第6話 孤独な蝶々

 肉は正義だ

 肉の前では誰もが平等であり、正直になれる

 

 しゃべり出したら止まらないサッチン。

「わかる、わかるよサッチン、それで、それで、そのあとどうしたの?」

「先輩わかってくれますぅ? 彼ったら、そのあと3日も電話くれなかったんですよぉ、もう信じられないでしょう!」


 ひたすら聞き役のアッコ――わたしがマイクを向けないとずっと黙っていそう。

「でもさぁ、そういう時ってさぁ、なんか微妙なんだよねぇ、キヨミはどうおもう?」

「えぇっ、わたしですかぁ? わたしはそういうの、どうしたらいいかわかんなくて、こめんなさい」


 すぐにサッチンがマイクを奪う。

「もうなんでアッコが謝るのよぉ、そういうところ良くないよ。男ってすぐ漬け込むんだから」

「あのー先輩、肉系、まだいけます?」

 ひたすら肉を食らうキヨミ。

「あー、もうわたしはパス、ベルトのあたりがそろそろやばいかも」

「じゃあ、私、カルビ1人前追加で、あとレモンサワー。みなさん飲み物は?」

「キヨミまだ食うんかい。わたしゃあんたがうらやましいよ。どんな胃をしてるんだか」

 そしてわたしはひたすら突っ込み役を演じる


 ああ、もうお肉も酒もサッチの話もお腹一杯だ。

「さぁ、そろそろお開きとしましょうか!」

「あれー、今日は先輩の話を聞くんじゃなかったんでしたっけー」

 サッチンがこれ以上余計なことを言わないように、わたしはとっとと会計を済ませる。


 少し飲ませすぎたか。

 やたらとわたしに絡みつく、可愛さあまって肉食い放題。

 お前は本当に可愛い後輩だよ。


「いーの、いーの。それは今度のお・た・の・し・み」

「わー、やだー、先輩か・わ・い・いぃ」

 そういうサッチンのほうが数倍可愛いんだってば。

「何言っているのよ。酔っ払いにいくら褒められてもその気にはなれないわよ」

「先輩、もっと素直にならなきゃだめですよ! それにしても、どーして世の中の男どもは先輩のこと放って置くんですかねー」


 沈黙……そこはだれか突っ込め!

 しかたがない、ここはアイコンタクトでキヨミにパス。

「こら、もう、調子に乗って飲みすぎるんだからサッチンはー」

 こういうときにキヨミは頼りになる。


 彼女はどんなに食べようともどんなに飲もうとも、前後不覚になったたりはしない。

「先輩、大丈夫ですから。サッチンと帰る方向、途中まで一緒なんで」


「そう、もし大変そうだったらタクシー使っていいからね。領収書くれたらわたしが何とかするから」

 いや、そんな力はわたしにはない。


 世の中にはついていい嘘といけない嘘があるとか……。

 実際そんな領収書は、まともに出したら突っぱねられるのがオチ。


「さすが先輩、頼りになるー」

「くれぐれも他言無用だからね」

「あいあいさー」

 まぁ、わたしもいざとなったら部長に泣きついてしかるべき対処を願い出るまで。


 キヨミはどこか大人びているというか達観しているというか、もくもくと飲み食いしているだけと思いきや、その場の話はたいてい覚えているし、二人っきりになるといろいろと身の上話もしてくれる。

 ”あいあいさー”と敬礼しながら返事をするのは、キヨミの前の彼氏が気に入っていたポーズらしいことを聞いたのは、去年の今頃だったっけ……。

 これはキヨミとワタシだけの秘密。

「じゃーね」


 こうして彼女たちと別れた。

 別れて5分。

 駅に着く頃にはすっかり余韻は冷めていた。

 電車に乗って一駅。


 すでに気分はブルーになっていた。


「素直じゃない……かぁ。なれるわけ、ないじゃない。小娘相手に……」

 少しお酒を入れてみんなでワイワイやれば、気もまぎれると思ったわたしが馬鹿だった。

 小娘って誰?

 サッチン?

 それともあの娘?

 気をまぎらわせる?

 いったい何から?


 わたしは「わたし」に対しても素直になれなかった……。


 だってなれるわけがない。

 最寄の駅の改札を出る。


 家までは10分ほどだが、ここは比較的夜でも人通りが多い街。


 部屋の前に着くまでにわたしの胸が苦しくなった回数は3回だった。

「わかっているわ。そう。嘘よ。これはどっちかといえばついてはいけない嘘なの?」


 わたしは自分自身に嘘をついていた。

「あの人の顔を覚えていないんじゃない。思い出したくないだけ……。だって、だってそっくりなんだもん。先輩と……」


 学生の頃に付き合っていた陸上部の先輩の面影を思わせる男性の姿を見かけるたびに胸が痛くなる。

 帰り道を急ぐ人影の中に、いつの間にかあの人の姿を探してしまう。


 そして先輩の影を追いかけてしまう。


「よし、泣くか!」


 わたしは本棚から一冊のマンガを取り出した。

 中学生のとき、友達同士で回し読みをしてみんなで泣いた。


 このマンガを開くと情景反射的に涙が出てくる。

 ブルーな気分になった時は、思いっきり泣けばいい。


 わたしはこうして数々の難関を乗り越えてきた。

 そしてきっと夢を見る。


 一人寂しくさまよう蝶々の夢を……

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