石川郎女
十市皇女の衝撃的な事件も、二ヶ月たつとすっかり人の口に上らなくなった。
讃良は十市の
川原に広げた敷物の上座に讃良が、下座には人麻呂と不比等が畏まって座る。近くには即席の竈をもうけ、膳と酒の用意に采女たちがせわしく動いている。
梅雨が終わった空から降り注ぐ強い日の光は夏が近いことを感じさせ、ときおり河原を吹く風が讃良の長い黒髪を揺らしていた。
讃良は十市皇女の殯の儀での働きを誉めた後に、酒を下賜するとして、遠慮がちに座っていた二人を呼び寄せた。
恐縮する二人に、讃良が酒を注ぐと、芳醇な香りが風に舞う。
「柿本臣は歌をよく詠むと聞きましたが」
「下手の物好きにございます。気に入った歌を書き留めていましたところ、柿本は歌を詠むらしいと言われるようになりました」
柿本人麻呂……
歌で評判な人間がいると聞いたことがありました。志斐は、良い噂も悪い噂もない、見た目どおりの、地味な人間だといいます。三十前後で私と同じくらいの年。人が良さそうで、野心や邪気は感じません。
「
人麻呂は一回辞退してから
「先年、十市皇女様の使いで越の国へ行った帰りに、
と、木簡に書き付けた。
近江の
(近江の海(琵琶湖)。夕方の波の上に千鳥が浮かんでいる。お前が鳴くと、心がしおれるほどに、昔のことが思い出される)
夕方の琵琶湖。波は穏やかで夕焼けを映して金色に輝き、千鳥の群れが浮かんで羽を休めている。千鳥の鳴き声で、柿本臣が思い出す昔のこととは近江宮のことであろうか。
簡単な言葉を重ねて、美しい情景と悲しい思い出を作り出しています。歌詠みという評判は嘘ではないらしい。歌は、近江宮を棄てた大海人様を批判しているようにも聞こえますが、純粋に昔を懐かしんでいるだけと解釈しましょう。
人麻呂は、注がれた酒を飲み干すと、一礼してから杯を置いた。
柿本氏は、名門の春日氏の傍系ですが、春日氏が落ちぶれているので朝廷での栄達は望めそうにありません。もともと出世のできる家柄ではないから、柿本臣からは野心を感じないのでしょう。
「近江宮はどのようになっていましたか」
「焼け崩れた宮は風雨にさらされ見る影もなく、狐など野獣のすみかとなっていました。賑やかだった近江宮を思い出し、思わず口ずさみました」
「柿本臣は漢詩や漢籍は得意ですか」
「お恥ずかしい限りではありますが、読み書きは一通りできます。ただ、私は漢詩よりも
「
「亡くなった兄が唐国から持ち帰ったものを読んでいるに過ぎません。仏教で国家を治めようという考えもあるようですが、私は律令こそが国家の要になると考えています。天皇様の御心について群臣の間で解釈が違っては政が混乱します。天皇様の命を間違いなく実行するために、官人が恣意的な仕事をしないように律令が必要です。若輩で
藤原不比等……。
「律令とは藤原臣の言うほどすばらしいものなのでしょうか」
「律は悪事を働いた者を罰する決まり。令は官人の仕事や宮中での行事を定めます。律令があれば官人の恣意で裁かれることはなくなり、細事や年中行事で天皇様を煩わせることはなくなります。律令こそが国家を創ります」
切れ者との評価は嘘ではないらしい。中臣と藤原の一族は近江朝で活躍したにもかかわらず、壬申の乱で没落しかけている。柿本臣とは違い一族を盛り上げたいという思いが体から気となって出ているのです。
「二人と、十市との縁はいつからでしたか」
「私も藤原殿も大友皇子様の舎人をしておりました。壬申の乱で大友様が亡くなられましたので、そのまま十市皇女様にお仕えしておりました。皇女様にはもっとお仕えしたかったのですが……」
二人は下を向いた。
壬申の乱の時は、二人とも近江朝にいたのでしたか。柿本臣は痩せていて戦の役には立たなさそうで、藤原臣は子供だったから、二人とも戦には出ていないでしょう。大友に仕えていたといいますが、私には二人を恨む理由はありません。
「私の舎人になって皇后の仕事を助けてもらえないでしょうか」
二人は「喜んでお受けします」「願ってもないことです」と二つ返事で承諾した。
「私の仕事と一緒に、柿本臣は、草壁に和歌や漢詩を教えてやってください。幼い頃に読み書きを私が自ら教え、今は百済の博士を招いていますが、和歌や漢詩に堪能なものがいません」
「もったいないお言葉です。喜んで草壁皇子様のお世話をさせていただきます」
「藤原臣には、
「
人麻呂と不比等は両手をついて感謝した。
讃良が二人に酒を勧めていると、讃良の横に座っていた志斐が「あれは」と指さした。
