第8話 三人の僧侶
山の村に戻ってみると、爺様の家に何人かの人々が集まっていた。
爺様は乱暴された時の怪我が元で息絶えていた。道智と小太郎は家の近くに穴を掘り、爺様を丁重に弔った。
一晩経った朝、道智は村からいなくなっていた。その日の昼過ぎ、道智は戻ってきた。
「戻ったぞ」道智の後に二人の人影がある。その人影が動いた。二メートルほどの大男とひょろりとした男が立っていた。
「小太郎、二人の助っ人を連れてきた。名は西空殿と惠瓊殿だ」
道智の横に、真言宗の西空、曹洞宗の惠瓊が姿を見せる。
「おう、お前が小太郎か」ひげ面の大男の西空がにっこりする。「よろしく」と鋭い眼光の惠瓊が手を合わせた。
「あっ、初めまして小太郎です。よろしくお願いします」
小太郎はびっくりしたが、二人の頼もしそうな姿を見ると闘志がわいてくるようだった。
「おぬしの事は道智殿から聞いておる。しっかり働いて貰おう」
惠瓊は静かな声で話す。大男の西空は懐をごそごそと探りながら話しかける。
「小太郎、つぶてが得意じゃと道智殿から聞いておったので、何かの役に立つかもしれんと思い、独鈷杵を持ってきた」
独鈷杵とは密教の法具のひとつで、槍状の刃が柄の上下に一つずつ付いたものだ。金剛杵の種類は刃の数で三鈷杵、五鈷杵などという。西空が取り出したのは細く長い手裏剣のようなオリジナル独鈷杵だった。
「小太郎、今度の敵は侍も混じっているとの事だ。つぶてだけでは身を守れないかもしれん。そこでこれをやる。金剛杵は帝釈天の武器であり、煩悩を打ち砕き仏の慈悲を貫かん為の法具である」
西空はそう話し終わると、その独鈷杵を柱に向かって投げた。
ひゅんと一直線に飛び、かつっと柱に刺さる。
「小太郎、この技を習得せよ。つぶてと似ているが、やはり投げ方が違う。百発百中になるまで鍛錬しとけ」
「わかりました」
小太郎は真剣な顔で頷く。道智が口を開く。
「宗派は違えども、国難の時だ。色んな事情で動けない方々も多いが、この二方は手助けをしてくれる。仏に仕える者として、説法で悪行を懲らしめるのが本来のやり方だが、相手が問答無用の暴力で来るのではいたしかたあるまい。
西空殿は怪力無双だ。惠瓊殿は柔術の名人、そしてこのわしの棒術。まずはこの三人で策を練る。小太郎、お前は船の様子や警護の具合を分かる範囲でいいから調べてこい」
そう言うと、三人は囲炉裏を囲んでドスンと座り込んだ。
真言宗は空海によって平安時代初頭に開かれた大乗仏教の宗派である。密教がベースになっているが複数の宗派がある。曹洞宗は座禅を主とする禅宗だ。一口に仏教といっても様々な宗派があり、独自の変化を遂げているものも多い。
ただ日本の仏教は、大乗仏教を唱えるものがほとんどである。
小乗仏教は自分自身を救済するのに対し、大乗仏教は一切衆生を救済することを目的としている。
今回の助っ人は、道智のネットワークによるものである。日本人が外国に奴隷として売られていることに憤慨して、二人は道智のもとに集まった。共にクセのある二人なのだが、実行力に関しては道智が一目置く存在である。
小太郎は三人の真剣さに圧倒されている。
なにせ相手は軍艦のような船だ。下手をすればみんな命を落とすかも知れない。当然それを踏まえて上での参加だ。その男気がとてつもなく崇高に思えているのだ。道智から指示されて、小太郎は茂木まで行き様子を見てくる事にした。
山道を走りながら、道智様なら何とかしてくれるという確信めいたものが沸いていた。
まず小百合を助け出す事。そして自分とあまり年が違わない娘たちが異国に売られる事はどんな事があってもやめさせなければ。
キリシタンの考えはよく分からないけれど、人の売り買いはどんなに考えてもいいと思わない。もしそれがいいという信心であれば、その信心の方が間違っている。
そう考えながら藪をかき分けながら、茂木港への山道を走り抜けていった。
茂木港は大村純忠が長崎と一緒にイエズス会に寄進した場所だった。それ故茂木村はすべてキリシタンだった。
