第3話 迎賓館
夜の迎賓館の警備は増員され、さらに重々しい雰囲気となっている。
サナデル皇子が宿泊している以上、これは当然であろう。
魔道灯の灯された廊下。白の制服を着た制服組だけでなく、私服の警官、それに、軍の人間の姿もある。
「バーナード警部補および、アルフェッカ警部補、入ります」
「来たか」
この部屋は、国際的な貴賓が迎賓館を使用するとき、警備の中枢本部として使用される部屋だ。
こうこうと魔道灯に、照らし出された室内の中央には、大きなテーブルがあり、迎賓館全体の地図が広げられている。
壁面には、警備スケジュールが張られており、部屋の奥に置かれた事務机があり、壁際に、応接セットが置かれている。
部屋には、険しい顔のムファナ警部と、身なりの良い男がいた。
ムファナは、事務机で作業をしており、男は、ラスたちを見ると奥のソファから、優雅なしぐさで立ち上がって頭を下げた。
「ご苦労であった。様子はどうだ?」
「意識が戻るまで、数日かかるとのことです」
ムファナは、頷いて立ち上がると、男の前に二人を手招きした。
「大変お待たせしました。ロキシム様、バーナード警部補と、アルフェッカ警部補です」
「今日は、お見事でした。ありがとうございます」
にこやかに、男は言った。口元に笑みを浮かべている。
「こちら、迎賓館館長のモリアーノ・ロキシムさまだ」
ラスとディックは、丁寧に頭を下げた。
モリアーノ・ロキシムは、執政官ホルス・ロキシムの弟である。
迎賓館の館長と言うのは、執政官が任命することになっているから、身内であることは全く不思議ではない。
「おかげで、だいじにいたらずにすんだよ」
モリアーノはそう言って、膝をついてラスの手を取り、キスをした。
非常に甘い端正な顔をした男だ。
ディックよりは低いが、すらりとした長身で、栗色の髪。年齢は三十五歳という話だが、見た目はもう少し若い印象がある。しぐさが、いちいち気障でなれなれしいな、とラスは思った。
「どうしても、お前たちに礼をと、おっしゃるのでな」
「それは、ご丁寧に」
さりげなくディックが、ラスの前に立ちながら、頭を下げる。
モリアーノは軽く肩をすくめた。
「狙われたのは、兄ですかね? それともサナデル皇子?」
「それは……調査をしませんと」
ディックは、ムファナの顔を見た。
ムファナの目が、軽く頷く。聞け、ということだろう。
ディックは、モリアーノに椅子に座るように勧め、自分も腰を下ろす。ラスも、ディックの隣に、腰を下ろした。
「月並みな質問ですが、ホルス執政官が狙われるような心当たりは?」
「さあ? どうかな」
質問を振ってきたわりには、無責任な答えだ。はぐらかしているようにも見える。
「執政官は、ふつうに敵の多い仕事だからね。ないともあるとも、言えないよ。実際、ぼくの父は演説会の時に派手に襲われた」
そうでしたね、とディックは頷いた。
ラスは、下を向き、深く息を吸う。そして、わきあがってくる余計な思考を追い出した。
「これからの調査をお待ちください、としか言えませんが、今回の『犯人』をお雇いになった経緯をお伺いしても?」
ディックの問いに、モリアーノの片眉がわずかに上がった。
「詳細は、マルスと言う男に任せてあるから、そっちに聞いてもらえるといいかな。人事に関しては、ぼくは、書類に目を通すくらいだから。確か、議長の推薦状があったはずだが」
「チャップマン議長のお身内ですか?」
「……たぶん、遠縁ってやつだよ」
迎賓館で働く、となれば、人品卑しからざる、というのが条件になる。議員や貴族の称号を持った人物からの紹介状や推薦状を持っているというのが、採用の第一条件になる。
「犯人について、何か覚えていることは?」
「さて。勤務上に問題があったことはなかった、ということくらいかな」
迎賓館館長とはいえ、モリアーノはほぼ、『お飾り』なのであろう。
そもそも、モリアーノは、ロキシム家の経営する銀行の頭取もやっていたはずだ。
「たいへん失礼ですが、ご兄弟の仲は、ご円満で?」
ディックの言葉に、モリアーノはふぅっと息を吐いた。
「うーん。どうかな。兄は、固い男だからねー。ボクを嫌っているかもしれないね。ただ、商売はボクがうまくやっているわけだし、表面上、悪くはない」
真面目なのか、ふざけているのかわからないような口調だ。
「あなたからみて、ホルス執政官はどのような方で?」
「固いね。マジメすぎだと思うよ」
モリアーノは言いながら、懐から葉巻をとりだした。
「ホルスさまのお仕事に関してはどう思われますか?」
ディックは、質問を続ける。
