第17話 ねぇ

『ねぇ、わたしのこと、どう思っている?』


 そんなこと怖くて聞けなかった。

 もしあの人の答えが、わたしの期待通りの言葉だったとしても、わたしはそれを信じることができるのだろうか?


 或いは望んでいない、悲しい答えだったら、わたしは苦しみに耐えられるのか?

 わたしにはわからなかった。


「どうしたの? そんな顔して」

 あの人はわたしの顔を覗き込むようにして、やさしく、そして意地悪そうな表情で微笑んでくれる。

 見守られている――今はそれで十分。わたしは不安な気持ちを心の奥にしまいこもうと見栄を張る。


「べーだ。どうせ そ・ん・な・顔ですよーだ」

 ずるいよ。

 わたし、わかっているんだから……。

 最近、あの人が物思いにふける回数や時間が増えている。

 わたしが、こんな顔をするのは、あなたのせいなのに……。


 或いは会ったときからずっとそうだったのかもしれない。

 あの人の心の一部は、ずっとどこかに置きっぱなしだったのかもしれない。

 一緒に過ごした時間が積み重なればなるほど、その不安はわたしの中で大きくなっていく。


 不安――あの人を失うことは怖い。でもそれだけ?

 この不安の正体は、わたしの中の……。


「そんな顔をされると、ますます好きになっちゃうだろう」

 彼はずるい。

 わたしは……。

 わたしはもう、彼なしでは生きていけない。

 だからわたしは、わたしの中のもうひとりのわたしを、殺した


「もう! いつもそうやって!」

「そうやって――なに?」

「もう! ズルいんだから!」

「そうだよ。ボクはズルい男。こんな素敵な女性を独り占めできるなんて、ズル以外のなんでもないよね」

「もう! だから、そういうのやめてよねー」


 わたしは始めて彼と出会ったときのように顔を赤らめ、甘えるしかなかった。


「あの時も、そんな顔してたね」

「あー、そう、そう。いつか聞こうと思ってたの。あのときキャベツを選びながら、『これしかない』とかいってなかたっけ? あれ、どういう意味?」


 彼はしばらく天井を見上げる――彼は何か思い出したり、するときに必ず腕を組みながら上のほうを見上げる。


 「あー、あれね。うん、あれはね――」

 そして照れくさいとき、彼は決まって右手で頭を書きながら話す。


 「――僕は、野菜炒めと焼きそばしか、料理できないんだよ」

 あの人と一緒に過ごすようになってから、ご飯は必ずわたしが作っていた。

 そして食事の後は、あの人がおいしいコーヒーを入れてくれる。


「えー! じゃー、毎日野菜炒めと焼きそば食べてたの?」

「流石に毎日じゃないけど、どうもコンビニの弁当っていうのは好きになれなくて」


 確かにあの人はしっかりしているようで、どこか生活感がない。

 きっと身の回りの世話は、全部家の人に任せていたのだろう。

 それはきっと面倒見のいいご両親、そしてそのあとは……


「ねぇ、今度、料理教えてあげようか」

 わたしは自分がまた、何かを考えて不安な気持ちになるのがイヤで、思いついたことをそのまま口に出して言ってしまった。


「うん、あまりできのいい生徒じゃないけど、先生と呼ばせてもらうよ」

 あっ、しまった!

 わたし、そんな……、人に料理を教えるなんてありえない。

 わたしが人に料理を教えるなんて家族が知ったら、きっとひっくり返って笑うことだろう。


「ねぇ、ちょっと、その先生とか言うのは……、やめない?」

「やめないっ! 先生、どうか、よろしくお願いします!」

 きっとあの人は他の誰かにこんな風に甘えたりはしないのだろう。

 甘え方が、ぎこちない。


「ねぇ、もう、ちょっと、やめてよねー」

 なにをやっているんだろう、わたし……。

 わたし、いったい、なにがしたいのだろう……。

 わたしはあの人を……自分だけのものにしたかったのかもしれない。


 だからあの人との思い出を一杯作りたかったし、彼が料理や洗濯といった身の回りの事が苦手なら、それを教えてあげることで、自分の色に染めることができるような気がしていた。


 だから2人で映画を観たときも、サントラのCDを買ってあの人の部屋で一緒に聴いた。


 スティーブン・タイラーのバラードは、2人の思い出の曲になったし、『アルマゲドン』は今まで見た映画の中で一番好きな映画になった。


『ねぇ、わたしのこと、どう思っている?』

 ちがう

『ねぇ、わたしのこと……好き?』

 ちがう

『愛してる?』

 ちがう


 本当に聞きたいことは、わたしのことじゃない。

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