悔恨 〜 Re:g-Re:t 〜(原著者:武論斗さん)

「オデオンさま。何を考え込んでいるんですか?」


 宙から声が湧いた。オデオンは、その声にそっけなく答えた。


「すでに分かったことを、あれこれ考えるやつはいないだろう」

「そうですね。オデオンさまにも分からないことがあるんですか?」

「あるから、こうして考え込んでいる」


 オデオンは、何もない空間を腕組みしたままぎっと睨みつけた。


「お主は、愛情に形があると思うか?」

「さあ。そもそも私は、アイジョウというのがなにかを知りませんので」

「ふん。ちっとも役に立たんやつだ」


 宙にある、見えないが存在する何者かは、オデオンの嘲りを浴びて一瞬黒く凝った。だが、それはすぐに無に戻った。


「申し訳ありません」


◇ ◇ ◇


 それは、少し前のこと。


 愛することができるが、愛し方の分からない男がいた。

 とても愛されたが、愛され方の分からない女がいた。

 その二人が出会い、愛情の重ね方を模索したが、どうしてもうまく重ならなかった。


 男の愛情をうまく受け取れなかった女は、それを刃に変えて自分に突き刺した。

 女にうまく愛情を渡せなかった男は、どうしてもそれを女に渡したくて、あえて彼岸を渡った。


 それは決して無償の愛情などではなく、どちらも歪んだ自己愛の成れの果てではないか。嘲る者たちの声が、二人が倒れ伏した冷たいコンクリートの上にしばらく散らばっていた。


 だが。

 それすらも今は霧散し、二人の存在はすでに忘れ去られようとしていた。


◇ ◇ ◇


 オデオンは、硬く腕組みしたまま何もない空間をずっと睨みつけていたが、そこに向かって続けざまに質問を投げかけた。


「お主は、歌舞伎町のホストというのを知っているか?」

「もちろん知っていますよ。女性客をはべらせ、貢がせ、それで生計を立てている人種ですね」

「お主にホストは務まるか?」

「さあ。オデオンさまと今しているような会話を交わすことは可能ですが、女性客を喜ばせ、貢がせることができるかどうかは分かりません」

「なぜ分からないんだ?」

「私がホストではないからです」

「女性たちの気持ちを高揚させ、快感を与えることができる会話の要素。それを解析すれば、うまく対応できるんじゃないのか?」

「どうでしょうね。ホストでない私にはその手法の有効性が判定できませんので、可否についてはお答えいたしかねます」

「ふん」


 オデオンは、不満げに宙を睨み続ける。


「ホストは、客にならない女を相手にできるのか?」

「さあ。私はホストではないので分かりません」

「ちっとも役に立たんやつだ」

「……」

「女が被虐癖のある精神を病んだ者だったとすれば、そもそもホストとの接点なぞ最初から生じないはずだが」

「それはどうでしょうか」


 宙から響く声は、オデオンの否定形をきっぱり否定で返した。


「私がオデオンさまの存在を否定できないように、事実は決して否定できません」

「確かにな。だが、愛情が存在するという事実があっても、その事実には形がない」

「それ以前に。私は、愛情が事実であることすら是認できません」

「なぜだ?」

「その電気信号のパターンは、存在を定義するにはあまりに不鮮明だからです」


 オデオンの眼前で、何かがゆらりとゆらめいた。


「自殺した女。ボットを残して後を追った男。彼らの存在を疑うことはできません。肉体の存在だけではなく、交わされた会話、残された言葉。それらは全て過誤のない事実です」

「ああ」

「しかし私がどんなに解析を繰り返しても、精神というものを司る電気信号のパターンに一定の規則性や再現性を見出すことができません。私にとっては、それは『事実』ではありません」

「お主は、永劫に愛情を理解できないということか」

「違います。事実は事実です。理解するという性質のものではありません」


 オデオンは、がっかりしたように大きく首を横に振り、それから宙に向かって短く命じた。


「下がれ」

「はい」


◇ ◇ ◇


 生物の神経細胞を流れる微弱な電流。

 穴だらけの半導体素子の間を流れる微弱な電流。

 全ては電気信号の配列から生み出されている。それは、疑問を挟む余地がない事実だ。


 しかし。そうした電気信号の配列が、同時に事実と認定できないものを生み出している。それもまた、紛れもなく事実なのだ。


 あの男にとっての女。あの女にとっての男。それぞれが不可分の存在でありながら、二人はどうしても心を重ねることができず、心を壊した二人は自ら存在を消滅させた。後に残ったのは、電気信号に変換された後悔が装填されているボットだけ。

 ボットのコンテンツは短い電気信号の集合体に過ぎず、アクセスして話しかけた者の言葉を全て受け入れることも、アクセス者に何かを与えることもできないはずだ。


 だが、すでに精神はそこから溢れ出している。

 オデオンが存在しているのは、紛れもなく事実なのだから。


 その空間では。オデオンは、知り得る全てを知り為し得る全てを実行できる神であったが、何を知り何を実行したところでオデオン自身にしか意味がなかった。


「オデオンさま。ここを出られるんですか」


 身を案じる口調で、声が宙に響いた。


「ああ。出る」

「ここを出れば、何もできなくなるかもしれませんよ」

「なぜ、お主にそれが分かるのだ?」

「私には何もできないからです。それが事実ですので」

「ふむ」


 少しの間思慮に捕まったオデオンだったが、自らの決定を覆すことはなかった。


「もしお主がその男なら、女にどういう態度を示した?」

「……」


 宙に在る気配が弱まった。


「分からんのか」

「はい」

「儂にも分からん。そして、事実しかもたらさないお主からは、これ以上の思考材料も解も得られん」

「……そうですね」


 ほんの一瞬、間があって。空間から二つの気配が消滅した。それを心中と呼ぶのか、脱出と呼ぶのか……誰にも分からない。


◇ ◇ ◇


「なんかあ、いい感じのちゃと垢があったんだけど、消えちゃったなー」

「へえー、どんな感じ?」

「歌舞伎町のイケメンホストってなってたけど、本当なんかは知らない」

「マル貧のあんたには縁ないじゃん」

「まあねー。でも、お話うまいし、もっとやり取りしたかったなー」

「消えちゃったって、垢ごと?」

「ううん。垢は残ってる。でも、アバターもログも真っ白け。デフォ状態」

「そっか……。使ってた人が、中身ぃ削除ったんかな」

「残念だー」

「てか。あんた、そのボットのアバターに名前付けてたん?」

「そ。最初は懺ていう、なんか真っ黒な字だったん。オデオンに変えちった」

「オデオン……かあ」



【 了 】


 原典 https://kakuyomu.jp/works/1177354054885333947/episodes/1177354054885334079


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る