讃良の即位

 六九〇年一月一日。讃良は飛鳥浄御原宮で即位の儀を行った。

 志斐ら采女にかしずかれて、正装に着替えた讃良は、大殿から中庭に面した廊下に出た。

 紺碧の空は晴れて雲一つない。

 冷たい空気が身を引き締め、吐く息は白くなる。大空から鳶の甲高い鳴き声が響いてきた。耳成山みみなしやま畝傍山うねびやま天香具山あめのかぐやまの倭三山は、生駒の山を後ろに控えさせて、讃良の即位を見守り、飛鳥川は澄んだ川音を立てていた。山の木々は厳しい冬に耐えながら、春に花を咲かせるための力をためている。

 讃良が大殿から姿を現すと、中庭は水を打ったように静かになった。群臣まえつきみや百官は、定められた色の冠と衣を身につけ整列している。百官が一斉に跪き頭を下げると、白い玉石を敷き詰めた中庭は、手入れされた花壇のように彩られる。

 石上麻呂いそのかみまろが中門に大盾を立てると、大門の両脇、宮の外周に一斉に幟があげられた。

 大伴手拍おおとものてうちが大きな声で即位の儀の開催を宣言する。

 明神あきつかみと御宇あめのしたしろしめす天皇すめらみこと。私は日本国を治める天皇に即位する。

 草壁を天皇にすることはできませんでしたが、草壁は珂瑠を私に残してくれたのです。珂瑠のために中継ぎの天皇になったと陰口をたたかれてもかまいません。私は珂瑠を天皇にしてみせましょう。

 下毛野子麻呂しもつけののこまろが立ち上がる。群臣と百官も玉石の音を立てながら立ち上がった。

 子麻呂の柏手が浄御原宮に響き、次いで群臣たちも柏手をたたいた。

 最前列にいた中臣大嶋なかとみのおおしまが、一歩前に出て天神あまつかみ寿詞よごとを読み上げ、最後を

大八洲国おおやしまくにを治められます天皇様に、我ら群臣、百官一同は二心なくお仕えいたします」

 と結んだ。

 風は止み、暖かい陽の光が浄御原宮に降り注ぎ、忌部色夫知いんべのしこぶちが、神器の剣と鏡を讃良に恭しく捧げた。草薙剣くさなぎのつるぎは邪鬼を切り裂き、八咫鏡やたのかがみは四海を照らす。

 讃良は神器を受け取った。

 大伴手拍が「ただいま、皇太后様は天皇に即位なされました」と大きな声で宣言すると、群臣と百官は拝礼し柏手を打った。

 群臣を代表して丹比嶋たじひのしま布勢御主人ふせのみぬしが即位の寿詞よごとを読み上げる。新羅の使者が祝辞を述べ祝いの品を献上した。諸国の国司くにのみこともち、有力な評造こおりのみやつこが次々に祝いの詞と品を差し出していった。

日本ひのもとでは大王と大后が二人して国を治めてきました。大后が即位する場合は男子皇族の一人が補佐に当たるのが昔からのならいです。額田部大王ぬかたべのおおきみ様の場合は厩戸皇子うまやとのみこ様が、宝大王たからのおおきみ様には軽皇子様や葛城皇子様が補佐の任に当たりました。私は高市皇子を太政大臣に任命し、政の補佐とします」

 群臣の最前列にいた高市皇子は一歩前に出ると、讃良に対して深く頭を下る。

「太政大臣の職を謹んでお受けいたします。よろしくお引き回しください」

「左大臣は空席、右大臣には丹比朝臣嶋たじひのあそみしまを任命します。老いて妻なきをかん、夫なきを、幼くして父なきを、老いて子なきをどくといいます。弱者を助けることが政であれば、これらの者に稲を下賜し調ちようえきを免除します。丹比右大臣は手配するように」

 丹比嶋は恭しく頭を下げた。

 ゆっくり息を吸い込むと、冷たく新鮮な空気が胸の中に入ってくる。

 私の日本国。残りの人生のすべてをかけて、我が国の形を創ってゆきましょう。

 雅楽が演奏され、浄御原宮は華やいだ雰囲気に満ちる。風が出て、旗や幟が軽快になびき始め、讃良の顔を春の日が照らしてくれた。

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