第13話 准山
道智達は茂木の港で、船を見つめていた。惠瓊の計画が成功すれば、船から明かりがともされる手はずであった。小太郎がハタで船に渡ってから二時間ほど経っている。
「准山殿、どうであろうか」
道智から話が出た。信頼している惠瓊と身内のような小太郎の身が心配なのだ。 准山も苦虫をかみつぶしたような変な顔をしている。
その時、南蛮船からものすごい音がした。南蛮船が大砲を撃ったのだ。その砲撃は茂木港に向けてであった。大砲の弾は岸壁の手前に大きな水しぶきを上げる。
道智達の目の前だ。思わず僧達は退いた。
南蛮船の艦砲である「フランキ砲」であった。この大砲は左馬之助の父大友宗麟がつかった国崩しと呼ばれる物であった。この大砲の射程距離は直線で八百メートルもない。遠くを撃つには山なりの放物線で撃つ。それ故に正確な照準は望めないのだ。
しかし、その音と着弾した時の威力で、威嚇するには当時十分だったのである。水しぶきでびしょ濡れになった道智と准山は顔を見合わせた。
「道智殿、もう一度策を練ろうぞ、あの者達を見殺しには出来ん」
准山は南蛮船をにらみ付けている道智の袖を引っ張って促した。
「皆の衆、この近くの清川のお堂に参るぞ」
准山は冷静な男であった。その聡明さに皆従っているのだ。音も立てずに山伏の一団と道智達は消え去った。
茂木港の夜が明けた。
家々が途切れた広場には、馬に乗った男達が十人ほど集まっている。その一団の中で、ヨーロッパ式の甲冑に身を包み、緋色の飾りで馬を飾り立てた男がひとりいた。左馬之助であった。
「よいか、皆の者、サタンを退治に行くぞ」
そう号令を掛けると、サーベルを振り上げ、馬の手綱をぐいと引きつける。
「行くぞ」 そう言うと、一目散に長崎へ通じる山道に向かって掛けだした。
「イエッサー」 他の者もかけ声を発し、後に続いた。
長崎の町に火の手が上がったのはそれから二時間ほどであった。
火の元は町の民家ではなく、神社仏閣であった。左馬之助は茂木にいるポルトガル人の部下と共に長崎の町に行き、そこで示し合わせていた、キリシタンの過激な信者達と神社仏閣を焼き討ちを行ったのである。
「いいか、皆の者、サタンの傀儡である坊主達のすみかを天火で清めるのじゃ。逆らう者はすべて撃ち殺しても良いぞ。デウス様はわしらの見方じゃ。例え死んでもデウス様の身元にいけるのじゃ」
そのかけ声は集まったキリシタン達の心に火を付けた。
殉教こそ、キリシタンの心意気なのだ。異様な興奮に包まれた一団は、左馬之助達に引きつられて、めぼしい神社へと掛けだした。
「天火じゃ、天火じゃ」
手にたいまつや木刀を持った一団は走り始めた。
長崎の歴史書にはキリシタンによる神社仏閣の破壊が明記されている。深崇寺、斉道寺、神宮寺、鎮道寺、万福寺、伊勢宮神社、渕神社、桜馬場天満宮など破壊されたり放火されたりしている。神宮寺は支院三十坊余がすべて破壊されると記されている。ただ、開港以前の長崎の神社仏閣の資料がない為、やはり不明扱いとされている。
長崎の町はキリシタンの町である。燃え盛る神社仏閣と、怒号と喧噪が町に渦巻いていた。その様子を高台で眺めている男がいた。
馬に乗った左馬之助である。西洋の甲冑のプレートアーマーと呼ばれる時代がかった鎧を身につけている。この時代さえ、時代遅れの重たい鎧である。これだけでも左馬之助の異端ぶりがよく分る。
「よく燃えるのう。さてこれで用は済んだ。戻るぞ。皆のものを呼び戻せ」
そう言い放つと、満足そうに頷いた。
長崎の神社仏閣が焼き討ちに遭った事は、清川のお堂にいた道智達にすぐに伝わった。
「おのれ、南蛮人め」
准山は、回りを呼び寄せた。
