第5話 奴隷商人

山道を降りて、町の入り口で髪と着物を自分で点検する。町の娘達は華やかな柄の着物を着けている娘が多い。自分はというと、つぎはぎのあるかすりの小袖にもんぺ姿だ。百姓仕事だから仕方がないが、華やかな場所だと、やはり気後れをする。また、道智達の事もあり、目立たぬように行動をしている。


市の立っている場所へ行くと、様々な食料を行商していた。道の両脇に、品物を広げて商いをしている。地べたにむしろを敷いて品物を並べているおばさんや、木箱の上に包丁や鍬を並べているおじさんもいる。小百合と同じ年頃の娘もいた。売り子たちは盛んに品物を連呼して賑やかである。


小百合はあちこちで品定めをし、塩や米、わかめなどを買い込んでいく。小太郎の言う魚は干物を買った。いろいろ買っている内に、背中に背負っている袋はいっぱいになった。

爺様から預かった銭を勘定して、買いすぎていないかをチェックする。しっかり者の小百合だった。


一通り買い物が終わったので、あのビードロの櫛を見ようと、店を構えている小間物屋まで行く。

かわいい小物は店の前に棚を作り並べていたので、店の中に入らなくてもいい。小間物屋は繁盛しているようで、大勢が出入りしていた。その人混みに紛れて棚に並べられているビードロの櫛を見つける。店の小僧が、棚の小物を買いあさる娘達の相手をしていたので、小百合も櫛の値段を尋ねた。

「小僧さん、このビードロの櫛はいくら」「こいは五百文ばい」

小百合はがっかりした。とても買える値段ではなかったからだ。買えるとは思わなかったが、こんなに高いとも思わなかった。何となく心がしぼんでしまった。

「しょうがないわ。小太郎さんにあめ玉でも買っていこう」そうつぶやいて小間物屋の前を離れた。


人通りが少し途切れた場所に白い建物があった。教会となっている建物だった。中から唄が聞こえている。賛美歌だった。この当時町の外国化は進んでいて、ラテン語の賛美歌も特別珍しくはなかった。


その歌声に誘われるように教会の前に近づいた。今の教会のように立派ではない。日本家屋を改造した簡易教会である。屋根の上には十字架が立ち、壁は白く塗られている。

教会の入り口の上に絵が飾られている。極彩色の西洋画だ。それはマリア様がキリストを抱いている宗教画だった。


小百合はその絵に目を奪われた。西洋画の綿密さと鮮やかさで描かれたマリア様の顔の優しい眼差しが、小百合の心を捕らえたのだ。

「まあ、きれい」

思わず声が出た。色んな人に聞いてはいたが、初めて見たマリア様だったのだ。物陰から小百合をじっと見ている男がいた。


やや長身で細身の若者だった。浅黄色に赤色の小紋柄、黒い兵児帯を締め見た目が役者のような男であった。顔立ちははっきりとして鼻筋が通り、目元は涼しげな風情があり、町を歩けば年頃の娘が振り向くほどの色男だ。世之介という。生まれは商家なのだがその美貌のせいで身を持ち崩し、地元のやくざの使いっ走りをしている。女にかけては天性の凄腕で、「垂らしの世之介」を自称しているほどである。


その世之介が目を付けたのが小百合だった。小百合は粗末な身なりをしているが、その顔立ちは可憐で、ひときわ目立つ娘なのだ。体は小ぶりだが、胸も腰も十分に張り切っており、その伸びやかな容姿は衣服の上からでも十分解る発育ぶりだ。さらに小太郎との淡い恋は、その青春の色香を人知れず振りまいている。


