第7話 涙の数だけ
「うわー、もうこんな時間」
土曜の朝のわたし――誰にも見せられない。
100年の恋も冷める瞬間は毎週この時間に訪れる。
もっとも今は余計な心配、無駄な努力だと目の前のわたしがマヌケな顔でほくそえんでいる。
”あーあー、今日はまた、一段とおいしゅうございますなぁ~”
「う・る・さ・い。黙って仕事しなさい」
鏡の仕事はいつも完璧だ。
常にありのままのわたしを映し出す。
だから嫌いだ。
ぼさぼさの髪の毛をくいっと一まとめにする。
冷たい水で顔を洗い最高に不細工な顔で鏡を睨みつける。
”間違っても男の人には見せられない姿ね”
わたしは鏡に向かって怒ったりおどけたり、泣いたりわめいたりしながらコンディションを整えていく。
「よし、お腹すいたー」
どうにか身なりを整えてから冷蔵庫の中を物色する。
いつもはがらーんとしている土曜の朝の冷蔵庫の中は、相変わらず食材で一杯だ。
「たまにはやりますか」
タマネギ、ニンジン、ジャガイモ……、そしてキャベツとウインナー。
あー、エプロンエプロンっと。
静岡の実家を出るときにお母さんが買ってくれた寸胴鍋。
「こんな大きい鍋、一人暮らしには必要ないよ」
どうも自分が料理をしている姿が今ひとつ想像できないでいるわたしをお母さんが茶化す。
「なにをのんきなこと言ってんの? いつまで独り身でいるつもりなのよ、あなたは」
母は笑いながら人を刺せるタイプの人間だ。
「そんなこと、今言う話じゃないだろう。母さん」
父がメガネをかけなおしながら助け舟を出してくれた。
「そうやっていつまでも娘を甘やかしていると、老後の面倒を見てくれる人がいなくなりますよ」
船は途中で座礁した。
お父さん、お母さん、今のところ期待に添えず、こうして一人でがんばってます。
”随分と久しぶりだね。お嬢ちゃん。1年ぶりかな?”
「そんなことなぁいぃ! パスタ茹でたのは確か……」
”パスタ、ラーメン、うどんにそば……麺類みな兄弟”
「だまって仕事なさい!」
鍋のふたを閉める。
鍋はぶつぶつを不満を漏らしながら湯を沸かす。
「えーと、確かこんな感じよね」
やると決めたら確かな手際で迷いはない。
どうせ食べるのはわたしだけ。
少し塩加減を多めにして、昨日の夜、涙と一緒に流した塩分を補給しないと。
「どーよ、なかなかのものじゃない!」
お腹がすいていたからか、塩分が足りなかったからか、今日のポトフはなかなかのものだった。
昼真っから料理をしたのは久しぶりだ。
気分は上々。
ちょっと寒いけど、窓を開けて外の空気を部屋に招きいれた。
「うー、寒い……、けど気持ちいい」
全ては「あの人」へと繋がっていた、昨日の夜のことも、ポトフと作ったことも、そして気持ちのいい冬の空が広がっていたことも。
「洗濯したら、買い物に行こーかな」
洗濯機は無口だ。
黙々と仕事をこなす。
でも気分が乗ってきて鼻歌を歌い出すと、掃除機はいつもわたしを小馬鹿にする。
”それいつの曲だい? 随分懐かしい曲だよね。あー、そこ、音が違うよ。そこはね――”
「もう! 邪魔しないでくれるー! せっかく気分よく歌ってるんだから」
久しぶりにおもいっきり家事をやった。
なんだかウキウキしているわたしに部屋の中も騒がしくなっている。
”なんかいいことでもあったのかしらね?”
”さーて、どうかしらねー”
化粧道具たちはこそこそと噂話をしている。
かぼちゃが馬車に変わる瞬間、これは恋の魔法?
それともいたずら好きな天使のキッス?
「夢見る少女の出来上がり!」
ってわたし、何うかれてんだろう……。
見事にメイクが決まった。
こういう日は何かいいことあるかもしれない。
「涙の数だけ女は強く、美しくなるの」
季節外れの冬の蝶々。
冬の空がこんなに気持ちがいいだなんて、誰も教えてくれなかった。
「さて、いきますか!」
季節外れの冬の蝶々。
冬の空に独りぼっち。
誰かに捕まえて欲しいのに。
誰もわたしを気付いてくれない。
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