第12話 長崎襲撃

縄をほどかれ、襦袢一枚で寝床に寝かされている。騒ぎが起こる前まで、あの変態ベロドリアに乳をもみしだかれ、足をなめ回されていた。その屈辱の中に暗い快感が出てきそうな事も感じていた。自分の肉体が自分の意思とかけ離れている事を考えている。そしてそれも又自分自身の罪だと思い始めていた。

小百合の感じている意識は自傷行為の一種である。道智と同じ心的外傷後ストレス障害だ。その救いとして小百合はマリア像を思い続けていた。。


原罪というのは宗教のことを考える時、大切なキーワードになる。

キリスト教でいう原罪とはアダムとイブの犯した罪のことを言うのが一般的である。蛇にそそのかされて食べた知識のリンゴのせいで人間はエデンの園を去らなければならなくなったという話しである。

キリスト教における神は絶対神であり、人間だけを特別扱いしていない雰囲気がある。もちろん聖書とは人間愛に基づいて書かれた書であると言われているが、神への忠誠を誓う事で、人間も救われるというニュアンスがある。

仏教は罪をおかしたDNAを人間は持っているとは言っていない。人間は弱く、罪をおかしやすい存在なので、それを救う為に阿弥陀仏は仏になった存在で言い換えれば、人間特定の超越した存在なのだ。

小百合にそんな哲学的な思いはないが、自分の思いをどこに持って行って良いのか分らなくなったのであろう。精神分析的に言えばPTSDいわゆる心的外傷後ストレス障害を回避する為に自虐という道をたどったと言える。心に傷を負った人間には、宗教という救いが用意されている。宗教の善し悪しを述べるより、宗教とは人間にとって必要なものであると言う事を再認識する必要がある。


左馬之助はベロドリアに傷の手当てをさせた。ベロドリアは医師の術も身につけているのだ。ベロドリアは傷口を消毒し、化膿止めの薬を塗り包帯で傷口を固定している。左馬之助の傷はそれほど深くなかった。独鈷杵の刃は鋭利だがそれほど大きくない。急所に刺さらなければ殺傷能力は低い。

治療が終わった左馬之助は怒っていた。自分の思惑が二人によって邪魔されたのだ。特に日本の僧侶がこの船に乗り込んできた事に、言いようのない怒りを感じていた。

しかしその怒りは実は惠瓊や小太郎にではなかった。自分を敵対視する世の中すべてにであった。

混血児とわかって自分を産んだ母にも、それを放置した父と言われた男にも、自分をいじめた回りの人間も、自分を救えぬ宗教にも、日本国もスペイン国もすべて憎しみの対象であった。

特に日本の僧侶は恨みを抱いていた。左馬之助は、今は亡きあの大友宗麟の子供だった。

大友宗麟はキリシタン大名として有名だが、その行状は賛否の分かれる人物である。

後年思いつきで出家して「瑞峯宗麟」と名乗ったのが宗麟と呼ばれているゆえんだ。出家前は義鎮(よししげ)という。九州一の大友家の跡取りとして生れた義鎮は、我が儘いっぱいに育てられ、体が弱いせいもあり、感情の起伏が激しく粗暴で冷血な面も多く語られている。

ザビエルとの出会いでキリシタンとなったが、本来遊び好きで国中の娘を集め色に耽った好色さは回りのヒンシュクを買っていた。そんな義鎮に貿易の為スペイン人の娘を宗麟に差し出して機嫌をとったのはベロドリアだった。


美しいスペインの娘イライザは義鎮に珍しがられて溺愛されたが、身ごもったイライザを疎んじベロドリアに押し付けたのだ。

ベロドリアは言われるままにイライザと結婚したのだが、その事を商売に利用し大いに儲けた。しかし愛情のかけらもないベロドリアを金だけ渡してイエズス会に預けほっといた。

そして教会で子供が生れた。その子が左馬之助だ。左馬之助は愛らしい顔立ちをした子供で宣教師や世話をしてくれるシスター達から可愛がられて育った。しかしながら遺伝子のなせる技であろうか、性格が宗麟そっくりだったのだ。


少し大きく成長すると粗暴でかんしゃく持ちな振る舞いはだんだんひどくなっていた。教会を抜け出して、日本人と喧嘩をしたり、町の娘達にちょっかいを出したりと、少年とは思えない問題を起こしたりしていた。

母のイライザと左馬之助は長崎の城山の近くで暮らしていた。近くに小さな教会があり、二人は教会の下働きなどをしている。問題児の左馬之助だが、名ばかりの父ベロドリアはそんな左馬之助を手放さかった。

左馬之助は問題児だが、九州の雄、名家大友家の血筋を持つ子供だった。何かある時に役に立つと目算していた。それ故イエズス会に寄付をして面倒を見て貰っていたのだ。


「左馬之助は、どこに行ったのかしら」

イライザは教会の掃除をしながら左馬之助を探している。17歳になった左馬之助は母と共に教会の掃除をするのが仕事なのだが、地味な仕事が嫌いでよく逃げ出していたのだ。

そこへ信者の人がやってきた。イライザはそれに気づいて、祈りに邪魔にならないように掃除道具をかたづける。

「済みません、今かたづけますので」そういって、信者の人をみた。町人風の風体をした若く背の高い男性であった。若い男は涼吉という。最近長崎に来たばかりであった。涼吉は、教会で掃除しているイライザを見て一度で魅惑された。


イライザは控え目な性格で派手な服装は決してしないのだが、そのスペイン人の持つはっきりとした顔立ちで、もんぺ姿をしていても隠せない豊満な肢体と、年増の色香は隠せなかった。

