第11話 ベロドリア
惠瓊は信州の山奥の田舎生まれである。極貧の百姓生活で幼い弟妹は皆餓死している。その後病のため父母も絶え、曹洞宗の寺院の前で死にかけていた惠瓊を僧侶が哀れに思い育てた。南無釈釈迦無尼仏(なむしゃかむにぶつ)と唱える修行の中で、惠瓊は自分の孤独と向き合い続けてきた。世を恨むことも自分の身の上の不幸を嘆くこともカラダを鍛えることのみで乗り越えてきたと信じている。
道智とは修行の中で知り合う。目があったその瞬間に、共に心のなかに地獄を持っている者のみが分かち合える心が共鳴した。それ以来宗派は違うが、友情を育て続けてきたのだ。
惠瓊は理屈や感情では動かない僧である。感覚で体が動く。白刃が目の前にきた時、反射的に両手で受け止めてしまったのだ。
これには左馬之助が驚いた。
「ほう、噂には聞いていたが、素手で白刃を止める技が本当にあるとは」
左馬之助はその太刀を放し後ろに下がった。
惠瓊は無言で刀を払い捨て構え直した。しかしその手は血まみれであった。左馬之助の太刀の勢いを止めるのが精一杯で、手の腹はぐさりと裂けていた。
「小太郎、娘達を守れ。こいつの太刀は普通の武士の太刀筋ではない。殺す為だけの剣、殺人剣だ。差し違えなければ勝ち目はない」
そう言うと腰に差している二本の黒い棒を手にした。ヌンチャクである。
素手で立ち向かうのは無理だと判断したからだ。左馬之助はじろりとその武器を見た。
「ほう、唐の国の武器を使うのか、面白い。お主の武術は尋常ではないな。しかし坊主、上には上がいるんじゃよ。この私を見てみろ。私は異人ではない。大和男の子なんじゃ。しかし体には異人の血が半分流れておる。だからお前より強いのだ」
そう言うと、またもや、すすっと間合いを詰める。
「そうかも知れんな。しかし、どんな血が流れていようが所詮人は人。人であれば上も下もない」
左馬之助はその話に反応する。
「上も下もないと申したな。それならば私をなんと見る。日本人とみてくれるのか。私の父は日本人、母はスペイン人の合いの子じゃ。
この国で私を可愛がってくれた奴など誰もいやせんだった。幼少の頃には石を投げられ、のけ者にされた。私に何の罪があるというのだ。日本人はむごい者達じゃ。私をかばってくれた者までなぶり殺しに、しおったわ」
左馬之助は、饒舌になっている。自分の言葉に自分に酔っているようだ。
惠瓊は無言で気配を尖らせている。
「坊主、この長崎には私のような合の子が増えているぞ。この船にいる娘達が外国の男と寝れば子が出来る。世界中に私と同じような子が出来るのじゃ。そうすれば異人とか日本人とかの区別もなかろう」
「そのとおりじゃな」
「そうすれば、国同士の争いごとはなくなるぞ。仏法で言う所の極楽、キリスト教のパラダイスが出来るのじゃ。この娘達はそんな高貴な願いを叶える為に異国へ行くんじゃ」
「何を戯けた事をほざく御仁じゃな。確かに一理あるが、お主がやる事ではない。子というのは男と女が好きおうて出来てこそ、宝なのじゃ」
左馬之助の眉がぴくりと動いた。
「それなら私は世に必要の無いものじゃと言いたいのか。私の母は日本の大名の物珍しさで、手慰みにされた。私を身ごもると殺されそうになり、命からがらで城を抜け出し隠れながら私を産んだのじゃ。私には父の愛など一滴も注がれてはいない。そんな子は宝ではないと申すか。私は生れなければ良かったのか」
左馬之助は激高している。
「坊主はお前みたいな、建前だけきれい事ばかり言う奴らばかりじゃ。所詮色と欲の塊。そんな奴は私が成敗してくれる」
左馬之助の心の糸がぷつんと切れたようだった。
惠瓊をにらみ付け、すり足で動き始めたと思うと揺らめく影のように近づいて来た。
惠瓊はヌンチャクを振り回しはじめた。
左馬之助の右手が刀の柄に手をかけた。
近づきながら刀を抜いた。大刀と思ったら小刀の方を抜いている。そしてそのまま惠瓊に投げつけた。普通の武士なら使わない戦い方だ。左馬之助は勝つ為だけに戦っている証である。
