第9話 ハタ

洋館の話を道智に全部話す。それを聞いてから道智は小太郎に、日が暮れてから赤崎鼻という岬の小山に行くようにと指示を受けた。

理由を聞いたが時間が無いから行けばわかると言われた。

赤崎鼻は茂木港の東にあり小高い丘になっている。小太郎は命じられるままに赤崎鼻行ってみた。切り立った崖から海を見ると、海の上に浮かぶ巨大な南蛮船が見える。しかし此処から一キロ近くあるだろう。

「いったい道智様は俺に何をさせるのだろう」そう思案していると、後ろから声が聞こえた。

「小太郎さんだね」驚いて後ろを振り返ると、商人風の男が立っている。

「道智様から頼まれた事があるんです。こちらに来て下さい」そう言うと小太郎の手を引っ張り暗がりの方に連れて行く。

少し広い場所に出ると、そこには10人ほどの人達がいた。その影の中から一人の老人が進み出た。

「いい風が吹いておるぞ」

そういうと後ろの人たちに指図する。物陰から大きな四角い物を引きずり出してきた。

「小太郎さん。このハタに乗って黒船まで行って下さい」

小太郎は突然の事に驚いた。

「このハタ上げ名人の弥吉さんに任せれば大丈夫ですよ」

「えっ、ハタ?」


商人風の男は、千利休の手配により使わされた大坂堺の商人、島田宗件という人物だ。千利休はキリシタンの良き理解者であった。そのせいもあり、千利休の弟子達のほとんどがキリシタンとなっている。

千利休の完成した茶の湯で、茶室への入り口が極端に狭い「にじり口」は、「狭き門より入れ、滅にいたる門は大きく、その路は広く、之より入る者多し」というイエス・キリストの言葉に触発されたと思われる。利休は秀吉との対立で自害したが、その心を受け継ぐ弟子達によってキリスト教と関わっていた。


島田宗件もその一人であった。しかしキリスト教の教えと矛盾のある、外国人による奴隷売り買いに関しては憂慮していたのだ。

島田宗件は悩んでいた。キリスト教と奴隷商売は全く相反する。それも日本の女性をかどわかして海外に売り飛ばすなどは、日本人として認めるわけには行かなかった。

今回の件は、千利休も大阪でキリシタンとともに動く南蛮奴隷商人を憂慮していた。キリスト教の信者として、あくどい南蛮商人の所業を許すことは出来ないと感じていたのだ。


歴史書を見ても、日本人奴隷の流出はその数字や証拠が乏しく、伝聞によってのみ論じられているケースが多い。

カトリックの教義は厳格であり、現在は奴隷を認めてはいない。しかし当時の人権意識は低く、有色人種に対してまでカトリックの教義が適応していたとは考えにくく、白人以外は、人間として認めていないとする意見が多数である。

1555年の教会の記録によれば、ポルトガル人は多数の日本人の奴隷の少女を買い取り性的な目的でポルトガルに連れ帰っていたとある。国王セバスティアン1世は1571年に日本人の奴隷交易の中止を命令した。1595年にポルトガルにおいて中国人及び日本人奴隷の売買を禁ずる法律が制定された、など記録に残っているので日本人奴隷の存在は否定できない。

ただ、外国人だけが悪いのではなく、日本人のキリシタン大名、日本人奴隷商人も深く関わっており、その当時の善悪の基準を踏まえた上での判断が必要と思われる。


宗件が長崎で南蛮品の買い付けで走り回っていた時、道智が長崎にやってきて正覚寺という仏寺を興した。

長崎はキリスト教の地域となっているのに、一人で僧侶がその中心地に乗り込んできたのに驚いた。どうなることかと興味本位で見守っていたのだが、たまたまキリスト教徒と宗教論争を道端で行っている道智の説教を聞く。

