第6話 蛇之助

次の朝、雨が又降り出したので、畑仕事は休みだ。しかし朝餉を持ってきてくれたのは爺様だった。「小太郎さん。小百合は具合が悪いので当分、家から出られないと言っておった。心配せんでもよかよ」そう爺様はにこにこして、朝餉を置いて戻った。朝餉の握り飯はいびつだった。爺様が握ったのであろう。


小太郎は道智に心配そうに尋ねる。「道智様、小百合さんは大丈夫でしょうか」「うむ」道智はポリポリとたくわんを食べている。

「爺様が大丈夫と言うから、大丈夫じゃないか」道智はひょうひょうと言う。しかしひげ面をつるりと撫でる。小太郎は、何か考えようとする時の道智の癖だと知っている。道智も心配している事を知った。いつも見ている小百合の顔が見れないだけで、小太郎の心は曇る。


朝から降っている雨は今日やむ気配がない。小太郎の不安は杞憂ではなかった。畑の奥の林には、合羽を着て小百合の家を伺っている二人の男がいた。


佐平次の手配の者であった。ペドロリアの元から逃げ出した小百合を追いかけて来たのだ。強い雨で追いかけるのを中止したが、佐平次の叱咤で探し回っていた。山へ通じる道の脇に小百合の物と思われる着物の切れ端を見つけた。


けもの道を進むと、切れ端が所々に木々に引っかかっており、それをたどってこの集落にたどり着いたのだ。手配の男達は顔を見合わせ、林から消え去った。

雨が一段と強くなった。それは何かが始まる予兆のようでもある。一日中降っていた雨は、夕方やっとやんだ。夕闇が爺様の家をつつむ。


突然、シンとした闇の中に、女の悲鳴が響き渡った。小百合の家から聞こえてきた。

小百合の事が心配で目がさえて、布団の中でごろごろしていた小太郎は、その叫び声を聞き飛び起きた。手元にあった薪を木刀代わりに持って飛び出し小百合の家に急いだ。小百合の家は玄関が開けっ放しで、中には爺様が倒れていた。爺様の頭からは血が噴き出している。


瀕死の爺様に小太郎は近寄って叫ぶ。

「どげんしたとね、爺様、小百合は」

「男が・・・・小百合ば・・・・・連れて行きよった」

途切れ途切れでそう言うと倒れ込んでしまった。


爺様の話に頭が真っ白になった小太郎は表に飛び出して里へ通じる道を駆けていった。

俊足の小太郎が峠の道にかかろうとする所で数人の人影を発見した。大きい影の方には人が担がれているのがわかった。


「またんね。わい達はなんばすっとか」小太郎は裂帛の気合いのように叫ぶ。

人影の集団が立ち止まった。道智の襲撃の時にいたチンピラの顔が、月夜に浮かぶ。猿ぐつわをされてもがく小百合の影も見える。

「またわい達か。小百合さんば、どげんすっとか」

「あのちびか。関係なかやろ、あっちにいけ」

「なんてか」

小太郎は完全に頭にきていた。五メートルほど助走してチンピラに駆け寄り、いきなりジャンプした。チンピラの目の前に降りてきた小太郎は、手に持った長めの薪を上段の構えから振り下ろした。あまりの突然の攻撃で、チンピラは頭を交わすのが精一杯だ。

がつんと肩に一撃を浴びる。こもったうめき声を上げて、チンピラはそのままひっくり返った。

「次は誰や」

小太郎は薪を構え直した。小太郎は剣術がからっきし駄目だった。薪の構えもへっぴり腰で様になっていない。しかし、体中から怒りがわいてきていて、その気迫で回りの男達は警戒して後ずさりをする。


「小太郎とかいったな」低い声が暗闇から、聞こえてきた。

「邪魔をするな。子供は斬りたくない」静かだがドスのきいた声が聞こえ、刀に手を掛けた侍が、ずいと前に出る。

「お前もあの時の一味だな」 小太郎は殺気を感じて後ずさりをする。

「やい侍。何であんたが人さらいをすっとか。侍が悪党のまねばしてよかとか」侍は無言だ。じりと小太郎に近寄る。

小太郎はとっさにしゃがみ、足下の石をつかんで投げつける。

得意のつぶてだ。ただ間合いが近すぎた。侍は小太郎の大きなモーションを見切って、ずいともう一歩出たかと思うと、抜き身が月夜に一閃する。

小太郎は、音もなく倒れ込んでしまった。一瞬の技である。

「峰打ちだ、死んでおらん」

そう言い残して、暗闇に消えていった。


五分ほどして倒れ込んでいる小太郎は揺り起こされた。起こしたのは道智だった。

「小太郎。小百合はどうしたのだ」

「すんません、道智様。あのチンピラ達に連れて行かれたとです。恐ろしく強い侍も一緒ばい」

道智は道の向こうをにらみつける。

「やはりあの者達か。長崎の娘達を外国に売り飛ばしているキリシタンの一味の事は調べておったのだ。首謀者はイエズス会の司祭達に付いてきておった悪党の南蛮商人よ」

小太郎は打たれた所を揉みながら立ち上がった。

「それじゃ、小百合達は外国に売り飛ばされるとやろか。助けんばいかん」

「うむ。たぶん今夜の内に、イエズス会の領地である茂木の港から沖合に止まっている大きな南蛮船に連れ込むのであろう。役人に言ってもあの土地はイエズス会のものじゃから捜索は無理だ。小太郎。助けに行くぞ、茂木まで先回りをするんじゃ」

