第3話 山伏

道智と小太郎は、食料の買い出しなどをしなくてはならず、日が少し陰った夕刻に、密かに助けてくれている村の衆の所へ出かけた。イノシシが通っている獣道が過ぎ、やっと狭いが道らしい道に出た時だった。


両脇の竹林から何人かの陰が動いている。キリシタン側の連中だ。しかし信者の雰囲気はない。宣教師の説教によって改宗した人たちの他に、宣教師のバックに居る南蛮商人にたかっているゴロツキの組織がいる。そいつらには宗教心はない。だからこそ怖い存在でもある。


道智と小太郎の前に、3人ほどのごろつきの様な格好をした男達が、二人の行く手を遮った。

「おい、そこの二人待ちやがれ」道智と小太郎は、その声で立ち止まった。

「てめえら、坊主の道智とその下働きの小僧だな。やっと見つけたぜ」首謀格の男は若いが品がなくいかにもチンピラ風情だ。


後ろには武士らしき男が一人、刀の柄に手をかけ立っている。チンピラは抜き身の短刀を手に持っている。そしてじりじりと詰め寄っている。

「わいたちはキリシタンやろ」小太郎は長崎の方言で怒鳴る。

「なんでおい達ば、狙うとや」

「せからしか、この長崎はデウス様の町ぞ。くそ坊主がいられる訳がなかろうが」

道智が小太郎の前にずいと出る。


「私が道智である。この前の教会の信徒らとの宗論を根に持っての事か。愚か者め」小太郎は、道智の陰で怒鳴る。

「わい達は日本人やろ。日本の坊様を襲うとは、なんと罰当たりな事ばするとや。地獄に落ちるぞ」

チンピラも負けてはいない。

「やかましか。ペテロ神父様も言いよった。俺達が貧しいのは、全部坊主達のせいだと。デウス様の国になったら、俺たちはいい暮らしが出来る様になっとさ」

「なんばいよっとか。所詮、金で動いとっとやろ。お前達は墓ば壊しご先祖様をないがしろにして、日本人の娘ば捕まえて毛唐に売り渡しとると聞いとるぞ。本当の神さんやったら、そげんことはせん。おいたちは、あんた達に何もせん。勝手にその神さんを信じればよか。ばってん、わい達は、おい達ば襲う。そげん一方的な事ばなんですっとかわからん。お前達の大将は日本ば乗っ取る気ぞ。そいでもよかとか」


小太郎の啖呵に、チンピラは少しひるんだ。そんな雰囲気を察したのか、チンピラの後ろにいた、浪人がずいと出た。

脇差しの鯉口は切っており、いざとなったら抜く気である。

「その通り私たちはキリシタンの味方だ。神父様達は、坊主を追い出すのを望んでおられる。お前達がこの地に居座るなら切る」

声は低いが明瞭な話し方だ。そのたたずまいは城勤めの経験があったことがわかる。細い目はどこか爬虫類の様相を帯び、更に虚無の匂いがする。


侍はすり足で半歩近づく。居合いの使い手らしい。侍というのは、どんなに落ちぶれていても、基本的には殺人者の素質を持っている者だ。殺気が立ち上っている。本気でやる様だ。

しかし道智は尋常な坊主ではない。佐賀藩の竜造寺隆信の一族の子で朝鮮出兵では加藤清正にしたがい戦った経験がある。極寒の地で修羅場を何度もくぐり抜けてきた経験がある。

その道智が危険を感じたのだ。道智は小太郎の襟首をつかんだ。

「逃げるぞ」

そう言うと、竹藪に逃げ込んだ。小太郎も一緒に逃げ込む。

「まちやがれ」 チンピラとその仲間は、追いかける。

「もうよい佐平次。これであの二人は長崎を出るであろう。念のためこの辺り一帯を探索せよ。あの道智という坊主はただ者ではない。用心した方がいいぞ」

侍はチンピラ達を制し、ゆるりときびすを返し、来た道を戻っていった。


道智と小太郎は、暗い夜道を彷徨っていた。満月だったので暗闇に慣れてくるとある程度の視界は開ける。ただ山里といっても、深い林の中は真っ暗で土地勘のある小太郎の勘だけが頼りだった。

「小太郎、この近くの山に山伏たちの集まる祠があったな」

「はい。烽火山の頂上近くに小さな滝があって、そこに妙見菩薩のお堂がありますよ。そこは山伏さんたちが時々寄っていました」

「うむ、そこへは行けるか」

「何とか大丈夫です」

「よし、今後の事を准山と話し合わなくては。小太郎、わしをそこに連れてってくれ」

「わかりました」

小太郎は星を見上げた。北極星を探す。もちろん方向を確認する為だった。

「こっちです」小太郎は迷うことはなかった。

竹林を抜け、渓流をさかのぼり、二十分ほどでお堂に着いた。妙見菩薩の名前の通り、お堂の上は満点の星空だった。少し開けた場所に三十坪ほどの敷地にお堂がぽつんとあった。


