第4話 執政官1
執政官の屋敷は海の見える丘の一等地にある。
青い海が、中庭の緑の向こうできらめく。
「あなたは、メラク・アルフェッカ警視の?」
ホルスは、挨拶をしたラスの顔を覗き込んだ。
弟とよく似て、甘く端正な顔立ちだが、誠実な雰囲気で、気障な感じがしない。
「娘のラスです」
メラク・アルフェッカは、ホルスの父親の警護中に殉死した。
八年たっても、ホルスの記憶に残っている。そこに、ラスは父の仕事に誇りを感じる。
「警察に入ったとは聞いたが、娘さんに私も命を救われるとはね」
ホルスはそう言って、頭を下げた。
正確には、ラスは夜会で『夜人形』を捕まえただけで、『夜人形』が誰を狙ったかは、わからないのだが、政治家としてのホルスの危機を救ったことにはかわりはない。
「ゆっくりお礼をしたいところだが、あいにく時間がなくてね」
執政官としての顔だけでなく数々の仕事をこなすホルスにとって、時間は貴重だ。まして、隣国の使節団が国を訪れているとなれば、スケジュールは息をつく暇もないのであろう。
ホルスはすまなそうにそう言った。
「お時間は取らせませんから、お話を」
ディックが口をはさむ。
今日はディックもラスも私服だ。警備以外の任務の時に制服でうろつくのは、目立つからだ。
もっとも、目立ちはしないものの、男モノを着ているラスの姿は、見る側からみれば、それなりに違和感があるかもしれない。
「もちろん捜査に協力はするが……」
「二、三、お答えいただくだけで構いません。あとは、お屋敷の方にお話を伺うご許可をいただければ」
ディックの言葉に、ホルスは、頷いた。
「それで、何を聞きたいのかね?」
「サナデル皇子が狙われたことに、心当たりはありませんか?」
ラスの言葉に、ホルスは肩をすくめた。
「ありすぎるほどある。まずは、我が国の反帝国派。これは少数派だが過激でやりかねない。もしくは、現在の政府の反政府派。ようするに、行政に対する反対派で、数は多い。しかし、隣国の皇子に手を出すほど馬鹿ではないと思う」
「なるほど」
「一番厄介なのが、帝国からの刺客だな。皇子を追ってやってきたのなら、皇子とともに帰ってくれるが、我が国に入り込んだ工作員だと、いろいろ今後、面倒だ」
ホルスは、大きくため息をついた。
確かに狙われたのがホルス本人であれば、話は分かりやすいが、『隣国の皇子』とすると、事情はかなり複雑でややこしい。
「迎賓館の人事は、マルスという人物が行っていたようですが、ご存知ですか?」
「ああ、マルスは、銀行の役員をやっていたやり手でね。もうかなりの年寄りだが、シャキシャキしている信用できる男だよ」
迎賓館長にモリアーノを推薦したとき、いっしょにマルスを補佐につけた、ということらしい。
「昨晩の犯人が、チャップマン議長の推薦状をもっていたというのは?」
「そうなのかね?」
ホルスは驚いたらしい。
「マルスの目にかなったということは、そういったことだけでなく、仕事ぶりも悪くなかったとは思う――そんな男が、なぜ……」
「犯人は、『夜人形』。意味は、お分かりになりますよね」
ディックの言葉に、ホルスは頷いた。
夜人形というのは、まだ、世間に公にはされてはいない。
しかし、執政官なら、当然知っていることだ。
「そうか。何者かに、操られた、ということだな」
ホルスはあごに手を当てた。
「『夜人形の書』は、ラセイトスの闇社会のどこかにあります。このたびのことがサナデル皇子の継承権に絡んだ事件となりますと、それが国外に流出した可能性まで考える必要があるということです」
ラスの言葉に、ホルスの顔はさらに険しくなった。
「治療法は、ハワード・ルクセン氏によって見いだされてはいますが、確実とはいえません」
「わかっている。治療院や魔術研究所に予算を増やして研究させてはいる。ただ、このての研究は、研究員が増えることも危険だ。それに、警察も増員しているだろう?」
「はい。我ら警察も一丸となって、捜査はしております」
ディックは姿勢を正してみせた。
「つかぬことをお伺いしますが、モリアーノ・ロキシムさまとのご関係は良好でございますか?」
ホルスは、眉を寄せた。
