姫騎士フィル(原著者:やえくさん)
月光は反射光だ。全てを照らし出す陽光とは異なる。光の中に虚実が混ざり合い、それは必ずしも真実を写さない。
◇ ◇ ◇
「バカか、こいつら」
兵が唾棄した足元。そこに転がっているのは、たった今滅多斬りされたばかりの二体の屍体。どちらも若い女だ。容姿が整っているにも関わらず、一切の尋問、拷問、蹂躙なしに即座に惨殺されたこと。それは……この屋敷の主人が、敷地内への第三者侵入を強く警戒していることを示している。
兵たちが剣を鳴らし、カンテラを四方にかざしながら、女たちの周囲に他の侵入者がいないかどうかを慎重に探索し始めた。兵の中で一際体のでかい、曹長と呼ばれている男が、側近の部下を呼んで命を発した。
「グレニス!」
「はっ!」
「探索範囲を広げろ。こいつらが陽動に出ていたのなら、裏手から侵入を試みたやつがいるかもしれん。弟が伯爵の警護についてるが、室内は大人数での立ち回りに向いていない。万一のことがあるから、俺は中に入る」
「御意! あ、曹長どの。こいつらは」
「捨て置け。猛犬どもの餌になるだけだ」
女の屍体を軍靴で蹴った曹長が、無表情に言い捨てた。まるで曹長の命令を待っていたかのように、兵たちの少し先、カンテラの短い光が届かぬ闇の中で低い唸り声が響き始めた。
「行くぞ!」
「はっ!」
兵の一団が数人ずつに分かれ、人が潜めそうな空間を剣でなぎ払いながら四方に散った。入れ替わって、恐ろしく巨大な犬……いや狼が二頭。のそりと現れて、屍体の周りをうろつき始めた。曹長が言い捨てたように、狼がその屍体を喰らう……ことはなく。代わりに、小さい声が。
「モニカ」
「はい」
「しくじらないでよ」
「お戯れを。あたしを誰だとお思いで?」
「どんくさいモニカ」
「フィルさまっ!」
「しっ!」
ド・ウデモイ伯爵家の敷地内に侵入した者は、それが誰であっても警備兵によって斬り殺されてしまう。もちろん、その名目は盗賊の成敗であろう。どちらが盗賊だか分かったものではないが。
伯爵は、国王による監視を無視し、幻覚作用を併せ持った催淫剤を大量に生産し、売人を通して王都中にばらまいていた。目的はもちろん王国の乗っ取りだ。
薬物で操った人間を
伯爵は最も高位の貴族だ。国王に騒乱収拾の能なしと断じて王位禅譲を迫ることは、決して無理筋ではない。つまり伯爵が遂行している企ては、半ば公然の国家転覆行為なのである。
しかし。法治国家として王が伯爵の蛮行を咎めるには犯罪事実の証明が必要であり、それは困難を極めていた。薬の売人を捕らえていくら尋問しても、薬の出所が判明しなかったからだ。売人は、手下の売人を増やせば増やすほど、彼らを通して薬を売れば売るほど、自分が使用できる薬の量を増やせる仕組みになっていた。ジャンキーの間で大型のピラミッドスキームを構築されると、末端から芋蔓を辿るのは不可能に近い。
しかし。王女であり、姫騎士であるフィルシアは、とうとうその芋蔓の大元に辿りついた。売人組織の頂点に伯爵が君臨しているという確かな証拠……つまり大量の薬の備蓄が屋敷内にあることを突き止めたのである。
問題は、どうやって踏み込むかだ。伯爵家が雇っている私兵は名の通った傭兵ばかりで、国の正規兵とは腕前が違いすぎる。そこに令状なしで無闇に突入すれば、返り討ちにあうだけだ。現物を隠されると、伯爵家に不当な弾圧を加えたと恫喝され、逆に王家が窮地に陥ってしまう。確実に証拠を押さえるには、小人数での潜入しか手段がなかったのだ。
フィルシアは暗部出身者であるモニカを相棒に選び、たった二人での潜入を試みた。正直なところ、まだ技能も経験も未熟なモニカを相棒に据えることには多大なリスクがあったが、今回ばかりは他に適任者がいない。
「まあ……なんとかなるでしょ」
一つふっと息をついたフィルシアが、モニカに指令を出した。
「外に十九人。中に曹長兄弟。そこまでがプロ。あとは居ても雑魚」
「はい」
「外を全部潰してから、突入ね」
「潰す程度は?」
フィルシアは、首に手を当てて横に引いた。
「連中は国民じゃない。全員外国人の賞金首なの。とっ捕まえて裁くだけ無駄よ。残さないようにね」
「了解です」
さっと散った二人は、ものの十分もしないうちに敷地内の探査を続けていた私兵を全員始末した。
「さて。じゃあ、突入。その前に」
「はい」