道智は迷わずお堂の扉を開ける。

「准山(じゅんざん)殿、准山殿はいるか」シンとしている。

「わしじゃ、道智じゃ」声を張り上げる。

すると、ざざっと草を踏む音がまわりからする。

「何用じゃ」

その声は後ろから聞こえた。小太郎も道智もびくっとしてまわりを見渡す。今まで誰もいないと思っていたこの場所に、二人を囲んで山伏達が十人ほど立っていた。まるで幽霊のように、音も立てずに取り囲まれていたのだ。

「おう、お主達はまさに神出鬼没じゃのう」

「道智殿か、何用かな」

その山伏達の後ろから声が聞こえてきた。山伏達の間から、人なつっこそうなひげ面の男がひょいと顔を出した。

准山であった。


准山と道智はお堂に入り何か話していた。やがて話し合いは終わったらしく道智だけ出てきた。

「小太郎、話しは済んだ。帰るぞ」

「はい」そう言って来た道を戻ろうと振り向くと、さっきまで立っていた山伏達の姿はなかった。まさに妖怪のようである。里の人間が天狗と間違えても不思議はない。小太郎は身震いしながら小屋に向かった。

山伏達から教えてもらった道のおかげで一時間ほどで小屋に着く。

「小太郎。この小屋もいつか見つかってしまうだろう。次の場所に移るぞ」

「はい」

持っていく物などほとんど無い。身支度をしていると、扉ががたがたと開いた。


扉が勢いよく開くと一人の娘が飛び込んできた。

「早くして。早く私に付いて来て」

長い髪を束ね、きらりとした目が小太郎を叱咤する。

「ぐずぐずせんで」

「小百合か、世話になる」道智は立ち上がる。

「道智様、日見峠(ひみとうげ)の裏道から山を越えた所に炭焼き小屋がありますけん、そこに案内ばしろと、爺様から言われました。そこへ行きます」

「えっ、日見の峠まで行くとね。遠かなー」

小百合は小太郎をじろりとにらんだ。小太郎はその目力にたじろぐ。小百合は、周りを見渡し、小さな提灯を手に外へ飛び出した。


二人は、小百合の後について外に飛び出した。山道を幾度も上り下りが続く。長崎は山と海の地である。大村純忠が長崎湾に目を付け、港としたのはつい最近の話しで、少しづつ開けては来たが、港を外れるとまわりは山に囲まれている地である。


日見の峠は、のちに長崎街道とよばれる道筋に当たり、峠には番所が有り長崎に出入りする要の場所であった。ただ複雑に入り組む山々には、人しれぬ集落も有り、小百合の爺様はその集落にいた。


山伏の准山と道智は友人であり、准山と小百合の爺様とは親交がある。その伝手で道智は隠れ家を提供されたのだ。


小川が流れる山奥の集落には十軒ほど家々が立っている。

ここには小さなお堂が有り爺様達も山伏達とは仲が良く、山を巡る修験道の山伏達のオアシス的な場所になっている。


山伏とは修験者ともいう。山の中をひたすら歩き、厳しい苦行を行なって霊力を身に付ける事を目的とする。苦行でポピュラーなのは断食、滝打ち、火渡りなど。頭に頭巾と呼ばれる多角形の小さな帽子を付け、錫杖を持つ。袈裟と、篠懸(すずかけ)という麻の法衣着ているのが一般的だ。


山伏の元祖は役小角で、日本最大の超能力者とも言われている。役小角(えんのおづの) は飛鳥時代から奈良時代の実在の人物である。十七歳の時に孔雀明王の呪法を学び葛城山で修行したと言われている。景戒という僧が仏教の霊力を広める為に書かれた日本霊異記に役小角の多くの不思議な話が書かれている。呪術により小角が鬼神を使役して水を汲ませ薪を集めさせたりという話しだ。面白く神格化されているが、これもまた日本の宗教の一つなのだ。


修験道は体育会系ののりで、ひたすら自分を鍛えていくが、一般の宗教とは違いより庶民的で山岳信仰、仏教、道教、陰陽道などが混じり合った教義を混ぜ合わせ熟成させている。

日本における宗教とは、元の教えを受け入れ自分たちの心情や風土に合ったものにアレンジをしていく事で成り立つ。

だから神仏が一体化したり、クリスマスと神社への初詣が何の違和感もなく受け入れられるのだ。この時期に伝わったキリスト教も、禁教時代に隠れキリシタン達によって、原型すら分らない宗教に変化したのもやはり日本人の特徴だろう。


修験道の准山は長崎山伏のボス的存在だった。修験道の山伏たちとキリスト教伝道師達とは各地で衝突していた。その理由は山伏たちの不気味さである。呪文を唱えながらの徘徊とその修業の中身を知り、宣教師たちはサタン信仰と断定している。

日本の宗教家は比較的おとなしく、キリスト教信者の行動を阻止できなかったのだが、山伏たちはその暴挙に対抗していた唯一の存在だった。事実長崎でも何度も衝突が起こっていた。その為仏教を守る道智と山伏准山は反キリスト教で協力し合うようになった。

