第3話 ダンスはうまく踊れない

「あのー、糸くずがついてますよ」

 近所のスーパーに買い物に来ていたわたしは、いつもの倍はする高いキャベツとにらめっこをしていた。


「えっ?」

 不意に後ろから声をかけられて、ビックリしたのもそうだけど、その男性が買い物カゴを床においてわたしの頭に糸くずの着いているというのを身振り手振りで教えてくれようとしているのだが、鏡ではないので、右なのか上なのか左なのかパニックになってしまいさながらジャスチャーで伝言ゲームをしているかのような様相になってしまった。そしてついに――


「失礼」

 彼の大きな手がわたしのあたまについている茶色の糸をつまんでくれたときは、多分少女漫画の主人公が憧れの先輩に声をかけられてオドオドしているような様になっていたに違いない。


 ――思い出すだけでも顔が赤くなる。

「あー、あー、すいませ……あ、ありがとうございます」


 謝ることではないのに、あまりにも――突然だったので、つい「すいません」と言いかけて慌ててありがとう言い直した。


 彼は糸くずをわたしに見せて、「どうぞ」というような目でわたしを見つめた。

 慌ててそれを受け取るわたし。


「キャベツ、高いですよね」

 それはもう、わたしの体温を上げるのに十分な素敵な声で彼は言った。


「あー、そうですね。買うかどうか迷っちゃいますよね」

「しかし、迷ってもこれしかないから……」


 そういって彼はキャベツひとたまを軽々と片手で掴み、キャベツをひっくり返して芯を眺めた。


「うん、これにしよう。それじゃ」

 そういえば聴いた事がある。


 キャベツの選び方――

 芯が大きすぎるとダメなんだっけ……。


 そうじゃない、糸くず!

 なんで糸くずなんか……


「あっ……あのときか!」


 夕方に打ち合わせに行ったクライアントはアパレル関係の会社だった。わたしはホームページを作成する会社の営業担当。クライアントの商品をいろいろと見せてもらったのだが、たぶん、そのときに体のどこかに着いたのか……。


 商品の撮影などをおこなったので、随分と遅くなってしまいその日は会社に戻らず、自宅で資料をまとめるつもりだった。


 なんにしてもその会社からここに着くまでの1時間弱の間、わたしは頭に糸くずをつけたまま、電車を乗り継ぎここまで歩いて来たことになる。


 なんという失態……

「あれ? 糸くずは……どこ?」


 わたしの手にはしっかりとその糸くずが握られていた。

「これって『運命の赤い糸』ってやつ? でもわたしの糸は、赤じゃなくて茶色なのね」


 わたしは一歩踏み出して、少しばかり高いキャベツを買うことにした。

 12月。スーパーには『年末セール』の文字が躍っている。どこかふさぎがちだったわたしの心は、少しだけ踊りだしたような気がした。

 ただそのダンスは少しばかりぎこちない。


 わたし……

 ダンスはうまく踊れない。

 部屋に着き、買ってきた肉屋や野菜を冷蔵庫にしまう。


「あー、やだー、わたし、なにこんなにいっぱい買い込んでんのよー」

 冷蔵庫の中は一杯になっていた。ひときわ目立つのはキャベツひとたま。


「誰が食べるのよー」

 わたしは男の人が食べる姿を見るのが好きだった。だから冷蔵庫の中にはすぐに炒めて食べられるような食材が入っていた。

 誰かとつきあっているときは……


”おい、どうした、新しい男でもできたか?”

 冷蔵庫が不敵にわたしに問いかける。


”もうすぐオレもお払い箱か? 大型冷蔵庫に買い替えられてスクラップかいいところリサイクル……”

バターン!

 冷蔵庫に八つ当たりをする気はないが、話を最後まで聞いてあげる義理もなかった。 


 さっきまで浮かれていた自分が急に疎ましく思えてきた。

「なに考えてんだろうー、わたし」


”恋は焦らずよ”

 テーブルに置きっぱなしのマグカップが囁く。

 そうえいば、前に使っていたマグカップはその時付き合っていた人とお揃いだったけ、心配しないで、もう、そういう子供っぽいことはしないし、あなたはわたしのお気に入りよ。


 いったいどんな人なんだろう?

”きっと素敵な人よ、また会えたらいいね”


 考えずにはいられなかった。

 その日、寒がりのわたしが部屋の暖房を付け忘れていることに気付いたのは、シャワーから出たときだった。


 また、会いたい

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