第3話 謎の声と家族団欒

「弥五郎。さっきからなにをぼーっとしているんだ?」


 伊与が話しかけてきた。


「やはり、頭でも打ったのではないか? ……うん、こぶはできていないようだが」


「あ、いや」

 心配してくれる幼馴染に向けて俺は、ぎこちない笑みを浮かべる。


「ごめん。本当になんてことないんだ」


「……ふむ? そうか。それならばいいが」


 伊与はそこで、やっと柔和な表情を見せた。


「とにかく悪かった。次はもう少し手加減して投げ飛ばそう」


「投げ飛ばすのは確定なの  そりゃないよ!」


「ふふっ、それだけ元気に怒鳴り返せるのなら、本当に怪我はなさそうだな。安心したよ」


 伊与は優しく目を細めた。

 その愛らしい笑顔を見て、俺も思わずくすっとする。

 彼女が、俺の身体を案じてくれているのが嬉しかった。


「弥五郎、そろそろ夕暮れ時だ。家に帰ろう」


「うん」


 俺は伊与と連れ立って歩く。

 歩きながら、思う。どうもまだ混乱している。

 とにかく現状をもっと把握しよう。この戦国時代でどう生きるか、決めるのはそれからだ。




 大樹村は、山間にある。

 西に目を向ければ尾張中心部へ続く道が伸びていて、南北と東に目を向ければ、樹木が生い茂っている山々しか見えない。

 そう、樹木といえば、村の中心部には大木がそびえ立っている。樹齢は何百年だろうか。村の名前の由来にもなっているらしい。

 村の特徴といえば、これくらい。要するにごく平凡な村だ。

 村人たちは農作業をしたり、わらじを編んだり洗濯をしたり、平和な日常を送っている。

 まあ戦国時代とはいえ、年中戦争をしているわけじゃないしな。


「私も強くなったものだ」


 伊与がくちびるを開いた。


「相撲で、弥五郎にあっさりと勝てるようになった。半年前はもっと苦戦していたのに」


「そう……そう、だったな。伊与はすごく強くなったよ」


 不思議なことだが、いまの俺には、小さいころから伊与と過ごした記憶が確かにあった。

 それだけじゃない。両親や村人と過ごした12年分の思い出もある。いまの俺は、山田俊明でもあり弥五郎でもあるのだ。

 戦国時代の少年・弥五郎に、ある日突如、前世の記憶がよみがえった。そう表現するのが、いちばん正しいように思う。


「ふふ、だがな、私はもっと強くなるぞ。そして大身の侍になるのだ」


 そう、伊与の夢は侍になって活躍し、華々しく出世することなんだ。

 子供のころから何度も聞かされていて、ぶっちゃけ耳タコだ。


「この調子でいけば、あと3年だな」


「3年? なにが?」


「私が侍になるまでの時間さ。待っていろ。村が金銀で溢れ返るほど、大出世するからな」


「そりゃ、でっかい夢だ。相変わらず伊与は、すげえことを言うなあ」


「なあに。――身寄りのない私を育ててくれた義父様と義母様と村への恩返しを思えば、それでもまだまだ足りないくらいさ」


 伊与は、少しだけ真面目な顔で言った。

 が、すぐに相好を崩す。


「まあ3年後を待っていろ。私が弥五郎を養ってやるからな。働かなくても食っていけるぞ」


「や、養われ――それじゃ俺、ごくつぶしじゃないか。だめだろ、それ!」


「楽でいいじゃないか。なにが嫌なのだ?」


「い、嫌っていうわけじゃ――ただ、幼馴染から養ってやるって言われても複雑で」


「私から見れば、お前は弟のようなものだ。いいだろう」


「よくないよ! いつから伊与が姉ちゃんになったんだ?」


「昔からだ。私は弥五郎より年上だし」


「1日だけだろっ!?」


 そう、伊与は俺よりも1日だけ、生まれたのが早かったのだ。


「それでも年上は年上だ。姉は弟をかばい、守り、慈しむものだよ? なあ、弥五郎」


「ちぇっ、イバりやがって」


 苦笑を浮かべつつも俺は思った。伊与の夢は本当に立派だ。


 戦国時代で戦場に出るのは男ばかりってイメージがあるけど、女も戦場に登場して戦っていたんだよな。

 徳川家の鉄砲隊を構成するメンバーは女性が多かったという記録もあるし、男よりも女の兵のほうが勇敢に戦ったという手記まで残っている。女性でも活躍した武将っているしな。井伊直虎(男って説もあるが)、立花誾千代、成田甲斐、吉岡妙林尼、などなど――


 と、いかんいかん。叔父譲りのウンチクが脳内を駆け巡ってしまった。

 そう、俺は歴史を知っている。叔父さんから武具の作り方について習ったとき、その武具がなぜこの世に登場したのか、その背景も一緒に教えてもらったもんだから、歴史についてはそれなりに詳しいつもりである。


 ……しかし危ねえなあ。いまの知識、もししゃべっていたら完全に予言者だ。変なやつだって思われるぞ。

 反省したそのときである。


『――その……があれば……お前は……』


「えっ 」


 妙な声が頭に響いた。

 な、なんだ?