世之介はある男から娘をひとり調達してこいとの命令を受けていたので、娘達を物色していた矢先であった。女だけは見る目がある世之介は、そんな小百合を見逃さなかった。

世之介は上唇をなめる。何かやらかす時の癖だ。懐から十字架のネックレスを取り出し首からかけた。

物陰から、すっと出て教会に向かう。教会の入り口の前に立って絵画を見ている小百合に向かう。

小百合の脇を通って教会に入ろうとする。その時軽く小百合にぶつかった。

小百合は急に人が現れてびっくりした。教会に行く人の邪魔になっていると思い、軽くぶつかった世之介を見た。世之介はちょっと怖い顔をして見せた。

「此処に立っていちゃ邪魔ですよ」少し声を荒立てる。

小百合はその声に「すみません」とあわてて頭を下げる。

世之介は急に優しい言葉になった。

「いいんですよ」と満面の微笑みを小百合に注ぐ。小百合はその優しい言葉にほっとして世之介を見上げる。町を歩けば娘が振り向くほどの伊達男だ。小百合とて娘である。あまりの美貌と優しい笑顔にほっとして、すとんと心が緩んだ。


そこをすかさず語りかける。

「娘さんはマリア様が好きなのかい」

思わず「はい」と答えてしまった。

世之介は女垂らしである。女の機微は知り尽くしているつもりである。小百合は純情そうなので、怒って見せて優しくするというギャップを見せる手を使ったのだ。

「おいらもマリア様が好きで、ここに来ているのさ」そう言うと胸に下げている十字架をぎゅっと握りしめた。もちろん演技である。

小百合はそれを見た。キリシタンの人間と話すのは初めてだった。その驚きと、朴訥とした小太郎と世之介を比べてみていた。世之介には小太郎にないものがたくさんあるように思えた。


「名前なんて言うのかい」

「小百合です」少し恥ずかしそうに答える。

「小百合さんかい。いい名前だ。名を呼ぶだけで花のような可憐さが目に浮かぶ」娘との会話にはロマンチックさも必要なのだ。

「そんな」うぶな小百合はそんなお世辞さえ初めてだ。

「あっそうだ。教会の裏にもっときれいなマリア様の絵と像があるんだ。すぐそこだけど見に来るかい」小百合の心は揺らいでいる。

あの優しそうなマリア様の姿をもっと見たい。しかし、知らない人について行くのははしたない。そんな心の揺れを世之介は見透かしている。もう一押しだ。「無理にとは言わないよ。ただ明日はあの絵は南蛮に持って行くと神父様がおっしゃっていた。今しか見れないだろうな」そう言って立ち去ろうとした。


「あのう」小百合は世之介を呼び止めた。かかったと世之介はほくそ笑む。「ご迷惑でなければ、一度見せていただけますか」小百合は好奇心に負けた。世之介の誘いも巧みだったせいもある。

「いいよ、ついて来な」素早く小百合の肩を抱き、教会の裏手へ連れて行かれた。


裏手には小さな入り口があり、世之介がドアを開け、体を半分入れる。手を引きながら小百合を部屋に招き入れる。部屋は広く奥にマリア様の絵が掛っていた。窓から入り込む光でより幻想的に見える。

「ああ、なんてきれいなの」小百合はその絵を見てため息をついた。

「きれいだね。小百合さんもきれいさ」そういって小百合の肩に手を回し抱きすくめようとした。

小百合は我に返った。

「なんばすっとね」とっさに長崎弁が出た。眉間に大きくシワが出る。「もう帰る」語気荒く入ってきた扉の所へ戻ろうとした。

「おっと、そうはいかねえぜ」

その声に世之介の本性が出た。手首を掴み、くるりと背にねじり上げる。

「佐平次さん、お願いします」


そう暗闇にさけぶ。「おう、よくやった」

今まで誰もいないと思っていた暗闇か、人が出てきた。あの道智を襲った佐平次だった。

世之介は佐平次の方へ小百合を突き飛ばす。小百合はよろけて、佐平次の手下に捕らえられてしまった。

「離して、後生だから離して」

そう叫ぶ小百合を佐平次はみぞおちに当て身を打つ。小百合は佐平次の子分の手の中でぐったりとした。

佐平次はにやりと笑う。

「世之介、よくやった。また頼むぞ」

そう言うと、懐から小判一枚を放り投げた。世之介は慣れた手つきで小判を受け取って驚いた。いつもはこの半分だったからだ

「弾んでおいた。上玉だからな。胸と尻の張っている娘は南蛮人が大好きなんでな」そう言うと別の入り口を開けて、小百合を連れて消えていった。

「へっ、かわいそうにな。世の中だまされる奴とだます奴の二種類しかいないのさ。これもまたあいつの運命よ」安っぽい処世訓を吐き、世之介は何事もなかったように教会の裏口から町に出て行った。


