閃く新月

 基地食堂に駆け付けた軍曹と二曹!

 だが、そこは既に営業を終了しており、室内灯も落とされて、静寂と暗闇だけであった!


「……真っ暗ですね」

【カチ、カチ】

「スイッチじゃ点かない……ブレイカーを落としてるのか? ……木口兵站長! 居ますか⁉︎ 備管別の志村です! 伺いたいことがあります!」

「失礼しまーす……誰もいないみたい」

「間に合わなかったか。司令に報告して兵站長の自宅に……」

【カチリ!】

「ひっ!」

 二曹は息を飲んだ!

 右のこめかみに当たる冷たい金属の感触!

 バネと掛け金の音は、拳銃の撃鉄が起こされいつでも発砲可能な状態であることを意味した!


「その必要はない」


「二曹!」

「おっと動くな志村軍曹! この娘のこめかみに大穴が開くぞ」


 暗闇に浮かび上がる初老のシェフ。

 二曹の頭にぴたりと銃口を突きつけた彼に、二曹は確かにカレーの匂いを嗅ぎとった!

「てんめえ……ッ!」

「銃を持ってるな? ゆっくりと床に落としてこちらに蹴るんだ。備管別の軍曹は、早撃ちの名手だそうだからな」

「くっ……」

【ガチャン。カラカララ……】

「それでいい。先に歩け。厨房の裏口から外に出るんだ」


 従うしかなかった!

 木口兵站長は、指先に背中を掻くほどの力を込めるだけで、二曹の命を奪えるのだ!


 

「てめえが、少尉を……!」

「ああそうとも。ようやく辿り着いたかたき、だからな」

「……かたき?」

 二曹は思わず訊き返した。

 誰かに恨まれる仇!

 それは物静かで真面目で、さりげないが確かに優しい彼女の知る少尉には最も似つかわしくない呼び名だったからだ!


「十八年前……南シナ海不期遭遇戦、いわゆる『六八事変』の折、乗っていた駆逐艦が沈み、私はインド西南……カリカット近郊に漂着した」


「それと少尉と何の関係が……」

「黙って聞けッッ!」


 浅黒い肌に深い皺を刻んだ兵站長は怒鳴った!

 激しい怒りをそのまま声にしたような叫びだった!


「拾ってくれたのは貧しい漁師の一家だ。一週間近い漂流を経て、意識を取り戻し……最初に振舞われた自家製カレーの味。お前のようなコンビニ世代には想像もできまいな」

「…………」

「漁師の主人、貞淑な妻、元気で勤勉な兄と妹……半年余りをその一家と共に暮らし、私は恩返しと再会を約束して帰国した。

 ──帰国して少し経ち、兄はアメリカの大学に留学が決まり、妹は資産家の次男坊に見染められ結婚が決まったと報せがあった。私は我が事のように喜んださ。終戦したら一番に会いに行くと改めて誓った。だが……その約束は果たせなかった」

「何があったんだ?」

「兄が在学中に……逮捕されたんだ。NSAにな」

「国家安全保障局?……まさか!」

「容疑は国防省への不正アクセス及び悪質な公務執行妨害。米国史上は始まって以来の国家中枢への大規模クラッキング事件の首謀者の容疑、だ」

「フェイルデリバリー事件……」


 二曹も軍曹もその事件のことは知っていた!

 フェイルデリバリー事件!

 米国国防省「ペンタゴン」に侵入した犯人は、同省のあらゆる部署からあらゆる種類のピザのデリバリーを注文しまくった!

 その痕跡は未知のツールで跡形もなく消去され、公式には未だその真犯人は特定されていない!

 だが、それは当時中学生だった少尉とその兄の、ほんの軽い気持ちからの悪戯であった!


「インド人学生……不起訴だったはずだ!」「その通り。不起訴だったし、すぐ釈放された。だがそれでハッピーエンドにはならない。決まっていた就職はパー。アルバイトもクビ。資金難から帰国すると妹の縁談は破談になっていて母は病に倒れていた」

 二曹は自分が責められているような気持ちになった。

「そんな……」

「兄は失意の内に病に倒れ、母より先に他界した。程なく母親も後を追うように。私が現地に赴いた時には、父親と妹は……姿を消していた。

 ようやく捜し出した時、父親は私が誰かも分からない有様だった。年齢以上に老け込んだ妹は泣きながら全てを語った。私は妹に仕送りをしながら……捜した。フェイルデリバリー事件の真犯人を」