鋭い早さで惠瓊に小刀が向かう。惠瓊はヌンチャクで払う。左馬之助はそのまま突っ込んでくる。もう間合いは1メートルもない。
惠瓊は真上にジャンプしようとする。
左馬之助は刀を抜きはしなかった。その柄の部分をそのまま惠瓊に突き刺そうとしている。柄の部分の頭に特別に作ったナイフが仕込んであったのだ。走り寄る時に大刀の柄に仕込んだスイッチを押し飛び出させていた。
その仕込みナイフで惠瓊を狙う。
惠瓊は飛び上がるが、刀を抜くと思っていたのが抜かずにそのまま柄に付いた刃が襲ってきたのだ。その僅かな時間差が惠瓊の反射神経を上回っていた。
グサッ。
惠瓊の左の太ももにナイフが突き刺さった。
惠瓊は左馬之助の前にそのまま落ちていく。
左馬之助は連続した動作で左腰のガンベルトに手を伸ばした。単筒を抜き、惠瓊の額に照準を合わせるまで一秒とかかっていない。
左馬之助に躊躇はない。
そのまま引き金が引かれる瞬間、左馬之助は顔をゆがませて動きを止めた。
なんと小太郎が放った独鈷杵が左手の二の腕に突き刺さっていた。
しかし、左馬之助は引き金を引いた。
ズドン
大音響が船内に響き渡った。左馬之助は心臓を狙ったのだが、刺されたショックで照準がずれ、弾丸は左脇腹をかすっただけであった。
「ちっ、運のいい奴め」
左馬之助は舌打ちをし、独鈷杵を投げた小太郎をにらみ付ける。
左手に刺さった独鈷杵を抜き取りチラリと見る。
「独鈷杵か、こざかしい事をするガキだのう」
左馬之助の青い瞳は冷酷そうに見える。小太郎もにらみ返した。
その時、どかどかと音がして、惠瓊にやられていた南蛮人が部屋に乱入してきた。
複数の異国語の怒鳴り声が飛びかっている。その中の大男が、倒れている惠瓊を見つけるとすごい剣幕で近寄り、思いっきり蹴り上げる。
惠瓊は1メートルほど吹っ飛ぶ。小太郎も男達に捕まり、殴られてた。
「ベロドリア。出てこい」
左馬之助は、自分が出てきた扉に向かって叫ぶ。
その扉から、パンツ一枚のベロドリアが慌てふためいて出てきた。
「なんですか」
よたよたと左馬之助に近づく。
「ベロドリア、娘をいたぶるのは後にしてくれ。こやつらを縛り上げ、船底へ縛り付けておけ。なんやら不穏なにおいがする。その時の為の人質じゃ」
「おー、解りました。ほらお前達、言われた通りにしろ」そう日本語で言うと、次はスペイン語、英語で水夫達に命令をする。
左馬之助から呼ばれたベロドリアはステファンの部下で補佐役として日本に来ている。女性に変態的な性癖を持っているのが玉に瑕だが、知に長けた小ずるい有能な男でもあった。
そのベロドリアが出てきた扉から、ひとりの女性が覗いている。小太郎はいち早く気づいた。
「小百合さんだ」
小百合も視線に気づいて騒ぎの現場を見回す。そして小太郎と視線が合った。小百合はびっくりして思わず声が出た。
「小太郎さん」
小太郎が助けに来てくれた事を察して、そのドアから飛び出したが、その体を受け止めたのが、ベロドリアだった。
「娘さん、勝手に出ちゃ駄目ですよ」ベロドリアは、ねちっこい言い方で小百合を部屋に引きずり込んだ。
「小太郎さん、小太郎さん」
悲痛な叫び声を残して、部屋の中に消えていった。
小百合はベロドリアの部屋に監禁されて、性奴隷とされていた。まさに屈辱の時を過ごしている。何度も舌を噛み切って死のうと思ったが、結局できない自分を恥じた。
ベロドリアは気分次第で小百合をいたぶった。最初の痛みも消えた小百合の体はベロドリアの行為に微妙に反応している自分を見つめた。暗い炎が自分自身の中に有ることを、更に恥じている。時折小太郎を思い出し、心が締め付けられていたのだ。
ベロドリアは小百合を気に入っている。本国スペインには妻も子もいるのだが、妻からはいつもなじられていた。その反動も有り各地で奴隷とした女に固執する。ベロドリアを含め西洋人は、アジア人を人間だとは思っていない。しかしベロドリアは日本人が好きであった。従順で我慢強く賢いからだ。さらに決めの細かい肌と小柄な体、そして清潔さは奴隷として最も適していると感じていた。小百合を得たことは神の福音だと心から思っていたのだ。