教会の別の扉は、トンネルになっており、港の外れの黒い塀の建物の地下室に通じていた。小百合は目を覚ました。ねじ上げられた腕の付け根が痛い。目を開けて自分がどこにいるのかを知った。南蛮人が使うベッドの上に手を後ろ手に縛られて転がされているのだ。


目の前には丸テーブルに座った小太りの南蛮人と佐平次が酒を飲んでにやにやしている。

「ペドロリアさん。どうです。いい娘でしょう」

ペドロリアと呼ばれる南蛮人が嬉しそうに話す。

「おー可愛らしいね。それにスタイルがいいよ。気に入った。奴隷に売り飛ばす前に、私が楽しみます」

「そうだと思ったんですぜ。ごゆっくり」軽薄な佐平次は、飲みかけのぶどう酒を飲み干し出て行った。



大量の日本人少女が性的奴隷として、ポルトガルに連れて行かれていたことは史実である。

彼女らは日本貿易のポルトガル船で働くヨーロッパ人水夫、黒人水夫の妾として売られていた。またマカオにも連れて行かれポルトガル人の奴隷となるだけではなく、奴隷であったマレー人やアフリカ人の奴隷とされていたという記録もある。

その数は50万人とも言われており、火薬一樽で50人の娘という相場があったという。



ペドロリアという名の南蛮人は、酒のせいで顔が赤らんでいる。小百合を見て上機嫌だ。「日本の娘さん、いいね。もっとよく見せておくれ。おいジョアン」と召使いを呼んだ。

ドアを開け、がっちりとした黒人がのそりと入ってきた。ペドロリアの召使いとしてマカオの奴隷市場から買ってきた黒人ジョアンだった。

「ジョアン。しっかり捕まえとけ」

ジョアンと呼ばれた黒人は頷くとベッドの上の小百合に近づき両手を拘束する。小百合は猿くつわをされていて声も出せない。足をばたつかせて暴れるが黒人の力は強い。南蛮語で独り言を言いながら近づいてくるペドロリアの姿を見て小百合は目をむいた。小百合は無垢であった。そんな事にはお構いなくペドロリアは行為に及ぶ。凄まじい悲鳴が響き渡る。小百合はあまりの苦痛に悶絶した。ペドロリアは奇妙な歓喜の叫び声を上げる。

小百合、十六才の春であった。


小百合が気がついたのは、もう日が暮れかかっている夕刻だった。

部屋には誰もいない。手は後ろ手に縛られたままであった。下半身に痛みが走った。ベッドが血で汚れている。小百合は自分が汚された事を知った。不意に小太郎の顔が脳裏に浮かぶ。大粒の涙がぽろぽろとほほを伝っていく。昨日までの楽しかった日々が、暗転直下、暗闇になった様だった。


ひとしきり涙を流すと、後ろ手に縛られた縄が緩んでいる事に気づく。手の首の皮がむけるのも構わず、ごりごりと手を動かして緩めていく。何とか縄が外れる。小百合はのそりと立ち上がった。


「爺様、今戻ります」そう呟いて部屋に散らばっている衣服を身につけ、ドアに近づいた。感情は混乱しているのに、頭の何処かが冷たく冴え渡っている。物音を聞く。ドアの外には人の気配があった。見張られていると直感で分った。


周りを見渡し窓を探す。窓を見つけ近づいてみる。ガラス窓の外を見る。夕日を浴びている町には人通りが少なかった。小百合は、椅子を持ち上げてガラス窓にぶち当てる。ガシャーンとすごい音がした。