「伯爵には手を出さないようにね。傭兵トップの二人をそれぞれ片付ける。わたしが曹長を殺るから、あんたは弟の方を」
「おっけーです」
「油断しないようにね。あいつら、何を仕掛けてくるか分かんないから」
「あたしを誰だと……」
「お間抜けなモニカ」
「フィルさまっ!」
「しっ!」
中天高くに煌々と輝く満月を見上げたフィルシアは、口をすぼめてふっと息を吹いた。
「おおう。いい月ね。最高よ」
◇ ◇ ◇
外が急に静かになったことで、曹長はすでに異常を察知していたのだろう。フィルシアとモニカが伯爵の執務室に突入した時には、すでに二人の傭兵が迎撃態勢を取っていた。
「セレガウリア国第二王女、フィルシアです。伯爵、夜分恐れ入りますが、屋敷を改めさせていただきますね」
「お……まえ」
伯爵の前で剣を構えていた曹長が、目を剥いた。
「さっき……」
「殺ったはずだって思ったんでしょ? だから、幻覚剤なんてもんに手を出しちゃだめなんだってば。雌犬と人間の区別すらつかなくなるんだから」
まさか王族関係者が直々に乗り込んでくるとは思っていなかった伯爵が、傭兵に向かって慌てて命を発した。
「姫の名を騙る狼藉者だ! 切り捨ててくれ!」
「おう!」
華奢な女騎士ならば、力で押し切れると思ったのだろう。曹長が四方からフィルシアに剣を浴びせた。それを軽々とあしらいながら、フィルシアがモニカに命令を出す。
「もう一人のうっとうしいのは、あんたに任せたから」
「はあい」
曹長の突きをかわしたフィルシアは、同じように突きを出した弟の手首を左手で掴むと、力任せに窓外に叩き出した。
がしゃっ! 窓枠が壊れて、男が闇の中に落ちて行く。モニカがすかさずその後を追って、窓から飛び降りた。
「ちっ!」
「これで一対一ね。楽になったわ」
「抜かせっ!」
曹長の怒りと殺気が臨界点を超え、急所を狙う剣戟の激しさが火花となって部屋を埋め尽くした。
「食らえっ!」
大上段に構えた曹長の渾身の一撃は、さすがのフィルシアでも片手では凌ぎ切れなかった。剣を両手持ちに変えたその一瞬の隙を逃さず、曹長がフィルシアを力任せに床に組み伏せた。組み伏せ……た? え?
曹長が全体重をかけて押さえ込んだはずの女。そこには、フィルシアが身につけていた黒皮の
「が……ふ」
「ジ エンド」
一部始終を見ていたはずの伯爵だが、なぜ曹長が殺られたのか、全く見当が付かなかった。伯爵の目には、首の大半を失って血溜まりの中に倒れている男の姿しか見えなかったからだ。部屋をぐるりと見回すが、そこには誰の姿もない。そして……倒れた曹長の下にあったはずの黒い帷子と剣が、いつの間にか消え失せていた。
「どういう……ことだ?」
「こういうことよ」
伯爵の背後から、フィルシアの涼しい声。そして、伯爵の首筋には剣がぴたりと添えられていた。
「つまりね。伯爵は、首に三十万ギルスという高額な賞金がかけられた二人組の盗賊に脅されていた。彼らに命令されて、違法薬物の生産と販売をやらされていた。ねえ、そうでしょ?」
「う……」
「わたしたちは、父に頼まれて盗賊の退治に来ただけよ。やつらに作らされていた薬物は全て没収し、焼却します。よろしいわね?」
首に刃物を突きつけられて、ノーが言えるはずもなく。顔面蒼白になった伯爵はその場にくずおれて頷くしかなかった。
「モニカ。撤収しますよー」
それに応えるように、窓の外で狼の遠吠えが響いた。
◇ ◇ ◇
伯爵の末路は哀れだった。屈強な傭兵を全て失った伯爵の屋敷は、一時的に無防備な状態になった。そこに、薬を寄越せと売人や中毒患者が半狂乱になって乱入したのだ。道理が通らない者を捨て駒として利用しようとした伯爵は、道理が通らない者たちの手によって非業の死を遂げることになった。
父王に摘発の首尾を報告したフィルシア姫は、そのあと自室でモニカと反省会を行なっていた。
「モニカ。あんたはもっと訓練が必要。月光下で
「はあい……。あ、フィルさま」
「なに?」
「あの薬って、あたしたちが飲んでもむらむらっと来るんですか?」
好奇心爆裂の瞳を見て、フィルシアが大きな溜息をついた。
「意味ないわ。今は
【 了 】
原典 https://kakuyomu.jp/works/1177354054885339037/episodes/1177354054885339038
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