Beggar and a little girl(原著者:歌田うたさん)

 大勢の人が行き交う街角。クリスマスが近付いた町並みはカラフルなイルミネーションで賑やかに彩られ、小雪舞う寒さを全く感じさせなかった。しっかり防寒着を着込んでそぞろ歩く人々も、口から吐き出すのは白い息だけではなかった。親子であり、恋人であり、友人であり、同僚であり……思い思いの喜びと期待を言葉にして、それらを寒気の中に編み上げていく。


 そんな人いきれと賑わいから切り離されるようにして、二人のみすぼらしい老婆がバス停の隣に置かれたベンチに腰を下ろし、ぼそぼそと話し込んでいた。庇がかかっていないベンチは吹きさらしで寒く、そこに座ろうとするものは老婆たち以外誰もいない。


 老婆の一人は、全く似合わない男物の傘をさしていた。あちこちの骨が折れ曲がり、錆びついて、色あせた、ぼろぼろの傘。それが、華やぐ街角にぽっかりと薄暗い穴を空けていた。


「ねえ、モモさん」

「なんだい?」

「本当に大丈夫なのかい?」

「まあ、なんとかなるでしょ」

「モモさんがいいなら、いいけどさ……」

「それより、ハナさん。あんた、居場所を確保できたんかい?」

「おかげさんで。焼け出される前よりいい暮らしになったよ」

「へえー、そんなもんかい」


 少しだけ傘を傾けたモモという老婆は、顔前にちらつく雪を見て目を細めた。


「きれいだねえ……」


◇ ◇ ◇


 それは先月のことだった。冬将軍の襲来で、どの家庭でも暖房器具が本格稼働し始め、それに伴って火事も増えていた。ハナが入居していたホームレス自立支援施設でも、入居者の一人が石油ストーブのヒートガードにタオルをかけたまま寝込んでしまい、それが発火して施設が全焼。八人の死者を出していた。ハナはたまたま出入り口にもっとも近い部屋だったため、命からがら逃げ出して無事だったのだ。


 そんなハナの愚痴をにこにこと聞いているモモという老婆は、この界隈のホームレスの間ではよく知られた存在だった。人嫌い、お節介嫌いで偏屈者ばかりのホームレスの中にあって、物腰がとても柔らかく、いつも彼らの愚痴や身の上話の聞き役になっていたからだ。


「ねえ、モモさん」

「なんだい?」

「そういや、モモさん自身の昔話って聞いたことないなあと思って」

「ははは。そうだね。自分からは話さないからねえ」

「ふうん」

「あたしの話なんか聞いてもおもしろくないよ」

「話したくないの?」

「そんなことはないけどさ。きっと分かっちゃもらえないからね」

「何言ってんの。それはあたしらみんな同じでしょ」

「あっはっは! それもそうだ」


 少しだけ傘を傾け、うっすら乗っていた雪を落としたモモは、ふっと白い息を吐いた。


「あたしが欲しいものは、何ももらえなかったんだよ」

「親とか男に捨てられたんかい?」

「それなら、まだマシさ」

「へー」

「みんな、あたしがいらないものはなんでもくれた」

「誰が?」

「親も、男も、ダンナも、だよ」


 モモが、少しだけ悲しそうな顔をした。


「あたしは、いらないものをもらってもしょうがないの。だからもらったものは、欲しいっていう人にあげてきたの」

「今も?」

「そうだよ。みんなは、あたしがいらないってものばかり寄越すんだ。でも、欲しいって人が他にいないから持って歩いている。それだけなの」


 モモは、幼かった頃に傘を買ってくれた物乞いの男を思い出した。


 おじさん、寒そう、ひもじそう、さみしそう。なにかしてあげたい。だからお金を渡し、声をかけ、案じてあげた。あたしは、あの男の人が欲しいものをなんでもあげたかったんだ。でも、男の人は何も受け取ってくれなかった。お金も、言葉も、気遣いも、何一つ。


 何一つ受け取りはしないのに、銀色の鉢はいつも男の前に置かれていた。ああ、そうだね。彼は全てを拒んでいたわけではなく、欲しいものが来るのをずっと待っていたんだろう。そしてあたしは、彼が何を待ち望んでいるか分からなかった。そのことが、どこまでも悲しかったんだ。


 あたしが無理やり彼に押し付けたお金は、この傘になって戻ってきた。それは俺の欲しいもんじゃない。要らないよって。彼は、それだけじゃまだ返しきれないと思ったのかもしれない。自分の命まで、あたしに向かってぶん投げた。


 要らない。それは……俺の欲しいもんじゃない。


「あは……は。なんだ、あたしも同じじゃないか」

「え? なにが?」

「いや、こっちの話さ」


 モモの時計は、あの時からずっと止まっている。いや……違う。それ以前から、ずっと動いていなかったのだ。少女のままで。


◇ ◇ ◇


 ハナは、モモを簡宿に引っ張っていこうと説得を続けたが、モモがそれをやんわりと断った。


「大丈夫。街中にはいっぱい暖かいところがあるからね。どこかに潜り込める。大丈夫だよ」

「そう……かい?」


 後ろ髪を引かれるようにして、ハナは簡宿に帰った。


 その日の夜。モモは、あのベンチに座ったまま動こうとしなかった。自分の思いも含め、全ての行き場のない思いを抱えたまま、眠るように凍死した。残されていたのはぼろぼろの男物の傘一本だけ。傘はゴミとして処分され、モモは無縁仏として荼毘に付された。


 モモの死を知ったハナは、宿で号泣した。なぜ、引きずってでも宿に連れ帰らなかったんだろうと。


 耳の中に、モモの残した言葉がこびりついて離れなかった。


『あたしが欲しいものは、何ももらえなかったんだよ』



【 了 】


 原典 https://kakuyomu.jp/works/1177354054885346464/episodes/1177354054885346470

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