりだよ」


 グラナスさんは遠い目をして、通風口を見た。

「空の高さも、海の広さも忘れてしまったなぁ」

「グラナス……」

 お父さんは彼の名前をつぶやいた。ぼくはなんと言ったらいいかわからなかった。


「ここに着いたときの気持を思い出すのは難しいほど、長くここにいたな。しかし、どこかに行くには年老いてしまった。お前たちの気持ちがうれしいよ。少しでも外に出られるなんて、考えたこともなかったよ」

 ははは……と笑ったグラナスさんの口から、炎はこれっぽっちも出なかった。


「しかし、これだけマナが減ったということは、わたしの愛したものはたくさん絶えたということか」

「グラナス……言いにくいことじゃが、わしが生まれた時よりもなお、世界は刻一刻と変わっているんじゃよ。こればかりは避けられんな」

「そうだよなぁ、空き地も減ったし、むかしは田んぼや畑、山だったところも住宅地に変わってるしなぁ」


 お父さんはぼくを見た。

「誠にも、あの頃の野山を見せたいなぁ!

 今よりずっと、虫もいたしな 」

 ぼくには昔のことはわからない。でも、本当にグラナスさんが望んでいるものは、すでに失われてしまったものなんだってことはわかった。


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