「わかりました。おいは長崎ん事なら何でもしっとるけん、おいに付いてきて下さい」

そう言うと山の中に駆けだした。

「よし小太郎。どんなにデウス様が偉かろうと日本人の娘を売り買いして良い道理はない」

道智も金剛杖を手に小太郎に続き走り出した。


茂木(もぎ)は長崎の港とは山を挟んで反対側に位置していて、昔から港町として開かれていたのだが、大村藩の大村純忠がイエズス会に寄進し、茂木の町は教会領となっている。そして日本のキリシタン布教の中心地となっていた。


穏やかな橘湾に面し、起伏に富んだ美しい海岸線は格好の漁場となっていた。この茂木という地名は昔「裳着」と呼ばれていて神功皇后が衣を着替えたから茂木と呼ばれたという伝説が残っている古い港町だった。


港の沖に大きな外国船が停泊しているのが月夜に照らされて見える。港の端には黒い塀に囲まれた小屋が有り、そこに三人の娘が両手両足縛られて、猿くつわをされて捕らえられていた。


小百合以外の娘は町人の娘のようで、気丈な小百合は泣きもせず一緒に縛られていた。

「ペドロリアさん。約束の上玉二人を用意した。ペドロリアさんが手込めにした娘も捕まえてきましたぜ。さっさと金を払ってくれよ」

ペドロリアと呼ばれた男はスペイン人の商人だった。

「小百合さん、又お会いできて嬉しいですよ。オー、他にもこれは美しい娘ばかり。フランス人が大喜びしそうですね。特別に小判三枚支払いましょう」


ペドロリアは、二人の娘達の裾をめくって平気で秘所を確認している。ペドロリアの変態ぶりは遺憾なく発揮され、その異常な執拗さに娘達は屈辱に体をくねらせ涙を流している。


娘たちは後ろ手に縛られている。

二人とも16歳だった。一人は元武家の娘でキヨといった。薩摩軍が豊後にて戦い捕虜にされた武士の娘である。もう一人は農家の三女でウメという。ウメは極貧の農家で金で売られてきた。

二人共泣き疲れてぐったりとしている。

「あたいら、どこへ売られていくんじゃろか」ウメは泣き疲れてぐったりしている。

キヨはかなり気丈なようでしっかりしている。

「南蛮よ。異人たちの慰みものになるそうです」キヨはしっかりと話す。

「あたいは嫌だよー、嫌だよー」うつむきながら、繰り返し呟いている。

「南蛮人は私達日本人を人として扱わないと聞かされてます。南蛮は全てキリシタンだといわれてますが、日本には八幡大菩薩様がいます。必ず南蛮に罰が下されます」キヨも小刻みに震えている。気丈だと行っても16歳の娘である。奴隷とされる恐怖に打ち震えていたのだ。


日本人が奴隷とされた数は定かではないが、完訳フロイス日本史には「おびただしい数」とだけ書かれている。


隅で震えている娘達の様子を気にもかけないペドロリアが、娘達の検分を終えるとポケットから小判を取り出した。

佐平次が受け取ろうとすると、侍がずいと佐平次を押しのけ、小判を三枚受け取った。重さを確かめると、その中の一枚を佐平次に放る。佐平次は一瞬眉をひそめたが、小判一枚を受け取った。

「佐平次、この娘達を南蛮船へ連れて行け」そう命じるとペドロリアをにらみつけ、小屋の表に出て行った。


「佐平次さん。日本のお侍さんは怖いね」

「そうさな。蛇之助様は特別に怖いお方だ。お前も逆らわない事だ」

「そのようですな。ああ、佐平次さんが連れ戻してくれた娘は、私と一緒に別の船でマリア号へ行きますよ。あの娘さん気に入りました。このまま海外に連れて行くのはもったいないですからね」

そう言うと、ペドロリアは嬉しそうに小屋を出て行った。


茂木の町はシンとしている。もう夜10時を過ぎているのだ。

小太郎と道智はいくつもの山を越え、やっとの事で茂木の町に到着していた。港の沖に停泊している南蛮船を見つけると、船だまりに近づき物陰で様子をうかがっていた。


港の外れにある黒い塀に囲まれた小屋から、侍と異国人が出て行くのを見つけた。

「小太郎、行くぞ。娘達が船に連れ込まれたらやっかいだ」

「わかりました」そう言うと、木の茂みから小屋に向かって駆けだした。

小屋に着き小太郎が先に注意深く中に忍び込む。すでに誰もいなかった。中に進むと奥の部屋に出口があった。


戸を開けると、佐平次が伝馬船に乗り込み娘を連れて岸を離れる瞬間だった。舫い綱をほどいている手下が小太郎に気づいた。

ごつい手下は小太郎に殴りかかってくる。フットワークよく駆け寄り、小柄な小太郎の襟首をつかみ腹に一発拳が入った。あっけなく小太郎は崩れ落ちる。


伝馬船に乗っている佐平次は、それに気づき大慌てで櫓をこぎだした。

外にいた道智も小屋に飛び込もうとした時、月夜に光る筋を左目で気づいた。

一瞬だが道智の体は反応した。ブンという刀が空気を切る音のすぐ真下に首を縮める。

間一髪だ。

そのまま道智は横に転がり、くるりと立ち上がりジャンと鐘を鳴らし金剛杖を構える。

月が侍の顔を照らす。蛇之助だ。じりりと進む姿が月夜に浮かび上がる。二人が小屋に忍び込むのを遠目で見つけて戻ってきたのだ。

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