飛鳥川の向こう岸を、馬を牽いた人が通りかかっている。
「馬を牽いているのは大津のようですね。馬に乗っている娘は誰でしょうか」
「
人麻呂が答える。
「草壁皇子様と大津皇子様が石川郎女様に贈った歌が評判になっています」
草壁と大津が石川郎女を取り合っているのですか?。
お父様と大海人様が若い頃に額田皇女様を取り合ったと聞いていますが、息子たちも同じ事をするとは。まったく男という生き物は……
人麻呂は采女から木簡と筆を受け取ると、さらさらと書き「草壁皇子様の御歌です」と讃良に渡してくれた。
(大名児(石川郎女)のことを、野原で一つかみの茅を刈る、ほんのわずかの間でも忘れたりはしません)
草壁の相聞歌……
草壁が相聞歌を贈る年頃になっていたなんて、全く気づいていませんでした。いつまでも「母さま、母さま」と私の後を、チョロチョロと付いてきた頃の思いが抜けません。
束の間も娘のことを忘れないという歌は、相聞歌として悪くない。
人麻呂は「大津皇子様が贈られた歌です」と次の木簡を渡してくれた。
あしひきの 山のしづくに
(山に夜露が降りる頃まで、あなたを待っていたら、私の衣の裾は山の雫ですっかり濡れてしまいました)
「石川郎女様が大津皇子様に返された歌です」
(私を待っている間に、あなたを濡らしたという、山の雫に私はなりたいと思います)
同じように娘を想う歌でも、大津の歌の方がうまい気がするし、石川郎女は大津の歌にうまく応えている。
「草壁と大津の歌を柿本臣はどのように評しますか。遠慮はいりません。率直に言って下さい」
「草壁皇子様は生真面目な性格でいらっしゃるのでしょう。束の間も忘れないと、皇子様のお気持ちが素直に出ています。よろしいお歌ですが、姫様に贈る歌としては堅苦しさを感じます。大津皇子様は、姫様を待っていたら夜露に濡れてしまったと詠まれました。姫様を思う気持ちは同じですが、遠回しな歌い方に趣があります。昼間に皆と一緒に茅を刈る仕事をしているよりも、仕事が終わって薄暮に山裾で一人待っているというほうが叙情がでています。待っていたら夜露に濡れたという言葉に、石川郎女様の夜露になって濡らしたいという言葉が、見事に合っています」
「相聞のやりとりからすると、草壁は振られたのでしょうか」
志斐が首を縦に振って答える。
遠くて話し声は聞こえてこないが、大津と馬上の石川郎女は楽しそうに見つめ合っている。川面が照らす光に、二人の顔が輝いている。
私は大海人様と一緒に歩いたことがないから、若い二人を見ているとうらやましくなる。歌を贈り合い、笑いながら話をするような経験がしたかった。
対岸の二人は讃良たちに気づくことなく遠くへ行ってしまった。
草壁も大津も親の後をついて回る年ではないが、自分から離れて行くようで寂しい。大津は草壁より一つ下なのに、屋敷をもらって私から自立しました。独り立ちできない子供は困りものですが、大津が家を出て私の中から何か欠けた気がします。草壁も私の元を離れる日が来るのでしょうか。
気がつけば草壁は十八歳。私が草壁を生んだ年になっています。娘に興味を持って当然の年頃です。草壁を、お父様や大海人様のように、女遊びをするような男にしてはいけません。草壁と后は、私と大海人様のように形だけの夫婦であってはいけないのです。草壁は一人の后をかわいがって仲良く暮らして欲しい。
それにしても、天皇の第一皇子である草壁を振るとは、石川郎女はたいした娘です。草壁はがっくりしたでしょうが、石川郎女は身分が低いから、むしろ振られて良かったのです。草壁の后には相応の
「草壁の后としてふさわしい皇女は?」
「
「どの皇女も帯には短く襷には長い。草壁の后は将来の皇后です。慎重に選んであげましょう」
志斐が「そうでございますね」と言ったときに、料理が運ばれてきた。
膳にはきれいに盛りつけられた魚や野菜の料理が並び、椀からは良い香りの湯気がただよっている。
「藤原臣は歌を詠みますか」
「漢籍を読むのは好きですが、歌はからっきしです。ご勘弁ください」
不比等は頭をかいて答えた。
「私も歌は苦手です。歌は柿本臣に教えてもらうとして、冷めないうちに料理をいただきましょう」
柿本臣と藤原臣は私の懐刀になってくれるでしょう。
香ばしいにおいと、陽気に食欲がそそられると、藪の中から鶯の鳴き声が聞こえてきた。
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