大人数のキリスト信者に対して臆することもなく、堂々と人間の取るべき道を説いている姿に、密かに感動した。

キリスト信者と言っても、町人や農民、浪人、ヤクザまがいのものもいる。口からつばを飛ばして道智を罵る人たちは、キリスト教の教義とは異質の者達だと感じていた。

宗教を超えた道智の人柄に感銘を受けた島田宗件は、隠れて道智にいろいろ相談するようになっていた。


島田宗件は道智から相談を受け、奴隷救出作戦に一役買って出たのだった。

軍艦のような南蛮船に近づくには、普通の方法では無理だと考え、空から南蛮船に乗り込む方法を考え出した。


長崎には昔からハタと呼ばれる凧遊びが定着していた。長崎には昔からハタと呼ばれる凧遊びが定着していた。凧をなぜハタというかは諸説あるが、長崎ハタの模様を見ると海外の国旗がベースになった様で、旗がハタとなったのではないかと思われる。また、韓国、インドでも盛んであり、朝鮮語のバタ(海の意)、秦をハタと読む事などから大陸系の名前由来説もある。そのはたあげの名人が弥吉であった。


弥吉は長崎のハタ作りの職人で、商人の島田宗件には商売の事で世話になっていた。義理堅い弥吉は宗件の頼みは断れなかった。さらに日本人の娘達が奴隷として売られていくという話しに義侠心が沸いている。

宗件のアイデアに度肝を抜かれたが、弥吉は自信があった。縦三メートル、幅二メートルの真っ黒な大凧をその日の内に準備し、そのハタを揚げる男達を十人ほど調達してきた。それも島田宗件の人脈と財力でもあったが、短時間で男達をまとめ上げる弥吉の人柄も大きい。