「怪しげな鎧を着た者が首領で、南蛮人の家来が十人ほどいるとの報告だ。このものは南蛮船の奴隷商人どもの親玉である。先ほど長崎の館山からこの茂木まで駆け戻っていくという報告があった。
南蛮船に戻り、奴隷用に集められた娘達を外国に引き渡す為に、すぐさま出港するであろう。昨日南蛮船に忍び込んだ惠瓊や小太郎も捕らえられているだろう。あの者らを船に戻してはいかん。よいか」
准山、怒髪天をつく叫び声であった。
回りに集まった山伏達も、その怒りの振動に共鳴している。道智も傷を負った西空も同じであった。
「いいか、茂木の町までは一本道だ。長崎からだと一刻もあれば茂木まで着くはずだ。行くぞ」
そう言うと、お堂を飛び出し走り出した。
その頃、焼き討ちの快感に酔った左馬之助一団は、山越えをして茂木港まで走っている。
もう少しで麓まで降りられる最後の一本道にさしかかった。
ピーという笛の音が林に響く。両サイドの杉の並木の上に人影が動き始めた。
道の両脇から突然、細いが丈夫な綱がぴんと張られた。
馬の進路を止める為である。危機感が常人ではない左馬之助はその綱に気づいた。
「はっ」
馬を操り見事にジャンプする。
しかし、後から続いていた騎士団の馬はその綱に引っかかってしまい、すごい音を立てて倒れ込んでしまう。後続も目の前の転倒した馬にぶつかり倒れ込んでしまう。
騎士団のほとんどが馬から放り出される。
その時両脇の杉の木の上から、先の鋭く尖った独鈷杵が一斉に放たれる。山伏達の攻撃である。独鈷杵を投げ終えると騎士団に向かって飛び降りる。
不意を突かれた騎士団は統率力をなくしていた。騎士団といっても、左馬之助が衣装を準備して、水夫たちに衣装をつけさせた格好だけのコスプレ騎士団だ。
先頭の左馬之助は先に走ってしまった。
左馬之助のいないコスプレ騎士集団は、力こそ強いが手練れの山伏達の相手ではなかった。錫杖や体術で相手に攻撃の隙を与えず降参させてしまった。
「よいか、殺すではない。縛り上げろ」
准山からの指令であった。
先を走って行った左馬之助は異変を感じていた。馬を止めて戻ろうとした時、十メートル先に准山が仁王立ちになっている。
「何者じゃ」 左馬之助は殺気立っている。
准山は黙って立っている。まるで地面に根の生えたような立ち方である。
左馬之助はいらついている。状況は何となくわかっている。
自分たちを誰かが襲っている。その襲っている奴が目の前にいる。どんな奴かは分らないが、自分を邪魔する奴だという事だけは分った。
左馬之助は手綱をぐいと引いた。馬は左馬之助の高ぶった感情が伝わったようだ。鼻息荒く後ろ足で立ち上がると准山めがけて走り出した。馬の蹴りは強力である。人間の頭蓋骨など一蹴りで陥没してしまう。
准山は迫り来る騎馬武者を目の前にして、腹式呼吸を繰り返している。腹式呼吸は密教やヨーガ、空手などの武道の、あらゆる精神修行の基本だ。
「喝!!!!!!!!」
裂帛の気合いが、騎馬武者に放たれる。
その瞬間、馬は大きくのけぞった。垂直ほどに後ろ足だけで立ち上がった馬から左馬之助はあっけなく転がり落ちる。西洋式鎧はかなり重いのだ。
准山の気合いは、気功と呼ばれる技であった。准山の技が優れていても突進してくる左馬之助を倒せるものではなかった。そこで准山は馬の耳を狙ったのである。
馬は人間の五倍の聴力を持ち、耳を動かしながら、音波を受け止めて常に状況を判断しようとしている。その耳にめがけて気功を当てた。馬はその瞬間頭の中に雷のような轟音を感じたのだ。賢い馬もこれにはひとたまりもなかったのだ。
重たい鎧が左馬之助の反射神経を奪っていた。まともに頭から落ちてしまった。
准山はその気を逃さない。素早く左馬之助に襲いかかる。
