少尉と軍曹

「少尉……本当に少尉なんですね!」

 軍曹は笑顔で叫んだ!

「生きてらした……少尉……良かった……本当に……」

 二曹は涙を流して喜んだ!


「心配をかけたな。すまなかった。詳しい話は後だ。……さて、形勢逆転だな、熊野中尉」

「くっ……‼︎」

「単刀直入に訊こう。『九尾』だな?」

「っ‼」

「やはりそうか」

「何を……私は何も喋っていない!」

「顔に出過ぎだ。はっきり言おう。貴官は情報自衛官に向いてない。それに明確に否定しないのは肯定したのと同じだ。そうだな、軍曹」

「その通りであります! へへ……間違いない。やっぱり少尉だ!」

「なんのことはない……あなたも単なる操り人形じゃない!」

「その辺の事情もゆっくり聴かせてもらうとしよう。ご同道願おうか、熊野中尉」


「こうなれば破れかぶれだ! これでも喰らえ!」

 熊野中尉はレバー付きの缶のような物を取り出した!

「手榴弾⁉」

「いかん! 伏せろ‼」

【バンッ! キィ……ンン……】


 耳をつんざく大音響と見る者の目を焼くまばゆい閃光!

 二曹は両手で目と耳を庇いながら、それがなんであるかを察知した!

「フラッシュバン!」

「く! 音響閃光手榴弾か……!」

 少尉は部下たちの無事を確認すると熊野の姿を探したが、彼は既にその場から遁走していた!

【ブロロロ……!】

「車で逃げる気だ!」

「あれBMWじゃん。いい車乗ってんな」

「私BMW嫌いです!」

「BMWに罪はない。二曹、応急処置は分かるな?」

「はい!」

「救急車を呼んで木口兵站長に付いてくれ。ギリギリで急所はそれているようだ。上手くすれば助けられる」

「了解!」

「軍曹、熊野を追う。大型免許は持っていたな? バイクの運転を任せる」

「あのドゥカティ……少尉のなんですか⁉」

「唯一の道楽だ。運転しながらライフルは撃てん。不服か?」

「馬鹿言わないで下さい!」


***


「ムルティストラーダ1200……まさか跨がれる日が来るとは……」

「浸ってないで早く出せ。追いつけなくなる」

「了解!」

【ウォォォ……ン‼】

「おおお、いい音ォ!」

「モードは現行のスポートのまま。スリッパークラッチは湿式で軽い。踏み込み過ぎるな。ひっくり返るのはゴメンだ。変に気張らずマシンに任せるつもりで乗れ」

「はい!」


 少尉と軍曹を乗せた漆黒のレーサーバイクが唸りを上げて走り出す。


「うわこれ、気持ちイイ!」

「見えた! あの車だ!」

「掴まってください、飛ばしますよ!」

「加減速は優しくな! 赤子をあやすように!」

「了ー解っ!」


 鋼鉄の心肺を持つカーボンとFRPで出来た機械の輪馬が夕暮れの山道を疾駆する!

 熊野の乗るシルバーのBMWとそれを追う少尉と軍曹の距離は掛けた綱を手繰たぐるように縮まって行った!

 

「右折! 182号に入ります!」

「高速に乗る気か。そうはさせん。軍曹、20秒だけ直進を保て! タイヤを撃って止める!」

「それはいいですが、路面の凹凸はどうしようもないですよ⁉︎」

「そういうのをな、少尉に狙撃を説くって言うんだ!」

「そのまんまじゃないですか!」

「カウント頼む。右肩を借りるぞ!」


 タンデムシートで身を起こした少尉は光学サイト装備の八九式小銃を構え、その銃身のハンドガードを軍曹の肩に載せた!


「行きますよ! 3! 2! 1! スタート‼」


 少尉は呼吸を止める!

 筋肉の絞り! 骨と腱の連絡! 神経の昂ぶり! 少尉の世界は自分自身とターゲットを中心に閉じてゆく!

 放物運動で5.56mmフランジブル弾が描く弾道曲線!

 少尉が脳裏に描くその曲線の先が、BMWの左後輪と重なったその瞬間!

【タァンッ‼】

【バスンッ! ギュルギュルギュルッ! ドン! プシュー……ゥゥ……】


 弾丸は狙いたがわず逃走車のタイヤを捉え、安定を失ったBMWはガードレールにぶつかると半回転して止まった!


「ビンゴッ! さっすがぁ!」

「当たって嬉しくない賞品だがな」


「うう……」

 うめき声を上げながら、頭から血を流した熊野中尉が這いずるようにして車から出てくる!

 軍曹は擱座かくざしたBMWの脇にバイクを停めた!


