第26話 ぐるぐるまわって
「会えない誰かを、遠くで思うようなせつなさってさぁ――」
手元の作業がひと段落し、大きく背伸びをした瞬間目に入ったアッコに向かって思わず語りかけてしまった。
「え?」
アッコは小動物のように驚いた表情でこちらを見ている。
「あっ、いやぁね。ちょっと思い出したんだけど、あの時の感じって、なんかこう、胸に穴が開いたような、変な感じだよね」
わたしは椅子の背もたれを抱きかけるように後ろ向きに座りなおし、後ろの席のアッコに話しかけた。
わたしは出口の見えない迷路から開放されたい一心で、心のわだかまりの断片をあちこちにばら撒き始めていた。
そんな自分に嫌悪感を覚えながらも、誰かに言わずには、いられなくなっていた。
「えーっと、先輩、そっちの担当は、私ではないかと……」
確かに。
この手の話をするのはいつもサッチンかキヨミだったが、あいにく今日はふたりとも外出していた。
「わかっているわよ。わかっているからこそ言っているんじゃない」
「はぁ……」
誰彼かまわずコイバナを仕掛ける先輩と見られようがどうだろうが、今はそんなの関係ない。
「アッコはそういうの、ないわけ? 片恋にもがき苦しんだりとか、会いたくても会えない人がいたりとか」
「えーっと、ですねぇ、遠距離恋愛とかはしたことないというか、そういうこと事態が、あまりないというか……」
「ふぅー、まぁね、アッコは純情だからそんなことがあれば、ショックで寝込んじゃいそうよね。神様は、そんな事がないように、乗り越えられない試練は与えないってことなのかねぇ」
我ながらメチャクチャなことを言っていると思う。
「えーっ、でも、それって、越えられる人には次から次へと試練の連続ってことなんですか?」
アッコのそういう発想、わたしは好きだ。
「おいおい、この子はなんてことをいうのかねぇ。わたしゃもう十分苦しんできたからもうないよ。ないったら、ないもん」
アッコは可愛いタレ目のパンダのマグカップを両手で大事そうに抱えて口元に運ぶ。その所作がとても可愛い。
「先輩の神様って、意地悪で自分勝手な存在なんですね」
「恋愛の神様がもう少し慈悲深くて思慮が足りていたら、失恋をテーマにした名曲や恋愛小説で世の中が溢れることはなかっただろうね。もしかしたら創作の神様と恋愛の神様は裏で結託して、人の恋愛の邪魔をしているのかもしれないわね。くわばら、くわばら」
わたしが冗談で言ったことも、アッコはまじめに受け止める。
「それ、面白いですねぇ、なるほど恋愛の神様と創作の神様か……、なるほどなぁ」
アッコは恋愛の神様よりも創作の神様の方に愛されているのかもしれない。天は二物を与えず、創作に才ある者は、恋愛が苦手なのだろうか――わたしはどうなのだろうか……。
「で、そっちはどうなの、創作の神様に愛されている?」
「えー、今のところは、結構いい感じで愛されているみたいで」
今のアッコにとってはそれが一番なのだろう。
「おー、それは何より」
「先輩はどうです? 恋愛の神様を見方につけられそうですか?」
わたしは眉をひそめて答えた。
「今、その恋愛の神って奴と戦っているところよ」
「先輩ならきっと勝てますよ」
「ありがとう、ゴメンね、仕事の邪魔しちゃって」
「いいえぇ、恋愛の相談相手とか、わたしじゃ役不足ですけど、お話を聞くらいはいつでもできるので、また、みんなで焼肉食べに行きましょうね、先輩」
「そうだね。ひと段落したら、また、みんなで、ぱぁーっとやろうか」
恋愛の神様――はたしてそんなものがいるのだろうか
だとしたら、わたしはいったいどんな罪の贖罪を求められているのだろう。わたしはあの人に何一つ不満がない。あの人はわたしに優しくしてくれる。守ってくれる。充たしてくれる。でも……
名古屋のどこかで、遠くあの人を思っている人がいる。
彼女はきっと、いついかなるところでも、彼のことを思っているに違いない。
思い出の場所、思い出の日、思い出の歌……もう、目に映るもの全てが、あの人への想いへとつながって、せつなくて、苦しくて……
それでもわたしはあの人を失うのが怖かった――ただ、ただ、怖かった。
怯えていた。震えていた。一人の時は、いつも。
会えない時間が多ければ多いほど想いは募る。会えばその想いをあの人はすべて受け止めてくれる。そしてあの人と離れたときから、今度は罪の意識がわたしを苛む。
そしてまだ、それに耐えられなくて、また、あの人に、会いたくなる。
まるでメビウスのリングの中で心の表側と裏側をぐるぐると回るような目眩。
出口は見えなかった。
神様、お願い、どうか教えてください。
あの人を愛することは試練?
それとも罪?
神様は、意地悪そうに沈黙を守っていた。だからわたしは、いまのまま、ぐるぐるまわることにした。
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