小太郎は山道から流れている小川に沿い茂木の町におりたち、物陰に隠れながら町の様子を調べていた。
この町も一年ほど前から貿易が盛んになり、町も賑わっているようだ。港の近くの大きな集会所の日本家屋の入り口には十字架が架けられていて教会になっている。
船着き場は大きな桟橋が出来ており大きな船も付けるようになっている。少し離れた所に小さな船着き場があった。
ここは先日娘達が捕らえられていた小屋だった。夜だったので全体が分からなかったが、三棟続きの細長い作りになっていて岸壁まで塀が突き出ている。人の乗り降りが分からない様な作りになっていた。
小太郎は近寄ろうと物陰から出ようとした。その時何人かの一団がその小屋の周りをうろうろし出した。先日の襲撃を懸念して警戒しているのだった。侍も何人かいて緊張した顔から緊迫感が伝わってくる。槇蛇之助の死亡が危機感を煽っているようだ。
頭に包帯を巻いた男が小屋から出てきた。佐平次であった。小太郎の石つぶてが見事頭に命中した証拠である。海に落ちて死んだと思っていたが、悪運強く生きているようだ。佐平次は見張りの男達に指示を出している。
そこへ幌のかかった荷車が馬に引かれてやってきた。小屋の入り口にぴったりつけると、後ろの入り口から、侍と町人姿の男がまず降りて周りを見渡す。周囲の見張りがやってきて人壁を作る。
小太郎は目をこらした。人壁の足下を見ると女性と思われる着物の裾がちらちらと見える。それも一人ではないようだ。その内頭に包帯を巻いた佐平次と侍が建物から現れて一緒になって歩き始める。小太郎も隠れながら遠巻きにつける。二人は街の中央にある洋館へ入っていった。
小太郎は忍び込む決心をした。洋館は白い柵に囲まれている。
人目が途切れるのを見渡しながら裏手の木々に潜り込みするすると木に登った。塀の高さまで上ると、ヒラリと洋館の庭に飛び降りた。
明らかに日本の家屋とは違う作りだ。窓がありそこにはギヤマンがはまっている。中はカーテンで見えない。窓を開けてみる。陽気がいいせいか鍵がかかっていなかった。
小太郎はその窓から忍び込んだ。身の軽さと機敏さは忍者のようだ。
小太郎は部屋を見渡す。部屋の中は見るのが初めての物ばかりだ。丸いテーブル、暖炉、銀製のろうそく立て、メガネ、写真。見た事もなく使い方も分からない。
しかしそこには日本より数段高い文明がある事だけはわかった。キリシタンとはすべてにおいて日本人の上に立つ存在だという事が小太郎は直感的に理解できた。
しかしそんな高い文明を持っていても、人間を売り買いしてはいけない。駄目な事は駄目だ。小太郎の聡明さは、物の価値がわかる客観性と高い人間性にある。
これは日本人が持つ良性の性格面だった。その感性がキリシタンの持つ二面性に気がついているのだ。
小太郎はこの部屋に人が入ってくる足音が聞こえたので部屋の隅のライティングデスクの下に隠れた。耳だけを澄ます。がたがたと椅子やソファーに掛ける音がする。
「ステファンさん。約束の人数が揃いましたぜ。ベロドリアさんも、手込めにした小百合という娘と一緒にすでに船に乗り込みました」
物陰に隠れている小太郎は、小百合という名前が出てぎくりとした。手込めという言葉にも敏感に反応している。頭のなかで手込めという言葉がグルグル回る。
「ベロドリアにも困ったもんです。まあいいでしょう」
ステファンはテーブルの葉巻を取り出し、吸い口をカッターで切り取りマッチで火を付ける。佐平次はその様子を珍しげに見つめている。
「今日の夜にも積み込む予定です」
「おー揃いましたか。やっとですね。こちらの方も追加の荷物が届きました」
「それはありがたい。名は言えませんが殿様が喜びます」
「ただですね。だいぶ時間が経っています。約束の日を五日も過ぎています。マカオの私の社長も怒っています」
「いやー最近取り締まりが厳しくなっているのです。太閤様の意向は今誰も逆らう事が出来ませんので」
