第28話 留守番電話

プルルル、プルルル、プルルル……

「Please tell me your name……」

 プーッ、プーッ、プーッ


 誰からなのか、恐らくわたしの知っている誰からでもない電話に出る気になれずに、見殺しにする。


 イタズラ電話を防止するために、わたしは英語で留守電のメッセージを入れてある。どうせ昼間にかかってくる電話なんて、セールスか何かに違い。


「誰が出てやるものか、こっちは風邪で休んでいる振りをしているんだぞ」

 風邪を引いたと嘘をついて会社を休んだわたしは、すっかり病んだ気分でいた。


 わたしはベッドに甘えながら、携帯電話のアドレス帳を眺めていた。仕事中にあの人に電話をしたことはない。

 長電話は苦手。わたしもあの人も、電話は用件だけしか話さない。はたから見ていると、とてもそっけない会話なんだろうなぁとは思う。


 でも、2人にはそれが似合っているように思えた。


「似合ってるって、何が?」

 自問自答。


 留守電にメッセージを入れるのも苦手だった。何も言わずに切ってしまう。でもそれって、どうなの?


「ただ、苦手なだけ? それとも、わたし、わたしって……」

 ズルい女?

 悪い女?

 もしも、他の誰かに聞かれたら困るから?

 自問自答。


「そんなんじゃ、ないんだから、そんなんじゃ……ない」

 わたしは何もズルしていない。

 わたしは何も悪いことはしていない

 誰にも迷惑はかけていない。

 本当にそう?

 でも、それなら、どうしてこんなに苦しいの?

 自業自得。


「苦手とか、そういうんじゃなくて、ただ、臆病なだけなのかな」

 ズルい女にも悪女にもなれない。でも彼を失うのは怖い。

 自暴自棄。


 わたしは目をつぶって、そして携帯の発信ボタンを押した。呼び出し音が3回。

「只今、留守にしております。御用の方は、ピーットいう発信音のあとに、ご用件をお入れください」

「わたしでーす。今日会社サボっちゃったぁ。特に意味はありません、明日には無事、出社するでしょう。では、ガチャン!」

 

 プーッ、プーッ、プーッ


 彼の家の留守電は、あの人の声が入っている。それが一字一句、機械と同じことを言っている留守電であったとしても、わたしはどうしても彼の声が聞きたかった。そして、どうしてもわたしの声をそこに残したくなった。


「こんなもんか」

 そう、たったこれだけのこと。わたしは初めて彼の留守電にメッセージを入れた。もっと不安な気持ちになるかと思ったけど、驚くほどなんともない。むしろなんともないことに驚いていた。


「こんなもんなんだ……って」

 わたしの声はかすれて自分でも聞き取れなかった。口は確かに「ふ・り・ん」と動いたのに、声に出して言うことはできなかった。

 

「今夜、電話かかってくるなぁ。で、最初はきっと『ゴメン』っていうんだろうな。謝ることなんかないのになぁ」

 あの人に謝ってほしくはなかった。でも、きっとあの人はそうするにちがいない。でも今やさしくされたら、わたし、きっとダメ。


 ダメになっちゃう。


 わたしの妄想は止まる事がなかった。妄想しているのか、夢の中なのか、区別がつかないうちに、気がつけば外は薄暗くなり、夕闇が迫ってきていた。


 夜は怖い。今夜こそ、眠れるはずがない。


「電話、しておこう」

 携帯を手に取り、電話をする。

「あ、部長、すみませんでした。お休みいただいちゃって」

「おー、大丈夫か? 風邪か? お前が風邪ひくなんて、今年の風邪は本当にタチが悪いんだなぁ。いいぞ、明日も休むなら」

「あ、いえ、大丈夫です。明日は、必ず行きますから、今日は本当に、スミマセンでした」

「そうか、まぁ、それならいいが、無理はするなよ。こっちは大丈夫だから」

「はい、ありがとうございます、部長。では、失礼します」


 彼にかけるつもりで、また、わたしは逃げてしまった。

「もう! わたし、何やってんだか……」

 携帯をベッドの上に放り投げ、両手で髪の毛をかき乱す。

 今日も、長い夜になりそう。


グー、キュゥゥゥ……。

「やだ、こんなときにも、お腹は空くのね……」

 冷蔵庫は空っぽだった。

 わたしは身支度をして、外に食事に出ることにした。


キィィィ……バターン!

 玄関の扉が閉じる音

カチャ、カチャ

 カギを閉める音。部屋の中は静寂に包まれる。

 寒さ震えて小走りになった足音が玄関から遠のいていく。

プルルル、プルルル、プルルル……。

「Please tell me your name……」

 留守電に切り替わる。

「もしもし、ゴメン、寝ているの……かな……ゆっくり休んでね、おやすみ」

 プーッ、プーッ、プーッ。

 再び部屋の中は、静寂に包まれた。


 わたしがレバニラ炒め定食を食べて、買い物をして帰ってその留守電を聞いたのは、8時前だった。

 あの人にしてはいつもより帰りが早いと思いながら、あの人の家に電話をかけるも、誰も出ない。

 今度は留守電をいれずに、携帯にメールをした。

”ごめんなさい、買い物に出ていました”

 数分後返信が来た。

”大丈夫? 外から留守電確認した。まだ仕事中、行けなくてごめん”

”そんなことできるのね。こっちは大丈夫。お仕事頑張ってください”

”ごめんね、またあとで”

”はい、おやすみなさい”


 眠れるはずはないのに、遅くなってもいいから、電話をかけて欲しいのに、わたしは嘘をついた。

 あの人は毎日、外から留守電をチェックしていたんだ。


 それは、わたしのために?

 それとも……


 部屋の時計が、切ない時間を刻んでいる。

 わたしは電気を消して、布団をかぶり、何も考えたくない、何も思いたくない、何も感じたくないと駄々をこねたが、無駄な抵抗だった。


 携帯を手に取り、”眠れない”と入力して、それを3回消して”ありがとう”と入力してメールを送った。


 わたしの為ではなかったことでも、わたしは、わたしのものに、したかった。

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