第8話 恋いしたっていいじゃない!

 ”恋したっていいじゃない!”


 今日のわたしはそんな気分だった。

 部屋を勢いよく飛び出し、街の中に繰り出した。


 ついこの前まで疎ましく思えたクリスマスムードの町並みも、今日のわたしには楽しげに映って見えた。


 こんな日は素敵な洋服に出会えるかもしれない――行きつけのブティックをあれこれ見て回る。


 財布の紐がゆるくなる。


”お願いワタシを手に取って”

 ワゴンセールに出されたかわいいアクセサリーたちがわたしを見つめる。


”ワタシのほうが、あなたに似合うわよ!”

 店の中の洋服たちがいっせいにわたしに声をかけてくる。


”恋したっていいじゃない!”

 いつかきっと、あなたたちの力を借りて、わたしは素敵な人に出会うの。


 でもそうね。アナタは少し前のわたしには似合ったかもしれないけど、今のわたしには必要ないわ。


 あー、見つけた!


 アナタ、今日のわたしの気分にぴったりよ。

 店の中に流れる音楽は、すべてわたしのために選曲されたみたいに心躍らせる。


 OKいい?

 じゃあ、次のリクエストはね――ノリノリのあの曲にして頂戴!

 わたしの横で楽しげに買い物をしているカップルにプレゼントしたいの


 恋したっていいじゃない!

 時間は誰でも平等に流れていく。

 早く感じたり、遅く感じたりすることはあっても、それはあなたがそう思うだけ。

 わたしがそう思うだけ。


 過去を振り返るのも、前を向いて歩くのも、それはあなたの、そしてわたしの自由。


 爪先立ちで背伸びをして

 少しばかり遠くを眺めてみれば

 目の前のつまらない現実に

 心捕われることなんかないんだよって――素敵なあの歌は、わたしに教えてくれた


 両手に荷物をいっぱい抱えたわたしは、さながら友だちに荷物を持たされてトイレの前で待っている人のようだった。


 そんなわたしをあなたは――彼は見つけてくれた。


「こんにちは、すごい荷物だね? あっ、友だちの荷物を持ってあげているとか?」


 神様、いや、仏様、いや、大明神様……。

 わたし、どうしたらいいんでしょうか?


「いえー、これは、あのー、全部あたしの荷物で……」

 彼は優しくわたしに微笑んでくれた。


「すごいなぁ、僕にはマネできないや」

 今日のこの日、この瞬間を忘れない。

 あの人の、はにかんだ笑顔を忘れることなんかできない。


「あっ、あのー、この前は……、ありがとうございました。わたしぜんぜん気付いてなくて」

 荷物が多すぎて、きちんとお辞儀ができない。


 駅前の交差点。


 信号が青に変わろうとしている――お願いもう少しだけ時間を頂戴。


「ははぁ、調子に乗って買い過ぎちゃいました」

 ちがう、そうじゃない、他に何か言う事があるでしょう!

 もう、どうしよう、信号がかわっちゃう。


 あの人の視線が信号機へ写った。


「ああ、じゃあ、なんかいいことでもあったのかな? 自分へのご褒美ってやつだね」


 いえ、いまがまさにご褒美タイムです。お願い時計を止めて!

「ところでキミはこの町の人?」

「いえ、あ、えーと、でも5~6年になります。ここに住んでから……」

 しどろもどろに答えるのが精いっぱい。


「この辺にコーヒーの専門店とかあるかなぁ? 引っ越してきたばかりで、まだよくわからないんだ。豆を切らしちゃって……」


 わたしには心当たりがなかった。


 インスタントコーヒーしか飲まないわたしには、コーヒー豆のことなどわかるはずもなかった。


「ごめんなさい、わたし、インスタントしか飲まないから……」

 あっダメ、信号変わっちゃったよ。


「そう……、へんなこと聞いちゃったね。じゃぁ」

 彼は人波に少し遅れて交差点を渡しだした。


 わたしはまるで動く事ができない。


 追いかけなきゃ、追いかけないと……。

 お願い振り向いて!



 ”恋したっていいじゃない!”


「あのー、よかったら一緒に探しませんか?」

 わたしはとうとう一歩前に出た。


 フラフラとよろめきながらも、クラクラになりながらも、それでもわたしは一歩前に踏み出した。


 あの人の大きな背中めがけて……。

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