第16話 募る想い

 幸せに感じれば感じるほど、あの人を身近に感じれば感じるほど、わたしはどうしようもなく不安になった行った。


 あの人と会えないとき、気を紛らわすのにとても苦労した。

 わたしはすっかり「恋」を煩い、愛に溺れていた。


「先輩、最近変ですよ」

 来た。サッチンよ。どうしてこの娘はこうもするどいかな?


「ナニがよ、ナニが?」

「だって先輩、最近ため息、多いですよ。知ってます? 人はため息をつくたびに、なんだかが逃げていくそうです?」


 自慢げに、誇らしげに、不完全な格言を言うのがサッチンの流行らしかった。


「お、おい。そのなんだかって言うの、なんなのよ? それを言うなら幸せが逃げてくだろうよ」


「さすが先輩! 何でも知ってるー! で、先輩はどんな幸せを逃がしたんですか?」

 

 し、しまった! 完全にはめられた!

「に、逃がしてなんかいないワイ!」


「えー、じゃー、もしかして今――、幸せの真っ最中なんですか? ずるい、ずるいー。私たちを差し置いて先輩だけ幸せになるなんて、約束が違うじゃないですかー」


 う、うん? いつそんな約束をしたっけ……。

 っていうか、なんかすっかりバレバレな感じなんですけど。


「わかった! わかりました。わかったからもう勘弁してくれー。白状する。白状するからもう少し時間をおくれ、もうひとつのため息の原因を先に片付けちゃうからさ」


「もうひとつの原因って……。あー、例のキヨミが担当しているプロジェクトの話ですか。なんかいろいろとややこしいことになってるみたいですね。部長も頭抱えてるとか」


 これはもうひとつの2000年問題だ。ミレニアムイヤーに向けてWEBページを大幅にリニューアルする企業はたくさんある。

 コンピューターの性能アップとオペレーションシステムのヴァージョンアップ、更に電話回線の何倍もの通信速度を実現したデジタル回線のサービスが東京23区で開始された。


 ”ブロードバンド時代の到来”

 モニターの画面にそう銘打った提案書が映し出されている。


 我が社もそういったクライアントをたくさん抱えているのだが、中にはなかなか企画内容が固まらない案件もある。


 クライアントからすればWEBの製作など、企業の様々な活動の中でも、まだまだ優先順位の低い分野である。


『これからはWEBの時代が来る。紙のパンフレットよりもWEBの商品説明力は圧倒的な情報の量と鮮度を送ることができる』


 などと、最初はみんな鼻息が荒い。

 しかし、何事にも新しいことは、理解を得るのが難しいし、決済の必要な部署や手続きなど、会社全体としての広報なのか、商品開発や企画営業やユーザーの抱え込みなのか。


 ”なんでもできるということと、なんでもやるということは、イコールではない”

 これは部長がよく使う言葉なのだが、それを実践するのは、それはそれでイコールではないのである。


『WEBになんでそんなに予算がかけられるのか』とか『専任の担当はつけられない』とか、問題は様々。そういった問題をクリアしたとしても、『社長の一言で一からやり直し』などということは日常茶飯事。


 この年度末はまさにそのピークのようなものだった。


「わたしたちってさぁ、結構最先端なことしてるのにさぁ。相手の頭の中が旧式だとどうも話がかみ合わないのよねぇ。流行に敏感な業界のトップ企業と話をするときはまだしも、老舗とかなると、まぁ、用語一つ一つ説明しないといけないし、大変なのよねぇ」


「この前なんかぁ、ちゃんとページが表示されていないとか、クレームの電話がかかってきたんですけど、結局お客さんの使っているブラウザーの設定が悪くて……。まぁ、それもお客さんが悪いかといえば、そんなことないですしねぇ」


「おー、サッチンもだいぶ大人になったじゃん。前はすぐに『キィィィー』とか『ビィエェェェン』といってわたしに泣きついてきてたのに」


「そりゃぁ、もう、頼りになる先輩の一部始終を見てますから。お客さんの対応の仕方も覚えますって」


 おいおい、この子はずっとわたしのことを観察してるのか?


「は、は、は、なんかこう、うれしいような怖いような話だね。それ。道理で最近背中に視線を感じるわけか」


「はい、先輩のことなら、何でも聞いてください。わたし何でも知ってますよ。口紅の色を変えたのは、やっぱり彼氏さんの好みとかですか?」


「そんなんじゃないって、彼は……」

「ははは、先輩、また引っかかっちゃいましたね」

 負けた、完全にわたしの負けだ。


 いっそサッチンやアッコやキヨミに打ち明けてしまったら楽になるのだろうか。

 でもそれはやっぱり許されない。


 これはわたしとあの人の問題、そしてあの人の……あの人を待っている人との問題なのだから。


 はやく、彼に、会いたい

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