ショタな僕の国会デビュー(原著者:源 綱雪さん)
瀟洒な住戸が立ち並ぶ閑静な高級住宅街の一角に、周囲の高級住戸よりさらに豪奢な一軒の邸宅があり、全面ガラス張りの大きな書斎で一人の中年男性が国会中継を凝視していた。国会議員、虹公平。彼は与党自由生命党の重鎮だ。
「先生? よろしいですか?」
書斎のドアは開け放ってあったが、そのドアを小さくノックした後でまだ
「ああ、小斉くんか」
「はい。メールのチェックですか?」
「いや、国会中継を見ていただけだ」
「は?」
小斉が、おかしいなという表情で首をかしげる。
「今は、通常国会も臨時国会も召集されてないですよね。録画ですか?」
「いや、中継だ」
「?? あの、先生は出席されないんですか?」
「一応、これが息子の国会デビューなんだよ」
◇ ◇ ◇
それは、突然起こったことではなかった。
国勢調査の回を重ねるごとに、日本の人口が減っていること。多くの国民は、専門家や政治家も含めてそれを出生率の低下がもたらした現象と受け止め、政府は様々な出産・育児の助成策を講じてきた。出生率の低下には一定の歯止めがかかったように見えたが、実はもっと根源的な部分に恐ろしい変化が生じていた。
通常であれば年齢に応じて徐々に上がっていくはずの死亡率。それが、突然五十代のところだけぐんと跳ね上がったのだ。経験と体力が釣り合い、ある意味もっとも脂が乗っていると称されていた世代に突然大穴が空くようになった。その奈落に引きずり込まれるようにして、四十代と六十代の死亡率もじりじり上がり始めた。
年齢別人口構成比の形が三角形から壺型に、そして傘型に。多くの社会学者が危惧していた年齢構成比の不整は、その予想をはるかに凌駕し、櫛の歯が欠けるがたがたの型になってしまったのだ。
熟年世代の自殺率が上がった? いや、世代別の死因を解析しても、五十代だけ自殺が突出しているということはなかった。
政府は統計結果を精査したが、結論は一つの恐ろしい事実にしか収束しなかった。
『ヒトの寿命が、ほぼ半減している』
かつて。自然災害や疫病の発生、医療の未発達が当たり前だった頃は、確かに人類の寿命は短かった。だがそれらはすべて外的要因であり、人類の生命を脅かす要因さえ低減させれば、ヒトは三桁近い年数の寿命を真っ当できるポテンシャルを有していたのだ。そのポテンシャルが、ある年代から下で明らかに低くなっていた。
がんばって長生きしても、せいぜい五十年が限度。それで政府が大慌てしなかったのは、世界中で同じ現象が報告されるようになったからだ。事実は事実として認め、それでも維持できる社会構造に変えていかなければならない。
政府は義務教育年齢を12歳まで引き下げ、その年齢超過後の全員就労を義務付けた。高等教育は労務の一部に組み込まれ、一定の学力基準をクリアすれば俸給や待遇に反映されるシステムに整えた。当然社会参加も前倒しされ、選挙権、被選挙権とも義務教育終了と同時に付与されることになった。秘書の小斉も党三役の娘で、虹の秘書として働きながら政治の世界を学んできた。次の選挙に出馬ということになるだろう。
虹の息子である一丸は、政治家特権によって私立の学校に通い、旧制中学に当たる三年間の就労を免除されていたが、15歳に達するといかに政治家の子息でも労役の全面免除は認められなくなる。国会デビューは、政治家としてというよりも労働者としてのデビューなのだ。先の総選挙で当選を果たした一丸は、全く就労経験がない。めんどくさいとぶつくさ文句を言っていたが、早く仕事に慣らさないと跡を継がせる意味がなくなる。
書斎で虹が見続けていたのは、ほどなく国会運営に当たるであろう息子に実戦を学ばせるためのシミュレーション。もちろんバーチャルリアリティだ。
虹の前に置かれたディスプレイに、副大臣として答弁に臨んでいる息子の姿が映し出され、スピーカーから答弁の様子が淡々と流れてくる。
「大豆田君」
「民法に五界説を盛り込むらしいが、他の説との違いと優位性を教えていただきたい」
「虹副大臣」