文化格差と圧倒的な武器によって、アジア、中東、アフリカを荒らし回り地球の秩序をぶち壊した時代が大航海時代である。そこには富とキリスト教徒の信念があった。異教徒を改宗させ救うことこそ、使命だと信じ切っている宣教師たちと、略奪と貿易で富を貪りつくす国の方針が植民地政策という名のもとで見事に噛み合ってしまった。
この時代、どれだけの日本人が奴隷として海外に連れ去られ数は一説には50万人とも言われているが実際には不明である。時の権力者秀吉は、宣教師たちに連れ去られた日本人をすべて連れ戻すように命じている。しかしそれに対してポルトガル人は傲慢な態度をとりつづけ、侵攻を推し進めていた。一番不幸なことは、ヨーロッパ人が植民地政策に対して、罪の意識が全く無かったことである。
「小百合さん、みんなで助けに来たんだ」
小太郎は、羽交い締めされながら大暴れをしたが、水夫達の力は強く、ただもがくだけであった。
左馬之助も、刺された腕を手ぬぐいで巻き、同じ部屋に消えていった。
水夫達は小太郎と惠瓊を縛り上げ船底の柱に縛り付けた。
船底は暗く湿っている。窓もなく船に使う道具が乱雑に積み上げられていた。
真っ暗の中で小太郎は惠瓊と話す。
「惠瓊様、小百合はこの船に捕まっています」
「うむ」
惠瓊は足と脇腹の傷が痛むらしく、言葉があまり出ない。
「この有様だと、何にも出来ぬ。道智様だけが頼りじゃ」
そう言うと、激痛で気を失ってしまった。
「惠瓊様の傷は、見た目よりひどい。このままほっとくと命を落とすかも知れない。どうしよう」小太郎は血気盛んだが、やはりまだ青年であった。この局面を打開するような考えも浮かばず呆然とするだけだった。
暗い船底の真ん中の柱にくくりつけられた二人は、波に揺られ船がきしむ音に包まれじっとしているしかなかったのだ。
小百合はベロドリアの部屋に軟禁されていた。
ベロドリアは小百合を気に入っている。綺麗な着物を着させ化粧をさせていた。いつもは畑仕事をしていて身なりに構わない小百合とは別人のように美しく飾られている。元々かわいい顔立ちと均整のとれた容姿があり、小太郎との恋で少女から女性に変身していく時期だったのもある。
小百合は手込めにされたあの日から、別の世界にいるようで現実感がなかった。爺様の家に戻ったのも、それから連れ去られて今ここにいる事も何か絵空事のようであった。しかし小太郎の顔を見た時、すべてが鮮明になったのだ。すべての事がクリアに感じられた。
手込めにされた屈辱も、自由を奪われて変態のベロドリアに体中なで回される嫌悪感もすべて現実なのだと。
「私は奴隷になった」
奴隷という言葉に、今までなんのリアルさも感じなかった。しかし自分がその立場になって初めて奴隷という意味が分ったのだ。
屈辱と嫌悪感と身体的苦痛。それが奴隷という物なのだ。小百合は自分が色んな事が解っていると思っていたのだが、きっと何にも解っていなかったのだ。
人という者はその立場にならないと何にも解らない生き物なんだ。そう理解したのだ。
そんな小百合の内面を探求する精神は、様々な要因を自分自身の内面に向けて探求しはじめていた。
こんな風な不運に見舞われるのは、自分に何か駄目な所があったからではないだろうか。小百合はベロドリアを憎むより、自分の中にその原因を探ろうとしている。小百合は自分自身の罪というものに目覚めたのだ。
あの世の助にマリア様を見せてくれるという誘いにも乗った迂闊さも、ベロドリアに陵辱された時に自害できなかった自分の弱さも、もしかしたら父母が死んだのも自分の落ち度ではないかと思案を巡らしていったのだ。
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