日本草創

大宝律令

 七〇二年十月、讃良は藤原不比等と柿本人麻呂に案内されて、藤原宮ふじわらのみやの一室を訪れた。

 大きめの部屋であったが、文字どおり山となっている木簡によって占領されている。背丈よりも高く積まれた木簡に、わずかに人が歩けるだけの隙間が、谷のようになって奥へ続き、木と墨の香りが混じって漂っている。上座の三方に置かれた巻物の中から一巻を不比等が恭しく讃良に献じてくれた。

 大宝律令たいほうりつりよう

 手にした巻物の表紙に、太く大きな文字で書いてある。

「舎人を総動員して大宝律令の写しを作り、諸国に配布する準備が整いました。太上天皇だいじようてんのう様の裁可をいただきしだい諸国に木簡を送ります。紙の巻物は天皇様はじめ、皇族方、参議の皆様に届ける予定です。手にしていただいているものは第一巻です」

 不比等が右手を広げて指し示す三方には何巻も積まれていた。

「年号から名前をとったのですか」

「昨年、太上天皇様は儀鳳暦ぎほうれきを百官と諸国に配布し『大宝』と建元されました。同時期に配布した令のことを誰言うとなく大宝令というようになり、今年になって律ができましたので、合わせて大宝律令と呼んでいます」

軽大王かるのおおきみ様が年号を使い始められましたが、次の宝大王たからのおおきみ様以降、年号は絶えて使っていませんでした。幼かったときには年号よりも干支の方が便利だと思っていたのですが、天皇になり、国創りの過程で軽大王様の意図したことが分かるようになりました」

「天皇様は、民や土地だけではなく時も支配なさる」

 不比等の言葉に、讃良は頷く。

「藤原宮や年籍ねんじやく(戸籍)はすでにできています。律令を発布することで、太上天皇様の国創りが完成します」

 讃良が施行した大宝律令は全二三巻からなり、以降、格式きやくしきと呼ばれる改変を経ながらも律令の基本とされ明治まで続いた。

 巻物を紐解くと、白い紙にびっしりと楷書の文字が並んでいた。規則正しく並んだ文字は、国の形を整えるという役目の重さを自覚して気負っている。

 私の後半生をかけた仕事です。圧巻という言葉がふさわしい。国家千年の形ができたのです。もう、唐国や新羅に東夷の国と言わせません。

「律令の作成では、藤原朝臣や上野毛朝臣かみつのげのあそみたちに苦労をかけました。感謝します。諸国に配布し、律令で国を治めてゆきましょう」

 不比等と人麻呂は立て膝になって頭を下げた。

 巻物から目を離し、顔を上げると木簡の山が迫ってくる。木簡の山は手で押しても、びくとも動かない。木簡の重さに床がたゆんでいる。

 不動の木簡は国の重さです。

 深呼吸すると、胸の中が墨の香りでいっぱいになった。

 墨の香りは、新しい国の息吹なのです。

 高市皇子が亡くなってから六年しか経っていないのに多くの人間が亡くなりました。弓削皇子、新田部皇女、大江皇女、飛鳥皇女、丹比朝臣嶋、大伴朝臣御行…… 壬申の功臣もほとんどが鬼籍に入いりました。次は五八歳にもなった私の番でしょう。死ぬ前に律令を完成させ、国の形を作ることができて良かった。

 草壁……。

 草壁が天皇として大極殿に立つ姿を見たかった。草壁が生きていれば……。

 死んだ子供の年を数えてはいけません。これからは珂瑠の時代なのです。珂瑠は二十になり自分の意見が言えるようになってきました。良い友に恵まれ、子供のおびとも歩くようになりました。国家を創るという大仕事を成し遂げたうえに、ひ孫の顔も見ることができ、私は幸せものです。

 総白髪の志斐が入ってきて、「輿の用意ができました」と告げた。

「柿本朝臣、藤原朝臣。国見に出かけましょう」

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