間髪を入れず小百合はガラスの破片を気にする事もなく飛び出す。後ろからドアの開くがする。

「あのアマ、逃げやがったぞ」

どたどたと慌てふためく物音が激しく聞こえてきた。小百合は裸足なのも構わず、一目散に逃げる。大通りを通り、大通りの市場を目指した。市場には夕餉の買い物や明日の支度などで人が賑わっている。


後ろ五十メートルほど後から、チンピラが二人血相を変えて追いかけてくる。「待ちやがれ」と叫ぶ声が聞こえてくる。小百合は「助けて」と大声を上げながら、人混みの中に突っ込んでいった。


いつの間にか茂木の町に黒雲が湧き出ていた。茂木の町は今朝から晴れたり曇ったりと天気が安定していなかった。小百合が人混みに紛れ込んだとたん、雷が鳴り、大粒の雨が降り始める。


市場は突然の大雨で、雨を避けて逃げ回る者や、売り物を直す人たちで騒然となった。小百合は、無我夢中で人混みをすり抜けていく。

追っ手は、小百合を見失いそうになりながらも、しつこく追ってくる。雨が一段と激しくなる。小百合の姿を見失った追っ手は、集まり相談をはじめている。


小百合は走った。


ただ一目散に走った。何も考えられなかった。雨が顔を打つ。体に冷たさを感じる。その苦痛が心地よかった。すべて洗い流して欲しいと雨の神様に願う。マリア様の顔は出てこなかった。


山に入る道を見つける。その道を目指して走った。時々振り返る。誰も付いてきていないのを確認すると、また走った。何度も何度も後ろを確認して走り続ける。


集落に入る横道に飛び込む。けもの道だ。笹や小枝を気にする事もない。破れた着物が小枝でむしり取られるがそんな事は気にならない。足下の尖った石で傷つき血まみれの足になっていく。どこをどう走ったか記憶になかった。そしてやっと爺様の家が見えてきた。雨は小雨に変わっていた。回りはすでに暗い。爺様の家の明かりを目指した。


玄関を力一杯開いた。家に入ると爺様と顔が合った。「どうしたのじゃ、小百合。心配しておったぞ」

爺様は小百合を見つめる。衣服がぼろぼろで、足は切り傷だらけで見るも無惨な姿に変わっていた。

「爺様・・・」

小百合はやっとの事で声を出した。声を出したとたん大粒の涙がぼろぼろとあふれ出す。それが嗚咽となって体を震わせながら、土間にしゃがみ込んでしまった。

爺様は大きな異変を感じた。

「小百合、風邪を引くぞ」そう言って手ぬぐいを出し、小百合を抱きながら水場へ連れて行く。泣きじゃくる小百合を手ぬぐいで拭く。足下を拭いている時、小百合の太ももの血の乾きを見た時、爺様は何があったのかおぼろげに理解した。「さー、もう泣くんじゃない。帰ってきて良かった。良かった」

そう肩をさすりながら呟いた。そうすると、玄関の戸をどんどんとたたく音がする。小太郎の声がする。

「爺様、小百合さんが戻ってきたのか」

必死の声である。爺様は玄関に近寄って

「小太郎さんかい。大丈夫。小百合は戻ってきたよ。町で具合が悪くなったようで、遅くなったんじゃ。今日はもう寝かすから。心配してくれて有り難うさん」

「そうか。大丈夫なんだね」小太郎の声は安堵していた。

小百合が定刻になっても戻らないので、心配していたのだ。小百合を探しに町に行こうと思っていた矢先に、爺様の家から小百合の声が聞こえてきたので、走ってやってきたのだ。


小百合の顔を見たかったのだが、扉が開かずそのまま帰る事にした。雨はもう上がっていたが、冷たい風だけは吹き抜けている。雨雲はまだ残っているようで、月の出る気配はない。小太郎は雨でぬかるんだあぜ道を歩いて小屋に戻った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る