精悍な道智と比べ、小太りでひげ面の准山は人なつっこくて柔和な感じがするが、それは表面的な印象で、恐るべきファイターである。ある者の話しによると、山岳修行で「金縛りの術」を身につけているとも言われているが定かではない。


日見の峠からだいぶ離れている金比羅岳(こんぴらだけ)北側中腹の少し開けた場所にその集落はあった。

畑仕事と炭焼きで生計を立てている集落であった。炭焼き小屋には質素ながら平穏な空気が満ちあふれていた。小百合と爺様は炭焼き小屋から少し離れた場所に住んでおり、朝夕に食事を運んできてくれている。

小百合は十五才であった。粗末な小袖をまとっているが、色が白く健康的な小百合は笑うとひな菊のような可憐さが匂う。

やや小柄な小百合はかいがいしく道智の世話をしてくれていて、小百合の側にいると同世代の小太郎の心はドキドキした。小太郎は恋愛の経験が無かった。もしかしたらこれが小太郎の初恋なのかも知れない。

そんな小太郎の心の変化を知らんふりして、道智はいつもと変わらず、朝の仏様へのお勤めが終わると、爺様達の畑仕事を手伝っていた。


「道智様よ、キリシタン達は物騒だのう」

爺様は道智を心配している。

「爺様。今回は大変世話になって済まなかった」

「いやいや、困っている人を助けるのは人の世の当たり前の事だからの。ワシはどんな神様でもありがたいと思っておるんじゃ。ただ回りが悪いだけなんじゃ。キリシタン達も時が経てば、頭も冷えるじゃろうて」

一休みしてあぜ道に並んで腰掛けた爺様は、竹の筒の水をちびちび飲みながら話し始めた。

「道智殿、おばばや小百合の親が戦で死んでしもうた時、世の中の神様を全部怨んでおった時があったのじゃ。そんな時修験道の山伏が木の仏像をくれたんじゃ。そして、この仏像を作ってみろと教えられた。それから、小刀でそれと同じ者を毎日少しずつ彫り続けた。へたじゃがもう何十体もほった。そのうち、時間が経つと悲しみも薄らいでいったのじゃ。不思議じゃのー。命のない木像がありがたく思える様になって、自分の彫った木像を拝む様になったんじゃ。その仏像はわしにいうんじゃ。生きてるだけで有り難いと思えってな。それからワシはそう思う様になった。そしたら心のわだかまりが晴れた。生きてるだけで有り難いのじゃよ」

淡々と聞いていた道智は、静かに手を合わせた。

「爺様はすごいのう」

そういって立ち上がり、「ワシもそう思う」道智はそれだけをつぶやいた。

「さー 爺様。続きの雑草を取りを続けるかの。この雑草とて命あるもの。その草を取り除いて野菜を大きく育てている。生きていくというのは、そんな事じゃからな。有難いわけがないんじゃ」

爺様は腰を伸ばしながら、背伸びをしながら向こうの畑を見回した。空から黒い群れが畑に降りてきた。カラスの群れが、実りかけた茄子をついばみに来たのだ。

「いかん、いかん」

爺様はそのカラスたちを追い払おうと駆けだした。小太郎は隣の畑で雑草を引き抜いていた。爺様の声に振り返りカラスの群れを見た。

「爺様、まかしとけ」

小太郎は、足下の石を拾い、カラスに向かって投げつける。見事に一番大きいカラスに命中した。カラスたちは驚いてばさばさと逃げ出していった。

「おー、すまんのう小太郎。最近カラスが増えてきて困るわ」

そんな様子を道智が見ていて小太郎に声をかける。

「石投げがうまいのう」

小太郎は頭をかきながら照れる。

「小太郎よ、昔から石つぶては戦いの中で重要なんじゃ。武田信玄と上杉謙信の川中島の戦も石つぶてから始まったと聞く。その中でも石つぶての名人白鳥左馬之助は、一町の敵に命中させたと聞く。わしも昔戦で修練した事がある」

一町とは約100メートルである。

「小太郎、秘伝の技を教えてやろう」

道智は自ら石を探した。

「オーこれがいいじゃろう」そういって丸い拳より一回り小さい石を見つける。その石をそばにあった鍬を使って角を取り丸くしていく。そして丸くなった石に傷をつけた。

小太郎はじっと見ている。道智は小太郎を見てにやりとした。

「小太郎、石は丸い方が真っ直ぐ飛ぶのじゃが、握り方や石に傷をつけると曲がるのじゃ。見とれ」

そう言うと、道智は大きく振りかぶり、雑木林に向かって石を投げる。30メートル先の大きな一本杉を狙ったらしい。

しかし狙いは右に外れている。ところが一本杉の手前から急にぐいと曲がり一本杉に命中した。小太郎は驚いた。石の形で曲がるのは知っていたが、思い通りに曲げる方法など見た事がなかったからだ。

「よいか、今のが秘伝龍の牙じゃ。龍の牙のように鋭く曲がるのじゃ」

「はい」小太郎はわくわくして返事をする。

「あの石を探してこい。秘伝の謎が解けるぞ」

小太郎は急いで一本杉の方へ走っていった。

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