涼吉は動揺を隠しながら、祭壇の前にひざまずき十字を切った。イライザも何気なく祈りをする涼吉を見た。涼吉も視線を感じて顔を上げる。

目が合った。しかし一瞬だった。イライザは何事もなかったように部屋に戻った。

次の日もイライザが掃除をする時間、涼吉は現れる。これが何度も続いた。その内話すようになり、ある日涼吉はイライザを教会の隅で抱きすくめた。イライザもそれに答え唇を重ねた。その後は、二人の間は濃密さがましていくだけだった。イライザの持つ情熱さに涼吉が火を付けたのだ。


しかし、何度も続く教会の物置での情事は周りの人の噂となった。週に一度この小さな教会に来る年配のジョアン神父はイライザに思いを抱いていた。

たまに話すイライザの清楚さと美しさに心奪われていたのだ。しかし神父という手前その思いを出す事はなかった。情熱を隠しながらプラトニックな愛情へと強引に納得させていたのだ。ところが神父に情事の噂が耳に入った。その押さえつけられた情熱が、暗い方向で吹き出した。

教会の本部へ報告し調査させたのだ。イライザは名ばかりだがベロドリアの妻となっている。つまり「不倫」なのだ。キリスト教の戒律に「姦淫するなかれ」とあり、不倫は「姦淫」と呼ばれ大きな罪となっている。


イエズス会の調査の結果、涼吉は佐賀県の僧侶の一人で、キリスト教嫌いの佐賀藩主龍造寺氏の意向をくみ家老が独自にはなった密偵だった事が判明した。涼吉は密命を受けて、キリスト教信者として長崎に潜入したのだが、その時イライザに出会い、心奪われてしまった。体の関係になった時キリシタンの情報をイライザから聞き出し密偵の役目も果たしている。


イエズス会は大村藩と相談し、涼吉の処分を大村藩に任せイライザはジョアン神父に預けられた。イライザの処分が甘かったのは、事を荒立てたくないベロドリアの多額な寄付金のせいだった。

ジョアン神父はイライザを手元に置き、下働きとして監視する事になったのだが、そのゆがんだ愛情はイライザを地獄へ落とした。

苦悶するイライザだが、その濃密なフェロモンはその濃さを増しているようだ。鍵の掛かった牢獄部屋にベッドを置きイライザを監禁状態にする。

ジョアン神父は毎夜、ムチを持って夜訪れる。イライザを言葉で攻め立て、その肢体をムチで打ち、両手を縛り姦淫を行う。サドとマゾのおぞましい日々が延々と続く。

ジョアン神父の異常さはタガが完全に狂い、息子の左馬之助までも毒牙にかけていく。

左馬之助には日本の僧侶のせいでイライザは罪に落とされたと大げさに吹き込み、手なづけ、酒を飲ませて幼い左馬之助をも犯した。

その後神父のゆがんだ性癖の犠牲になりイライザは病気になり亡くなってしまったが、左馬之助も成長しジョアン神父の異常さに気がつくと殺意を抱く。イライザが死に左馬之助に愛情が集中し始めたある夜、左馬之助はジョアン神父の男根を食いちぎりナイフで首を切り落とす。

この事件が世間に発覚するのを恐れたイエズス会は、強引にベロドリアに左馬之助を預け秘密裏に事件を隠蔽してしまった。

左馬之助はもともと聡明な上、母のイライザの父親のアフリカ人の血もひいている。アフリカ人の体幹はずば抜けており、その特質を左馬之助は受け継いでいる。一見細身の左馬之助は、ひた並外れた動体視力、反射神経、跳躍力を生まれながらに備えていた。

それに目をつけたベロドリアは、手下の警備担当者に、ヨーロッパ流の格闘技を訓練させた。そのせいで左馬之助の格闘技の才能は爆発的に開花し、訓練相手を何人も殺してしまう。今では左馬之助にかなう船員などいなくなってしまった。

「父上。この長崎にいる坊主達を皆殺しにしてしまおう」左馬之助の美しい顔は醜く歪み、自分の思いつきに囚われてしまった。

ベロドリアも左馬之助の異常な少年期と残忍さを熟知しており、腫れ物に触るように左馬之助に接していたのだ。


ベロドリアは困った顔をした。明日の朝長崎を出航する予定だったからだ。

「左馬之助、明日出航の予定ですよ」

「予定を一日伸ばせば良いではないですか。イエズス会とて日本の坊主が長崎に居座っていれば、布教がやりにくいでしょう。最近徳川という政府が、我々を追い出そうといろいろ画策をしている。たかがこんな野蛮な未開の日本に、我が国が言いなりになっていいのですか。イギリスから馬鹿にされるのは必至ですぞ」

左馬之助は頭がいい。自分の考えを正当化するのは得意なのだ。その上、性格であろう。常に上から目線であった。

「そうですね。日本の言いなりというのも我々を愚かにも見下しているのかも知れません。マカオのように力を見せてやれば、この国も態度を変えるでしょう。野蛮人にいうことを聞かせるに力が一番ですから」


ベロドリアも又西洋人である。侍から脅かされた屈辱もある。これからの事を考えれば、それもいい考えという気持ちになった。

「解りました。準備しましょう」

「ベロドリア。サタンどもにとりつかれた日本の坊主の目を覚まさせようぞ。まずは大砲で茂木の港へ向けて撃ちましょう。坊主どもが驚くぞ。くっくっくっ」

左馬之助は笑い声が漏れた。そしてその暗い快感に酔いしれているのだ。左馬之助は自分のやる事に罪の意識など何にも感じた事はなかった。すべて回りが悪いのである。自分が受けた屈辱の償いをさせるだけの事なのだ。

忍び笑いが、大きな笑いに変わった。

ワッハッハ・・

その笑い声は船内に響き渡っていった。

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