「逆恨みだ! NSAが悔し紛れに冤罪をでっち上げたのが原因だろ? 少尉は当時、中学生だぞ……」

「違う。フェイルデリバリー事件があの一家を……父と母の幸福を、兄と妹の未来を滅茶苦茶にしたんだ。真犯人には相応の償いをしてもらった」

「……最初から、少尉が狙いだったのか」「感染症を起こして容態は悪いらしいな。加藤が苦しんで死ぬなら……願ってもない結果だ」


「……なんですって?」

 木口兵站の少尉に対する呪詛の言葉は、強い違和感を伴って二曹の胸に染み込んで行った。

 

「私が犯人だと知った以上、お前達にも消えてもらう。私は来週渡米する。当時のNSAの捜査責任者にも加藤と同じく罪を償わせるために」


「あんた今……なんて言った?」

 二曹がぼそり、と呟く。

 耳から染み込みんだ違和感は焼けるような熱となって二曹の血と激しい化学反応を起こす。


「動くな小娘。NSAの冤罪捜査官にも復讐をすると……」


「少尉が苦しんで死ねばいい……って言った?」

 二曹は自分の心臓の拍動が速度を上げるのを感じた。そしてその高鳴りと反比例するように、彼女の冷静な部分は希薄になり、沸き立つ得体の知れない真っ赤な熱に飲まれて消えていった。


「それがどうした。奴は……」


「許せない」

 二曹にはもはや、木口兵站長の言葉は届いていなかった。

 実家に伝わる古武道で鍛えた筋肉と骨格、それを統御する感覚器官と神経系の連携に火が入り、活性化され、研ぎ澄まされてゆく。


「妙な気を起こすな! 死にたいか‼」

「あんたは許せない。少尉を撃ち、苦しんで死ねばいいなんて……許せない‼」

 大事な人を、愛する人を決定的に傷付けた「敵」──その敵の口から語られる、近くにいながら自分が守れなかったその人への希死の言葉。その言葉がスイッチを入れたのは、二曹の中の最も純粋で、最も熱く、そして最も力強い感情だった。


「面倒な娘だ……死ね!」

「二曹っ‼」

【パァンッ‼】


 軍曹の悲痛な叫びと弾ける銃声が不協和音を奏でる!

 だが音速の弾丸は誰を捉えることもなく空を切り、施設のモルタルの壁に不恰好な穴を穿っただけだった!

 二曹の姿が、忽然と消失したのだ!


「いない⁉ 小娘……どこへ消えた?」

「後ろよ」

「……っ⁉」


 離れて見ていた軍曹にも一連の二曹の所作を捉えることはできなかった!

 突然消えた二曹はゆらりと幽霊のように木口兵站長のすぐ背後に立った!



「うおぅ⁉」

 木口兵站長の身体が垂直に持ち上がり、空中で回転するとアスファルトに叩きつけられる!

 骨が砕けるぐしゃ、という音が鼓膜を叩いた時、軍曹はようやく二曹が兵站長を投げたのだということを理解した!

 それはモーションの殆どない、不思議な投げ技だった!


夜天光明流やてんこうみょうりゅう奥義……無明位むみょうい、新月」


「ぐあぁぁッッ!」

「気を失わないよう加減した。暫く痛みを味わいなさい」

 冷淡にそう言い放つ二曹の様子に生唾を飲み込みながら、


(怒った二曹……怖ぇぇぇぇっ!)


 軍曹は二曹だけは本気で怒らすまいと心に誓った!

 そして木口兵站長を問い詰める!

「ストーム25は、少尉の関心を引くため囮か?」

「ストーム……25? ぐぅっ! なんの……話だ?」

「とぼけないで‼ 公募した創作作品に賞金を出す海賊ラジオ放送。あんたなんでしょう⁉」

「知らん!」

「……どうやら夜天光明流の月の満ち欠けをもっと見たいようね?」

「待て二曹。どうやらホントに知らないみたいだ。取り敢えず病院に運んで話を……」


 そう軍曹が言い掛けた時!


【パァンッッ!】

「うぐっ‼」

「兵站長!」


 全く予期せぬ方向から銃声が鳴り、兵站長の胸から血飛沫が上がった!

 

「動くな! 軍曹。それから二曹も。……木口のジジイがそこのお嬢さんに倒されたのは計算外だが、エンディングには変更はない。すなわち! 今日が備品管理部別室……最期の日だ」


「な……お前は⁉」

「あなたがストーム25の仕掛け人……そして本当の黒幕⁉」


 軍曹が捨てた拳銃を手に現れたその人物の意外な正体に、軍曹と二曹は息を飲んだ!




 待て! 次回!

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