第25話 Automatic

 じりじりと照りつける熱さにやられて、気分はすっかりブルーになっていた。

 夏は嫌いじゃない。

 でも都会の夏はどこか無機質で、今年は特に永遠に続く悪い冗談のような暑い日々が続いた。

 あっという間に7月はすぎ、とうとう恐怖の大王は現れなかった。

 1999年7の月に人類が滅亡するという予言は、予言をした人が外したのか、彼の残した予言の言葉を解釈した人が間違えたのかはわからないが、少なくともわたしにとっては、外れてくれてよかったと、感謝こそしないが、ほっと胸をなでおろすくらいの出来事ではあった。


 あの人と、まだ会うことができる


 今はそれだけで十分だった。


「先輩は夏休みいつとるんでしたっけ?」

 お昼、キヨミとランチに出かけた。

 食欲もうせてしまうような暑い日が続いていた。こういうときはキヨミの豪快な食べっぷりを見て、胃を刺激してみようと、焼肉屋のランチにきていた。

「まだ予定組めてないのよ。キヨミは田舎に帰るんだっけ?」

「はい、私は名古屋に帰ります」

「名古屋かぁ……」

「名古屋が、どうか、しましたか?」

 ついついあの人のことを考えてしまったわたしの顔を不思議そうにキヨミが眺めている。


「い、いやぁ、なんでもない、ただ、名古屋に行ったの、いつ頃だっけなぁって、思い出していただけよ」

「そうですかぁ、まるで思い人でも名古屋にいるような表情していましたけど……前に別れた彼氏がいるとか?」

 キヨミはサービスカルビを焼きながら鋭い質問を繰り出す。

 

「別れてなんかないですー」

「あれあれ……先輩、やっぱり名古屋に何かありますね」

 相変わらずうかつなわたし。

「こ、こらこら、何もないって、あるわけないじゃない、もう!」


 キヨミとはほかの女子とは違ういくつかの『秘密』を共有していた。

 どういうわけだか2人きりになると、年下のキヨミがわたしの聞役になる事がしばしばある。

 昼休み、営業や打ち合わせで外に出ることの多いわたしは、内製スタッフとランチを取ることはめったにない。

 特にこの時期は多忙を極め、女子といえども深夜まで作業が及び、出社が遅れることもあって、みんなバラバラな時間に食事を取っていた。

 アッコは急ぎの仕事を徹夜でこなし、今は仮眠している。サッチンはそのデータを持って、部長と新規の顧客へのプレゼンに出かけていた。キヨミと2人きりというシチュエーションは、思い返せばかなり久しぶりだった。


「先輩……、彼氏さんと、うまく、いってない……とか?」

「あー、えーと、そういうことじゃないのだけど、なんていうか、自分の中の問題というか……」

 あの人のことはサッチンしか知らない。だけどキヨミにはわたしの日ごろの態度から、男性の影を感じていたのかもしれない。

「先輩でも、恋愛に臆病になることあるんですね」

「いやいや、むしろ、わたしは恋愛に対して臆病なのがデフォルトのパラメーターよ」


「先輩、お肉焼けていますよ」

 キヨミに言われるがまま、肉を網から取り上げる。 

「もしかしてマリッジブルーってやつですか?」

「なんで、結婚もしてないのにブルーやねん!」

 キヨミは何事もなかったかのように美味しそうに肉をほお張る。

「最近、ため息つく回数多くなっていますよ。先輩」

「えっ、そっ、そんなに!」

「嘘ですよ、ほら、お肉、冷めちゃいますよ」

「はい、すいません……」

 

 なんだかほっとする。

 キヨミは年下のクセして、まるで姉か母親のように振舞うときがある。

 そんなキヨミを前にすると、なんだか心が楽になるような気がした。


”お肉は焼きたてが一番美味しいんですよ。恋愛と同じです”


 いつだったか、女四人で恋愛談義に花が咲いたとき、もくもくと飲み食いしていたキヨミがボソッと言った名言である。


 わたしはひどくその言葉が気に入っていて、キヨミもそれは知っている。直接それを言わないところが、キヨミらしくて、頼もしい。しかしやられっぱなしも尺に触るので、反撃を試みる。


「キヨミはどうなの? 地元で同級生とかに会ったりするわけ?」

「それが先輩、実は恐怖の盆休みなんですよ」

 キヨミの箸が止まる……これはよほどのことだ。


「なにやら親戚筋から御見合いだのなんだのと、面倒な話が持ち上がっているらしく、今回はその火消しに行くことに……」

「お、御見合い、こりゃまた、大変だわぁ」

「でしょう、先輩。もう、これだから田舎ってイヤッ!」

「そういえばキヨミの家って、結構それなりの名家だとか言っていたっけ?」

「もう20世紀も終わろうとしているときに、これですからね。私は御見合いよりも新しいwindowsとか、i-モードの方が気になります」

「まぁ、IT系の会社に努める女子としては、正しいが……そんなこといっていると、あっーという間にオバサンになって、嫁のもらい手なくなるわよ」

「大丈夫です。私、先輩の歳までには、絶対良い人見つけますから!」

「なによ、その挑戦的で無礼なモノ言いは」


 久しぶりにお腹一杯ご飯を食べて、大声で笑った。


 でも、やっぱり気になってしまう。

 『名古屋』と言う言葉は、わたしの胸に小さからぬ穴を開けて、そこから隙間風が抜けていく。


 こんな状態、いつまで続くんだろう。


 憂鬱な夏は、表向きは穏やかに、内側では嵐のようにわたしの心をかき乱していた。あの人が名古屋に残してきた人のことを考えると、わたしの中の何かがざわざわと騒ぎ出す。


 まるでAutomatic…… 

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