息子の嫁

「草壁の后としてふさわしい娘は?」

 讃良の部屋に麩菓子と白湯を持ってきた志斐が答える。

皇女ひめ様の中から選ぶのであれば、御名部皇女みなべのひめみこ様、阿陪皇女あへのひめみこ様、山辺皇女やまべのひめみこ様、飛鳥皇女あすかのひめみこ様、大伯皇女おおくのひめみこ様、但馬皇女たじまのひめみこ様、紀皇女きのひめみこ様でしょうか。美濃王みののおおきみ様や高坂王たかさかのおおきみ様にも姫様がいらっしゃいます。藤原鎌足様の娘、蘇我赤兄様、中臣金様の娘も乳母の家にいます」

「草壁にふさわしい娘は……」

 同じくらいの年の娘が良い。私と大海人様のように年が離れていると話が合わない。

 子供の但馬や紀は候補から外れる。

「器量がよい采女が何人もいます」

「草壁の后は将来皇后に、子供は天皇になります。母の身分が低ければ、皇后になれず、子供は諸王の扱いです。群臣まえつきみたちは、皇后を立てるために二人目をきちんとした身分からとれと言い出すでしょう。二人目を娶れば、三人、四人と歯止めがなくなります。草壁には女に見境のない男になって欲しくないのです」

 鏡王かがみのおおきみの娘である額田皇女様でさえ、お父様や大海人様の后になれなかった。蘇我や中臣は名門だが正后にしようとすると抵抗する者が現れる。単に后を選ぶのではなく、后の子供が天皇になるから選ぶのが難しくなる。

「飛鳥の評判はどうですか」

 志斐は首を振る。

「ここだけの話にしておいてくださいまし。飛鳥皇女様は美人なのですが、わがままで、きかん気、思いやりがありません。いつも舎人や采女を困らせていますので皆に嫌われています。皇子様の嫁にはよろしくありません」

「身分が高くても心根が卑しくて嫌われていては、人としてだめですね。心優しい草壁に思いやりのない娘を付けては、草壁が気苦労してかわいそうです。飛鳥を候補から外して、年上ですが御名部はどうですか」

「皇后様はご存じないと思いますが、浮き名が何回か流れています」

「心が多い女はいかがなものでしょうか……」

 草壁を裏切って浮気しそうな女は問題外です。

「阿陪皇女様、山辺皇女様、大伯皇女様はおしとやかですし、年も草壁皇子様と同じくらいです。三人の中から選ぶのであれば……」

 草壁と姉弟同様に育ってきた大伯を后にすることは考えものです。

「大伯皇女様は伊勢神宮の巫女様です」

「志斐のいうとおり、神様の嫁をもらうわけにはいきません。残るは阿陪と山辺ですか。志斐ならばどちらを選びますか」

「阿陪皇女様は草壁様より一つ上ですから、年下の山辺皇女様がよろしいでしょう」

 山辺皇女……

 儀式の時によく見かける。いつも朱色の衣を着ている。細い体に、かわいい顔立ちをして、自分と同年代の采女を従えてさっそうと歩いていた。衣の色のように気性が激しいと聞いたことがあります。

 草壁はおとなしい性格だから、尻に敷かれてしまうかもしれません。

「柿本臣や藤原臣に山辺の評判を聞いてみましょう」

 讃良の言葉に従って、志斐が柿本人麻呂と藤原不比等を呼んできた。

「山辺皇女様に歌をお教えしたことがありますが、難しいお方でした。私が草壁皇子様ならば、迷わず阿陪皇女様を選びます」

「阿陪皇女様は控えめな方ですが、人に流されることなく自分を貫く芯の強さをお持ちです。草壁皇子様が天皇様になられたときに支えてくださるでしょう。山辺様は感情に流されて自分自身を見失われるときがあります。私も柿本殿と同じく、阿陪様を推薦します」

阿部皇女あへのひめみこ様よりも山辺皇女様の方が器量が……」

 志斐の言葉を遮り、人麻呂と不比等は声をそろえて、

女子おなごは器量ではなく気立てです」

 と言った。

 讃良は志斐と一緒に、クスッと笑う。

 二人は同じような経験があるらしい。

「天皇様のご意向はいかがでしょうか」

「大海人様は、子供たちは自分で好きな姫を見つければよいと思ってらっしゃいます」

 大海人様は、草壁の幸せがかかっているのに無頓着。子供の后よりも、自分の女の方に関心があるのです。私がしっかりと考えてやらなければなりません。

 話を総合すると、日下部の后には阿陪が良さそうです。

「志斐は阿陪に話を持ちかけてください。柿本臣は母親の姪娘めいのいらつめに打診してください。大海人様には私から申し上げます。草壁には藤原臣から言ってください」

「草壁皇子様も立派な年になられました。母上様にすべてお膳立てされたのでは、へそを曲げられるでしょう。阿陪様を好きになるような自然な流れを作ることが肝要かと」

 草壁のことを子供だと思っていますが、后を誰にするか考えなければならないほどに大人になっているのです。藤原臣の言うとおり、草壁の自尊心を傷つけることは得策ではないでしょう。で、あれば、

「宴席など機会があるごとに、草壁様の隣に阿陪様が来るようにしましょう。采女たちにもお二人の話を盛り上げるように申しつけておきます」

 策士と言われる藤原臣らしい案です。姫を押しつけられたと感じてしまったら、自分で他の女を捜し始めるかもしれませんが、自らが選んだと思っていれば、きっと一人の女を大事にしてくれるでしょう。

「草壁に悟られないように話を進めましょう」

 讃良の言葉に人麻呂たちは「それでは」と部屋を出て行った。

 本来ならば大海人様と一緒になって草壁の后選びをしなければならないのに、大海人様はあいかわらず献上される女にうつつを抜かしている。

 讃良は「ふっ」とため息をついた。

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