夏祭り(原著者:流々さん)

「お囃子の練習が始まったな」


 俺が窓から顔を突き出すと、女房がげらげら笑った。


「これで、あんたは仕事が手につかなくなるね」

「ほっといてくれ」


 俺が構うなと牽制しなくても、上の空になる俺を女房が構うことはなくなるだろう。それは、俺が夏祭りを楽しみにしているからということだけじゃない。神輿を担ぐ一ヶ月前からは、いろんななものを断たないとならないからだ。


 酒、タバコはもちろんのこと、博打、肉食、女色にょしょく一切厳禁の修行僧暮らしになる。もちろん、あくまでもそれは建て前で、裏でこっそり、どこかでついうっかりは誰でもやらかす。昔と違って、今はそこまで厳密にやってはいない。

 それでも、神輿を担ぐ側ならともかく、神輿に乗るもんは命がけになる。俺は担ぎ屋の連中と違って、上に乗らんとならん。そこでへまをしでかすと、あとでなにこそ言われるかわからんからな。


 都会の賑やかな祭りとは違う。未だにフィリピンパブくらいしか新しい楽しみのない山間部の町では、夏祭りの神輿担ぎは一大イベントなんだよ。


 今年の神輿を確かめに行こうと思ったら、早々に加藤のじいさんに捕まった。


「よう、きよしさん。ちょい、話があんだがよ」

「なんだい?」

「俺たちも年が年だ。担ぎ手はほかでも調達できっけど、乗り手を確保せんとならん」

「そうだな」

「あんたも、そろそろ……だろ」


 ちぇ。じじいと一緒にしないでくれ。


「まだまだできるよ」

「わかってる。けど、後継ぎは育てんとならんからよ」

「確かにな」


 じいさんの後ろにいたでかい男が、俺を物珍しそうに見下ろしてる。


「で、そいつが候補ってわけか?」

「そう。慎二くんていうんだがな」

「こっちの出じゃないんだろ?」

「違う。見ての通りだ」


 どこが慎二だ、バカヤロウ……ってな具合に見える。どこをどうひっくり返しても日本人には見えん。青い目をした、白人の外人さんだ。


「外人さんにできるんかい」

「いや、慎二くんは日本国籍だ。林大りんだいの講師でこっちに赴任した先生だよ」

「へえー! そりゃ学生たちが喜びそうだな」

「もてまくってるよ」


 加藤のじいさんが、小指を立ててにやにや笑った。


「でも、こんな片田舎じゃ、みんなすぐに逃げ出しちまうだろ?」

「いや、もう黒川に家を買ったって聞いてる」


 おいおいおい! 俺は腰が抜けるくらい、驚いた。


「そらあすごいな。覚悟の上か」

「嫁さんもこっちで欲しいって言ってるし。こっから出ることしか考えてない若い連中に、見習ってもらいたいね」


 過疎化の止まらない山間部では、久しぶりの明るい話題だ。俺もぐんと気分がよくなる。


「おうし! じゃあ、一緒に神輿を見に行こうか。いきなり乗り手はできん。今年は担ぎに回ってもらって、ハイライトんとこ、よおく見といてもらおう」

「清さんも、気合い入るだろ?」

「もちのろんだ。まあ、まだ若いもんには負けないけどな」

「はっはっは!」


 でかい外人が、ぎごちなく笑いながらぺこりと頭を下げた。


「よろしくおねがいします」

「おう! こっちこそ、よろしく頼むな!」


◇ ◇ ◇


 そして、祭りの当日。


 朝一で、子供神輿が賑やかな歓声とともに町中をぐるりと回り、夏祭りの火蓋が切って落とされた。子供達もそれなりに楽しいだろうが、祭りは本来大人たちのものだ。昼から夜にかけてイベントや夜店でどんどん賑やかになるから、子供達にはそっちで元を取ってもらえばいい。もっとも今後のことを考えれば、早くから祭りに深く関わってもらいたいってのが本心だがな。


 昼過ぎから、本家の神輿が練り歩き始めた。うちの神輿は、担ぎ手がみな白装束になる。他とは、ちぃと趣が違うんだ。慎二くんも、白装束からにょっきりと長い手足をはみ出させて、窮屈そうに神輿を担いでいる。

 地区ごとに担ぎ手が代わるので、肉体的な負担としてはそれほどでもない。負担になるのは振る舞いの方だ。そう、祭りの当日は禁欲の明け。神輿がどこの地区を回っても、行く先々で飲まされるんだよ。どんなに酒が強いやつでも、それでへろへろになってしまう。まあ、俺は酒にはめっぽう強いし、乗り手には酒が強要されない。加藤さんのつっこみじゃないが、俺とていつまで神輿に乗れるか分からんからな。しっかり備えておかないとならん。


 各地区への巡行が済んで、神輿が一度馬に戻った。

 さあ、これからが本番だ!


◇ ◇ ◇


「ソウスケ!」

「コウスケ!」

「ソウスケ!」

「コウスケ!」

「ソウスケ!」

「コウスケ!」


 酒が入って声にブレーキがかからなくなった連中が、町の目抜き通りで絶叫を繰り返す。夜も更けて、サーチライトが四方から俺らを赤々と照らし出している。神輿の周辺に群がっているのは、在の面々だけではない。大勢の観光客がカメラを構えて、ひっきりなしにフラッシュを焚く。


 俺は神輿に上がって、でかい掛け声をかけている。


「そうれっ!」

「よいやっさあっ!」


 がたあん! おおおーっ!


 四百キロ近い重さの白木の神輿が派手に転がり、木片がぱっと飛び散った。檜の木香がぷんと漂う。見守る人たちから、大きな歓声が上がった。

 加藤のじいさんは、慎二くんにつきっきりで神輿のまくり方を身振り手振りで解説している。そう、担ぐのは誰でもできるんだよ。でも、捲るのは乗り手との息を合わさないとならない。俺や捲る連中、周囲で見守る人たち……怪我がないようにやらないと、神事の意味がないからな。


 木曽の奇祭、みこしまくりは。今年も神輿をばらばらに破壊するクライマックスに向けて、派手に盛り上がっていた。


◇ ◇ ◇


「お疲れさん」

「おつかれさまです」


 祭りの翌日。公民館で納会があり、初めての参加でとてもよくがんばってくれた慎二くんの歓迎会も兼ねて、年寄り連中がずらっと集まった。


 今年の祭りは天気に恵まれ、怪我やトラブルもなく、客の出も上々だった。俺たちは心底ほっとする。神さんも喜んでくれただろう。上機嫌の俺の横にでかい図体をなんとか押し込んでいた慎二くんが、こそっと話しかけてきた。


「あの、きよしさん」

「ん? なんだ?」

「おとしなのに、うえにのって、だいじょうぶですか?」

「よせよ。七十過ぎのじいさん連中と一緒にしないでくれ。俺はまだ六十八だ」


 慎二くんが納得顔でうなずいた。


「そうですか。たしかにろくじゅうはちはおわかいですね」


 はっはっは! まだ若いのに、うまく持ち上げるじゃないか。


「ぼくなんか、もうろくまんはっせんさいなので、なんかからだがうごかなくて」


 え?


 こいつ。日本人じゃないどころか、地球人ですらなかったのか。


 ……聞かなかったことにしよう。



【おしまい】


 原典 https://kakuyomu.jp/works/1177354054885332628/episodes/1177354054885332629

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