 慌てて周囲を見回す。

 しかし俺と伊与以外、誰もいない。


「どうした、弥五郎」


「いま、変な声がしなかったか?」


「いいや? ……大丈夫か、弥五郎。本当に頭を打ったのではないか?」


「い、いや、怪我は本当に平気だよ! ごめん、変なことを言って!」


「そうか。それならいいが。……さあ、本当に帰るぞ。義母様からどやされないうちにな」


「あ、ああ」


 声のことは気になる。だが、いまはどうしようもなさそうだ。

 とにかく家に帰ろう。帰りが遅くなると、伊与の言う通り、母ちゃんに怒鳴られるからな。




「こんな時間までふたりとも、家の手伝いもしないで、どこをほっつき歩いてたのっ!?」


 残念、手遅れ。

 家に帰った瞬間、母親のお杉から、カミナリが落ちてきた。


「やることなんて山ほどあるのに、まったくなにをしてたんだい。……なに、相撲? そんなことをする暇があるなら薪まき割わりのひとつでも手伝いなさい!」

 

「お杉、もういいじゃないか」


 隣で、怒鳴る母親を止めに入ったのは俺の父親だ。

 名前は牛松。


「弥五郎も伊与も子供なんだ。そりゃ相撲くらい取るさ、なあ?」


「お前さんは甘すぎますよ。だいたい子供とはいえ、12歳にもなった男女が相撲なんてやっているのもはしたない!」


 ごもっともな説教である。

 しかし12歳の俺なら、 歳の女の子と組み合った事実に、もっとこう、ヤバいなあ、なんて思ってもいいはずなんだが……。

 あまり恥ずかしさとか感じないな。メンタルが思春期突入前の12歳男児に戻っている感じだ。魂が29歳とはいえ、脳みそが12歳だからかもしれない。

 脳だって肉体の一部だ。知識は前世から受け継いでも、精神の構造が12歳の状態になっていてもおかしくはない。


「ああ、もう。お侍なら元服も近いというのに。父親がこんなことじゃ困ります……!」


「まあまあ。しかし弥五郎たちも、あまり遊び回るんじゃないぞ。ふたりの姿が見えないもんだから、お杉はついさっきまで、なにかあったんじゃないかって顔を蒼くして――」


「お、お前さんっ。お説教の途中にそんな話を挟まなくてもいいじゃありませんか」


「義母様。……私たちのこと、心配してくれていたのか?」


「当たり前でしょうが。反省しなさいっ」


「は、はい」


 母ちゃんに怒鳴られ、伊与はしゅんとなる。

 怒る母に、なだめる父。小さくなる幼馴染。

 俺はこの光景を眺めながら、なんだか温かなものを感じていた。

 ……なんかいいな。ほっとする。こういうの、久しぶりな気がするよ。

 仕事に明け暮れ、友達付き合いもほとんどなく、両親を数年前に亡くし――

 しまいには叔父の孤独死まで経験してしまった俺は、心からそう思ったんだ。

 そうだ。自分に必要だったのは、まさにこういう、ありふれた団欒だったんだ。


 俺は、この時代で自分がやるべきことを決めた。

 出世はいらない。歴史を変えようとも思わない。

 ずっと、家族と一緒に過ごしたい。

 せっかく転生はしたけれど。

 ……それでもいいじゃないか。


「弥五郎。伊与。ちゃんと反省したか?」


「「した」」


「よーし、それじゃ父ちゃんがふたりに餅をやろう」


「お前さんは、また甘いことを……」


 俺と伊与は餅を喜んでむさぼり頬張る。

 父ちゃんがくれた餅は、気持ち硬めで、だけどもなぜだか、とっても甘かった。

 だがそれでも、その日の夜。薄い寝具の上で寝ながら、俺は考え続けていた。

 あのときの謎の声。あれはなんだったんだろう?

 分からない……。


 ――その謎に対する答えが出たのは、わずか数日後のことだった。 

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