長い錫杖の先には鉄の輪があり遊環がジャラジャラと付いているのだが、その飾りを引っこ抜くと、仕込みになっており、槍の刃が付いている。その刃を左馬之助の顔めがけ、突き刺す。顔以外は鎧で覆われていて顔しか狙う所がない。
左馬之助は脳震盪からさめたばかりで焦点が定まらなかったが間一髪避ける。
准山は再度突き刺す。しかし、左馬之助のサーベルが准山の錫を払いのける。
横に転がりながら体制を立て直し、准山と敵対した。
「このくそ坊主め、誰かは知らぬが怪しげな術を使うサタンの手下とみた。神の名の下に成敗してくれる」
さすがの左馬之助も鎧の頭部と脱ぎ捨て、サーベルを構える。
准山も体勢を立て直す。
「大仰な格好をした馬鹿者じゃな。異国の神の下に、殺戮を繰り返す事に、真心は痛まぬのか」
「坊主よ、お主らがこの日本を駄目にしておるのじゃ。やるべき事をやらず、怪しげな宗教を民衆に植え込み、迷信を味方にのうのうとしている事に気づかない愚鈍じゃ」
「お主の顔は南蛮人じゃが、言葉は日本人じゃ。混血の子か」
「そうとも。私は大友左馬之助と申す。私が珍しいか。長崎にはたくさん混血の子が生れているぞ」
准山と左馬之助は怒鳴り合いながらも、間合いを計っている。
「それがどうした」
「お主らは、この南蛮人の顔をした者を日本人と思うのか。口では偉そうな事を言っても、私らを差別する。朝鮮人、中国人を毛嫌い、南蛮人には気持ち悪いといって遠ざける。お前らは小さな日本の中で、自分たちだけが正しいと思っている大馬鹿者だ。キリスト教はそんなお前達を救いに来たのじゃ。それなのに馬鹿な日本人は私たちの考えを分ろうともしない。口で言っても分らぬものは、命で分らせてやるまでじゃ」
「ふむ、お主の言っている事にも一理ある。しかしのう、泥棒にも三分の理と言うて、誰にでも理はあるのじゃ。わからぬから殺しても良いというのは、それこそ自分勝手の言いぐさじゃ」
准山は左馬之助を見切った。身構えるとさまの助に突進する。
左馬之助はサーベルを構える。
准山は錫を大きく振り回しながら、錫の先の槍の刃を突き刺す。
サーベルがその錫を払う。
准山はそのまま左馬之助に体当たりする。鎧に包まれた左馬之助はバランスを失う。身軽な左馬之助ならこの程度の事でバランスを失う事はないのだが、全身を鉄の鎧で身を固めている。重く動きも悪い。なんとか踏ん張るのだが、准山は渾身の延髄蹴りを左馬之助にたたき込む。
踏ん張るタイミングと相まってカウンターの威力となった。
バキッ
いやな音がした。
左馬之助はそのまま、鎧と共に倒れてしまった。
「こんな鉄の鎧を着込むなど、哀れな若者よ。この者の心も、まさに鉄の鎧そのものだったかも知れん」
准山は口笛を吹くと、山伏達を呼び集める。
「皆港へ走れ。早く道智殿に知らせるのじゃ」
「はっ」
山伏達が風のように走り去った。
准山は倒れている左馬之助に手を合わせ立ち去ろうとした。
その時、ガチャリという音がしたかと思うと、鋭利なモリが准山の背中に向けて発射されていた。
左馬之助得意のスプリング仕掛けの飛び道具だ。
准山はその殺気を感じ振り向く。
その額にそのモリは突き刺さった。目を見開いた准山はそのまま音を立てて倒れ込んだ。
左馬之助は、むっくりと起き上がった。
首筋をしきりにもんでいる。
「このモリを背中に背負っていたので、首が折れなかったようだ。それにしても恐ろしい山伏だぜ。早く船に戻らないと船が出てしまう」
左馬之助は鎧を脱ぎ捨てサーベルと武器を持って、馬に乗って港に向かった。
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