「往生際が悪いぞ! 偽ギツネのタヌキもどきのクマ野郎!」

「軍曹。罵倒が長い」


「この国は……侵略にさらされている」

「なに言ってんだ。寝言はティガーにでも聞いて貰え」

「鉄と血による侵略じゃない。文化の侵略だ」


 熊野はゆらりと立ち上がる。


「流血を厭うものは、これを厭わぬ必ず侵略される……」

 軍曹はそのフレーズには覚えがあった。

「クラウゼヴィッツ……」

 もちろん、少尉にも。

「戦争論、か」

「他国の文化を押し退けて食い破るくらいでないと百年……いや、五十年にはこの国は……いびつな、他国のパロディのような姿になってしまう!」

「大層なご高説だが、それは誰の受け売りだ?」

 腰だめに構えた銃を油断なく熊野に向けながら、少尉は言った。

「文化は国の……そこに生きる民の性格のようなものだ。例えばこの軍曹を無理に私のようにしようとして、そう上手く行くものではない」

「そうだ! 三日で息が詰まって最悪死ぬ!」

「馬鹿どもめ……無知は幸福だな……」

「国家戦略で他国の文化汚染を推進している諸外国のことか?」

「…………」

「お前も『九尾』もそのどこかの国も……文化を根本的に誤解している。文化は消そうとしても消えず、変えようとしても困難な国の人格だ。一時のブームは作れても、結局変わらない部分は変わらない。ハンバーガーやチゲが一時いっときとても美味しく思えても、最後はご飯と味噌汁に戻ってくるように」

「違う! 我が国の文化は……! 世界に誇るべき尊いものだ! 護り、広める価値があるものだ!」

「異論はない。だからと言って海賊放送をしたり、歪曲審査で若い世代の創作に干渉したり、人の命をもて遊んだりしていい法はない」

「BMW乗って洋服着てよく言うよ。悪さする手間暇で短歌の一首でも詠めばよかったんだ」

 軍曹は溜息まじりにそう言った。

「大戦の亡霊……『九尾』は未だ一定の脅威を持っているようだ。熊野中尉。長い取調べになりそうだな」

「……はははは! もう一度言おう、少尉。それに軍曹。知らないというのは幸福だ。長い取調べなどになるものか! 私に指示をだしていたのは誰だと思う?」

「クリストファー・ロビン?」

「しっ!」


 少尉は軍曹を制して熊野の次の言葉を待った!


「お前達が相手にしているのは……」

【ブシュッ!】

 熊野中尉の胸が爆発し、血と肉の噴水が辺りを赤黒く染める!

「ぐえっ……!」

【タァァ……ン!……ン!】

 どう見ても即死した熊野の死体が、ぐちゃりと水っぽい音を立てて山道のアスファルトに倒れ臥す。

「スナイパーだ! 身を隠せ!」

 二人は素早くバイクを盾に身を隠す!

「銃声が、着弾の後から!」

「1キロ以上離れたポイントからの長長距離狙撃!」

「少尉の八九式は?」

「近中距離用のダットサイトだ。弾頭はフランジブル。射程も足りない。何より相手の正確な位置が分からない」

「熊野中尉……胸に大穴が……。エグい」「即死だな。敵の銃は、恐らく12.7mmの対物ライフル」

「え! じゃあこんなバイク一台じゃ」

「ああ。エンジンブロック以外は紙切れと変わらん。スパスパ貫通する」

「少尉。もっと寄って下さい」

「……押すな。軍曹」


 その時、二人が隠れるバイクをかばうように走り込んで来た巨大な車両があった!


「あれは!」

「九六式装輪装甲車改! 春日の第八師団だ!」

「有難い!」


『目標二時方向山腹、散布射撃三秒間! 二人とも耳をふさげ!』


「石野司令?」

「マジかよM2重機関銃を一般道で⁉︎」


『てえっ!』

 ドドドドドドドド……ッ!


 至近距離で聞く重機関銃の銃声は、もはや音ではなく衝撃波だった!

 繰り返し炸裂する強い空気の振動が二人の顔を小刻みに叩く!

 辺りの道路から細かい埃が一斉に舞い上がった!


「無事ですか! お二人とも!」

 開かれた後部ハッチから二曹がひょっこりと顔を出す。


「二曹!」

「間に合ったと言うべきか、間に合わなかったと言うべきか……」


 二曹に続いて降りてきた不機嫌な石野司令は、スタスタと二人の隠れるバイクに歩み寄る。


「司令! 車内にいてください! 二曹も! 危険です!」

「うるさい。死人は黙っていろ」

 険しい表情の美人司令は、胸元のインカムマイクを口元に寄せると早口に命令を出した。


「少尉と軍曹は確保した。二人とも無事だ。乙班と丙班はそのまま追跡。仮にも我が隊の士官を射殺した犯人だ。18時間。狩り立てろ」


 遅れて到着した大型の四輪自動車が二台、彼らを通り過ぎて狙撃手がいたと思しき山腹目指して走り抜けてゆく。精強な即応部隊を載せて。だが、結果から言えば、彼らをもってしても姿なき敵を捕らえることはできなかった。


***


 軍曹はビニールシートの掛けられた熊野中尉の死体を見ながら言った。

「熊野中尉……本人の言う通り長い取調べにはなりませんでしたね」

「そうだな。口封じか。……殺すことはなかったろうに」


 二人の会話に、石野司令が怒りの形相で割り込んだ。

 

「その分、加藤少尉にはたっぷり聴きたいことがある! 警察の聴取が終わったら、軍曹、二曹と共に即刻司令室に出頭しろ!」

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