「別段、けんかはしておらんよ。執政官になってからは、銀行のほうはモリアーノに任せてある。商売のほうは、私は手を引いて、あいつに全て譲渡するつもりだから、財産的にもめることもないと思うが?」
「奥様も、そのことはご承知で?」
「もちろんだ」
ラスの言葉に、ホルスは頷いた。
「モリアーノさまは、ひょっとしたら、あなたに嫌われているのではないか、とおっしゃっておられましたが」
「……そうか」
ホルスは、苦い顔で頷いた。
「兄弟として、あいつの奔放さは、嫌いではないが、私には公人としての立場がある。噂を聞いたことはあるかもしれんが、女性関係の激しい男でね。また、商才がないわけではないが、堅実性に欠ける。つい、顔を見ると小言を言ってしまうのだ」
ホルスとモリアーノは商売の仕方がまるで違うらしい。
「そのことで、お互いがぎくしゃくしているという面は、確かにある」
ホルスはそう言って、肩をすくめた。
「昨日の感じでは、モリアーノさまは、あなたが政治家をされていることに不服があるようにお見受けしましたが」
「それはあるかもしれん。モリアーノは、昔から親父の仕事も否定的だってたし、今も隠遁して絵を描きたいらしいから。商売を押し付けられ、辟易としているのかもしれない」
「絵ですか?」
「美女を侍らせるのも、そのためだ。ただ、残念ながら、それほどうまいわけではない」
ホルスは、そういって、ため息をついた。
ホルスの出仕の時間がやってきたので、家令がその旨を告げた。
ホルスは、ふたりに家令に協力するように言って、屋敷を出て行った。
家令のスミスは、ふたりを部屋に案内し、お茶を用意する。
「ところで、モリアーノさまは、こちらにお住まいで?」
「モリアーノさまは港湾近くの市街地にお住まいです。職場の近くがいいとのことで」
ホルスは既に既婚であるから、というのもあるかもしれない。
もっとも、これだけ広い屋敷であるから、顔を合わせずに生活することもできるとは思われるが。
「失礼ですが、モリアーノさまと、ホルスさまの仲は?」
「特に問題はございません」
ラスの問いに、スミスの眉が、わずかにゆがんだ。
「噂では、モリアーノ氏は女性関係でもめ事が多いと聞くが」
ディックは、スミスを覗き込むようにそう言った。
「モリアーノさまは、絵をおかきになるのがご趣味でいらっしゃいます」
スミスはすこしだけ間をおいて、また、無表情を装う。
「そのモデルとして女性を家にお呼びになることも多いことなども、うわさの原因ではないかと思います。ですが、そのあたりは、私のような使用人が意見することではございませんので」
この言い方は、かなり、目に余る様子ということなのだろうな、とラスは思った。
「絵の腕前については?」
その問いに、スミスは複雑な顔をした。
「商才はおありですが、ご自身の絵を売るお相手にはご苦労されているかと」
「なるほど」
つまり、ホルスと同意見だと言う事だ。
もし、絵に才があれば、ホルスも商売を押し付けずに、ある程度の財産を分与して好きにやらせたかもしれないが、どうやら、それでは『食っていけない』のであろう。
「ご兄弟の仲はどう思われますか?」
「だんなさまには執政官というお立場でありますから、ご兄弟の情だけでは割り切れぬことはある、とは思います」
モリアーノとホルスの間には、溝はある、ということだろう。
「最近、お屋敷で何かあった、というようなことは?」
「ございません。いたって平和でございます」
「家庭及び、ご交遊のトラブルなども?」
「こちらではございませんが……そうですね、だんなさまの知人の方が何人かトラブルに見舞われた、とは、お伺いしております」
スミスの表情は変わらない。
「ホルスさまは、お仕事等で、お悩みの様子などはありませんか?」
「それは……ない、ことはございませんでしょうが、ご家庭に持ち込まれることはございません」
ホルスは、激務の中でも切り替えのできる男、というわけなのだろう。
「奥さまにも、お会いしたいのですが」
「それは、捜査に必要ですか?」
「もちろんです」
ディックの言葉に、スミスは軽く目をまばたきした。
「わかりました。奥さまにご予定をうかがって参ります」
丁寧に頭を下げ、スミスは部屋を出て行った。
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