「小太郎さんとやら、ちゃんと上げるから心配いらんけん」そう言うと、小太郎に凧に乗る手順を説明する。

「わかったばい。道智様の作戦じゃ。きっとうまくゆく」小太郎の腹は決まっていた。

「みなさん方、頼みます」ハタを揚げる為に綱を握っていた男達は「おう、心配すっな」そういって唄を歌い始めた。低い声だがみんな揃えて唄っている。


 ホラア 前から吹く風 よーほーいせ

 ホラ よおいやさーのお よーほーいせ


網引き唄だ。二艘の船が並び、その間に張られた網を引き上げる時の唄で、九州の海の男達なら誰でも唄える。

長崎は海の国であった。様々な地域の船乗りたちが長崎沖までやってきていた。長崎を拠点に東シナ海に出かける為だ。五島などは鯨を捕獲していたのは有名だ。

船板一枚の下は地獄の漁師達は魂を合わせる。普段はぶっきらぼうで、おせいじの一つも言えない我が儘な男達なのだが、何かあったら頼りになる。それが海の男達なのだ。


「あんた達は船乗り達やね。そいやったら安心バイ」

男衆の先頭の男はにやりと笑った。準備が出来たようだ。小太郎もハタに張り付いた。弥吉は風向きと強さを調べている。

「よかか、おいが引けと言ったら、力の限り綱を引っ張って向こうへ走れ」

「おう」男衆が弥吉を見つめる。

風が吹いてきた。浜風だ。

「今だ、引け」

弥吉が叫ぶ。男衆は「やっ」というかけ声を掛けると一斉に綱を握って走り始める。見事なチームワークだ。

綱がぴんと張った。ふわりとハタが浮く。


「いまじゃ、たぐれ」弥吉が叫ぶ。

男衆がぐいと綱をたぐる。その度にずいと上に上がるが、不安定だ。ぐらりと落ちそうになる。弥吉は叫ぶ。

「もっとたぐらんか」男衆は「やっ」と叫ぶとぐいと綱を引く。男衆の一人がさけぶ。

「よーほーいせ」

それに答えて男衆は声を合わせる。何度もぐいぐいと綱を引く。その見事なチームワークはさすがだった。

十度目の「よーほーいせ」でハタはふわりと風にのった。

「よいやー」弥吉が叫ぶ。

真っ黒な大ハタは小太郎を乗せて月夜に舞った瞬間だった。


真っ黒な闇の空に四角い大きなハタが舞っている。しかし、ただ舞っているだけではない。港の沖に浮かぶ南蛮船に少しずつ近づいている。弥吉のハタさばきは的確だった。


南蛮船は帆船だ。大きな高いマストが立っている。そのマストの上までハタは来ている。船の上には見張りの影が二人ほど見える。小太郎は細い縄の付いた手鉤を取り出した。右手だけで、ぐるぐる回す。

ひゅん

手鉤は見事マストの帆に絡まった。小太郎はたるんでいる綱をたぐり寄せぴんと張らせる。両手に手ぬぐいを巻いて手袋の代わりにしてその縄を滑り降りる。

まるで軽業である。マストにひょいとしがみついた小太郎は、やっと一息ついた。


しかし緊張を解くわけにはいかなかった。船の上の見張りを何とかしなくてはいけなかったからだ。音を立てないようにゆっくりとマストを降りていく。

見張りが船首に二人いた。小太郎は懐から石つぶてを取り出した。じっと機会をうかがっていた。一人がこちらに向かってくる。船の縁に行きズボンをまさぐりはじめた。小便だ。

気持ちよさそうに放尿している頭に、小太郎の石つぶてが命中した。放尿しながら崩れ落ちる。


小太郎は小さくガッツポーズをする。残りは船首に立っている奴だ。船尾からは体半分は見えるのだが、荷物の影になって見え隠れをする。人物の影は大きく銃を持っているのが分かった。

見張りの異人は体が大きく力も強い。小太郎のような小柄な体格では、取っ組み合っても勝てそうもなかった。小太郎は小柄で、すばしっこいのだが、格闘技などはそれほど強くない。腰にくくりつけている巾着の中をまさぐり、目当ての石つぶてを探す。

「よし、これだ」

石つぶてを何度も握り直し、合点がいくと、大きく振りかぶった。渾身の力を込めて投げる。びゅんと腕を振り抜く音がする。

柱の陰に隠れている人影を狙っているのだがわずかに外れている。人影の脇を過ぎようとしたとたん、ぐぐっとカーブした。ゴンと鈍い音がする。そのまま人影が崩れ落ちた。

「へへっ、龍の牙ばい」小太郎は龍の牙を習得していたのだ。小太郎は海上を見渡す。

「惠瓊様が海からやってくる手はずなんだが」

船が大きいので、海上まで五メートルほどある。じっと目をこらす。何も見えない。月明かりで、海上が照らされている。

その時何もない海から、ぼこぼこと泡が沸き上がり龍の頭がぽっかり浮かんできた。龍の頭は周りを見渡す。船上を見上げた時、船の上でたまげている小太郎と目が合ったように思えた。

船体がゆっくり浮かんで来た。なんと二人乗り潜水艦だった。


昔から瀬戸内海の制海権を握っていて、海上に関を設定して通行料を徴収したり、水先案内人の派遣や海上警護請負などを行っていた水軍がいた。彼らを村上水軍という。のちに能島村上家、来島村上家、因島村上家に別れている。

彼らは熱心な真言宗徒であった。真言宗の西空の伝手で村上水軍の秘密兵器竜宮船(りゅうぐうふね)を借り受けてきたのだった。


龍宮船(りゅうぐうふね)は戦国時代の水軍である能島水軍が使用したと言われている。1576年の第一次木津川口の戦いで織田水軍と戦ったとされているが、正確な記録は残っていないが、現在にも龍宮舟之圖という図面が残っている。


竜宮船の上部の丸い扉が開いた。小太郎は、急いで用意してあった縄ばしごを海に垂らした。惠瓊はその縄ばしごを掴むとするすると上り船の上に到着した。二人は作戦を開始するため行動した。

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