「他の説ですが、三界、四界では対称が広すぎて原生生物まで入るから駄目ですし、二界では菌も植物にしているため論外です。一方、六界については権利能力以外のものを細かく分類しているため、民法には不向きです」
「大豆田君」
「誰の五界説ですか?」
「虹副大臣」
「それについては、余り気にしてはいません。五つの界があることが重要であり、あとは些細なことです」
「大豆田君」
「それはいいとしましょう。鉢植えの樹木も対象とありますが、樹木は何種あるんでか?」
「虹副大臣」
「在来種は680種程ではないかと思われます」
「議長。以上で、私の質問は終わります」
虹と一緒にしばらく討論を見つめていた小斉が、どうにも分からないというように首を振った。
「先生、実際にこんな法改正が行われるんですか?」
「まさか」
虹が苦笑する。
「あくまでもシミュレーションさ。だが、息子も君らも就労しながらの履修を義務付けられている」
「はい」
「このプログラムでは、国会答弁を生物学、法学の履修と重ね合わせてある。息子は、法学は嫌いだが、生物学は好きみたいでね。答弁がそっちに引きずられているな。あとでプログラムに修正をかけないとだめだ」
小斉と用務打ち合わせを済ませている間に、プログラムが初日の審議を終えたようだ。失礼しますと部屋を出て行った小斉の背中を見送った虹は、視線をディスプレイに戻した。
一丸は記者のインタビューを受けている。こうしたやり取りも仕事のうち。プログラムにはマスコミ対応も組み込まれている。虹は、息子と記者とのやり取りに耳を傾けた。
「この度は、副大臣就任おめでとうございます」
「ありがとうございます。この国会期間中だけなんです」
「ところで、国会デビューはいかがでしたか?」
「僕のような子供が出てもいいのかなという、不思議な気持ちでした」
「そうでしたね、幼稚園児には苛酷でしたね。よしよし」
「あのー、幼稚園児ってとこ訂正して下さい。これでも高校生なんだからね! しかも、15歳なんだから!」
記者にいじられた一丸が、生徒手帳を見せて記者を信用させようとしているのを見て、虹が顔をしかめた。
「それじゃ国民の反発を買うだけだ。高校なんざ、もうどこにもないんだ。あいつが通っているのは私塾だよ。高校という名称を使うことは許されない。審議は答弁書が用意してあるからこなせるが、インタビューだとそうはいかん。厄介だな……」
◇ ◇ ◇
二日目の審議も乗り切り、与党の提出した法案は賛成多数で可決されたようだ。だが、それはあくまでもシミュレーション。議員の若齢化が一気に進んだ今、かつて行われた事前協議や予備審議での調整がひどく困難になっている。質問側も答弁側もアドリブで場当たりに討論することが多くなり、紛糾して休会になるケースがぐんと増えた。
そして虹は、世間知らずで頭でっかちの息子が国会の混乱に拍車をかけることを確信した。
「ふうっ……だが、時間だけは逆回しできんからな」
ディスプレイの電源を切った虹は、疲れたように目を閉じた。
人類の生物寿命が短くなったことに合わせ、政府は急ピッチで社会構造の変革を進めてきた。だが、それは人類が直面している困難の一部しか解消できない。
寿命が短くなった分、早熟になったということでは決してないのだ。肉体と精神が成熟するまでの期間はこれまでと変わらず、成熟後の残余期間だけが失われた。それによって、知識や経験の継代が極めて困難になっている。いくら電子機器による補助が得られても、限られた青春時代を謳歌したいと考える若者たちの享楽思考や諦念を押しとどめることはできない。今はまだいいが、遠くない将来、政治は旧態然とした意思決定手段として蔑まれ、衰微してしまうだろう。
あらゆるコミュニティが加速度的に縮んでいく。それを押しとどめることは、誰にも出来ない。
寿命に達した虹は、目をつぶったままぽつりと言い遺した。
「一丸。会議中は寝るなよ」
【 了 】
原典 https://kakuyomu.jp/works/1177354054885350902/episodes/1177354054885350904
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