「はいはい、それは分かりますが、私も困っているんですよ。そこで火薬一樽と30人という話しでしたが、40人一樽でお願いします」
「そんな殺生な。話が違いますぜ」
「佐平次さん。あなた方が了解しないのなら、違う殿様に申し出るだけです」
佐平次は脂汗をかいていた。此処で話しが流れれば、自分の命が危ないのだ。
もう一人の声が小太郎に聞こえてきた。
「ステファン殿。お主の言う事も分かるが、こちらとて殿の意向がある。約定が違えれば拙者の面目が立たぬ。このままおめおめと引き下がる訳も行かぬ。どうしても約束を違えると申すか」
かなり緊迫した声だった。少し無言が続く。その時カチャリと言う音がする。刀の鯉口に手を掛けた音だった。
「おー、やめて下さい」
慌てた声でステファンはいう。
「お侍さんは怖いですね。大和の武士は自分の命が惜しくないようです。こんな人たちがいる国は本当に初めてですよ。ワカリマシタ。今回だけ約束通りにします。その代わり次回は駄目ですよ。イイデスカ」
「済まぬ。恩に着る」
「今夜、連れて行きますので、手はず通りで」
「ワカリマシタ」
「それじゃ山下様。準備がありますので行きましょうか」
そう言うと何人か部屋を出て行く音がした。まだ部屋にはステファンが残っていた。
「オー日本人。ワカラナイネ。武士は本当に怖い人たちだ。損得だけでは動かない人間が一番怖い。オー忘れていました。私も準備をしなければ」
独り言を言いながら、ステファンも部屋を出て行った。
息を止めてじっとしていた小太郎は、部屋に誰もいなくなったのを確認すると、素早く窓から外へ出た。
外の茂みに隠れると、大きく息を吸う。
「やはり、南蛮商人と日本の侍の仕業だった。ひどか奴らばい。小百合さんたちも今夜、船に連れて行かれる。早く道智様に知らせねば」
小太郎は、そおっーと茂みを抜け出し、洋館から出ようとした。
その時、一人の南蛮人が門から入ってくる。
「ドナタですか」
声をかけられた。
小太郎はどきりとするが、咄嗟に答える。
「教会と間違って入ってしまいました。すみません」そう言って南蛮人の脇をすり抜けようとした。
「おー、そうですか。信者の方ですか。教会はこの道を真っすぐ行って、右手の方に有りますよ」そういうと「主の恵みが有りますように」とつぶやき、軽く十字を切った。
小太郎はその時はらわたが煮えたぎっていた。
「神父様、デウス様は私達を救ってくれるのでしょうか」
「当たり前です。すべての民をお救いになってくれますよ」
「私の知り合いに、不幸な娘がいるのですが、その人も救われるでしょうか」
「信じることです。主を信じれば必ず幸せが訪れます」
嘘つけと大声で叫びたかったが、ぐっとこらえて無言のまま洋館を抜けでた。
神父は、走り去っていく小太郎を少し怪訝な顔をして見ている。
「日本人は本当に不思議な人達だ。全く何を考えているかわかりにくい」そうつぶやきながら洋館に入っていった。
その神父の名はフロイスという。
フロイスとはルイス・フロイスというポルトガル出身の宣教師である。1563年に日本に来て30年あまりにわたって布教活動に従事した。信長や秀吉など権力者と会見し、日本に最も詳しい宣教師であった。1597年長崎でなくなっている。著作「日本史」が有名である。
多くの文章が残っているが、その当時のヨーロッパ人にとって、日本人はやはり理解し難かった所があると多く記されている。
「我々は、挨拶は厳粛な顔で行う。日本人はいつも必ず偽りの微笑で行う」
「日本の女性はあまり純潔を重んじない」
「日本の子供は十歳でも判断と賢明さにおいて五十歳にも見える」
これほどの違いを南蛮人は感じていたのである。宣教師という立場からの偏見もあるだろうが、日本人が他のアジア人と比べ「利口が故に、信用のおけぬ国民」というのが一般的な評価だと思われる。
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