「さあて。政治家なんて、面倒なことだとは思うね。それほど金にもならんし、『節制した生活』とやらをせねばならんし。寄ってくる女に、寝首をかかれる心配があるなんて仕事、ぼくはいやだけど」
モリアーノは、悪びれもせず、そういった。
「寝首をかかれる心配をするような、政敵がいらっしゃると?」
「どうかな。まあ、一般論だよ。具体的にぼくが知っているわけじゃない」
それを調べるのは、そっちでしょ、と、モリアーノはそう言って、白い煙を天井に吹き上げる。
「サナデル皇子については?」
モリアーノは肩をすくめた。
「平和主義で理想家のおぼっちゃまだよね。ラセイトスには都合がいいんじゃない?」
興味がない、と言いたげなもの言いである。
「まあ、特にわがままを言うでもなく、『客』としては、申し分ないひとだと思うよ」
政治家の弟とは思えない感想ではあるが、サナデル皇子のひととなりは、それなりに見てはいるのだろう。
「失礼ながら、モリアーノさま、ご結婚は?」
「それ、なんか関係あるの?」
ラスの質問に、モリアーノの目が鋭くなった。
「何かご不都合でも?」
「なるほど」
モリアーノは、値踏みするようにラスを頭の上から、じろじろと見た。
「ぼくは結婚していない。みれば、なかなかに美しいお嬢さんだ。ぼくの家に遊びに来ないか」
「あいにく、仕事が立て込んでおりますので」
「それは、残念」
ラスが断ると、モリアーノは興がそがれたというような顔になった。
「では、ぼくは、これで」
モリアーノは、頭を下げて出て行った。
「どういう意図だったのでしょう?」
ディックがムファナに問いかけるが、ムファナも首をかしげるばかりだ。
「挨拶と捜査の激励に来た、ということだろう」
「考えの読めぬひとですね」
「政治家の弟というだけのことはあるかもな」
ラスの言葉に、ディックが頷く。
ムファナは自分のデスクに戻り、大きく息を吸った。
そして、机の引き出しから、書面を取り出す。
「おまえたち、明日は、執政官の屋敷に行ってもらいたい」
「執政官になにか?」
「どうにもモリアーノ氏の言動が気になる。それに」
ムファナの言葉に、ディックとラスは頷く。
「これを見ろ」
ふたりは、机の上に置かれた書面に目を落とした。
「最近の『夜人形』のおこした事件というのは、執政官近辺がどうにもきなくさい」
「ああ、なるほど」
夜人形による最初の事件は、八年前。ラスの父親が死んだ事件だ。
解決ずみではあるが、あの事件もホルスの父であった執政官がからんでいる。
事件がひんぱんになりだしたのは、ここ一年。
『夜人形』と確認されたのは、十名。うち、意識を取り戻したのは四名。
夜人形にされた者の業種も生活圏も年齢も様々だ。意識を取り戻したものも、ある一定時期からの夜の記憶がすっぽり抜けおち、しかも昼間の記憶もかすんでいる。
狙われたのは、ラセイトスの要人ばかりだ。議員だったり、商人だったりするが、こちらは、いずれも執政官とつながりがある人間といえる。
「やり手だけに、敵も多そうですからね」
ディックは肩をすくめた。
ホルス・ロキシム執政官は、現在三十八歳。
もともと家柄が侯爵家だったこともあるが、商売もうまく、しかも人心の掌握術にたけている。
執政官の座に就いたのは、二年前だ。
父親の在任中の演説会に血の惨劇があったという点さえも支持にかえるしたたかなタフさ。
顔立ちも整っていることもあり、市民からの人気も絶大である。
「ロキシム家そのものにも火種があるようにも見える。一度、調査が必要だ」
「そうですね」
ふたりは、ムファナに敬礼をして、部屋を出た。
街の灯が消えて、人通りはすでにない。暗い闇の向こうの波の音が聞こえてくる。
石畳に、ふたりの靴音が響く。
「ラス」
暗闇の中、ディックは心配そうに、ラスをみた。
「何?」
「あまり無理をするな」
「大丈夫よ」
ラスは微笑む。
夜人形がらみの事件は、どうしたって、父の死を思い出す。
でも、それは、誰にだってひとつくらいある荷物の重さだと、ラスは思う。
手放すことで、幸せになれるとは思えない。
「それじゃあ」
手を振って別れかけた路地を曲がらずに、ディックはラスの横を歩く。
「送る。さすがに、遅い」
「大丈夫よ」
「お前は、どんな時も大丈夫としか言わない」
ディックが小さく呟いた。
そして、それ以上何も言わずに、先を歩く。
――この優しさが、いけない。
そう思いつつ、ラスは、ディックの大きな背中に安心感を覚えるのであった。
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