フォックスハンティング

 少尉と二曹!

 退勤後に互いに秘めていたわだかまりを謝罪し合い、理解を深める二人!

 少尉と帰路を同道し、SNSのアカウントを聞き出すという二曹の計画が晴れて成就するかに見えたその時!

 深夜の基地駐車場に響き渡った二発の銃声が二曹の淡い恋心を砕き、想い人たる少尉は凶弾に倒れた!


「少尉っ! しっかりして下さい! 加藤少尉‼」

「……大変だ」

「軍曹⁉ 今日はお休みでは⁉」


 倒れた少尉になすすべなく涙を流してその名を呼ぶばかりの二曹の前に、制服姿の軍曹が現れた!


【ドルルン……ルルル……】

「バイクのエンジン音? 犯人が逃げる!」

 二曹が犯人への怒りに我を忘れそうになったその時! 軍曹が鋭く二曹を制した。


「追うな! それより少尉だ! 救急車! 住所、分かるね?」

「はい!」

「少尉! 聞こえますか? 弾は二発とも抜けてます。胸の傷を圧迫止血します。痛いですが堪えて下さい」

「う……」

 軍曹が少尉を抱え込むようにして背中側と胸側から両の手で傷口を強く押さえ込む!


「軍……曹」

「はい。ここにいます」

「二曹は、無事か?」

「はい……無事です少尉」

「……はんに……」

「なんです?……レイノニ? 」

「スト……ム25……フォックス! ぐうっ……ハンティン、グ……」

「少尉? ……冗談でしょ。自分はまだ約束を果たしてない! 目を開けて! 少尉!少尉‼」


 必死に呼び掛ける軍曹の声に、近づく救急車のサイレンの音が重なった。


***


 15分後。市立・城西じょうさい救急病院。手術室前。


 軍曹は携帯端末で副司令、大槻に連絡を取っていた。


「……いえ。バイクが走り去る音だけ……バイクの種類も、乗ってたのが男か女かも。……まだ手術中で。はい。自分も二曹も怪我はありません。はい。ご連絡します。司令には? ……分かりました、失礼します」

「副司令はなんと?」

「すぐこっち来るって」

「…………」

「そんな顔すんなよ。あの人が簡単に死ぬもんか」

「でも……!」

「大丈夫。少尉は死なない。絶対だ」


 そこに、かつかつと足早に革靴の踵を鳴らしながら、美しい女性司令が現れた。

「軍曹、二曹、ご苦労」

「司令⁉ 速くないですか?」

「加藤の様子は?」

「運び込まれたまま……手術中です」

「警察への通報は?」

「まだです」


 軍曹の返事を訊いた石野は、自分の携帯を取り出すと警察に通報を始めた。


【ピ・ピ・ポ】

「情報自衛隊福山基地、司令の石野情報大佐です。30分程前に敷地内で部下が銃撃されました。……はい。当人は救急車で城西救急病院に運ばれ現在手術中。部下2名がその場に居合わせ、内1名が救急通報。2名とも救急車で病院へ。はい。います。ええ、分かりました。伝えます」


 そこに自衛隊の制服ではなく、普通のスーツ姿の副司令、大槻が現れた。


「お疲れ様です。遅くなりました」

「遅いぞ。有事即応が我々の原則だ」

「申し訳ありません。以後、気をつけます。……大変だったな。軍曹、二曹」

「いえ……」

「ここは副司令と私が詰める。程なく警察がこちらに来て簡単な聴取がある。それが終わったら、君らは帰って休め。明日も仕事だろう」

「いえ。自分は帰りません」

「私も……ここにいます」

「……やれやれ。少尉はどうやらいい部下を持ったようだ。かと言って両名とも寝坊や遅刻は許さんからな。そんなていたらくを晒したら厳しく処分する。五分前に来るつもりで起きろ。こんな時だからこそ、いつもどおり仕事するんだ」

「了解しました」

「必ず」


 不安を噛み殺していることが伝わる切実な表情の二人をみて、石野は少しだけ頬を緩めた。


(……私の許可なく死んだりするなよ、少尉。生きて備管別に戻って来い。これは……命令だ)



***


 警察の聴取は一旦終わり、詳しい現場検証などは明朝ということになった。

 手術開始から三時間あまりが経過し、だが未だ手術中のランプが消える様子はない。


「落ち着きなよ二曹……歩き回っても二曹がしんどくなるだけだよ。座ろう?」


「…………っ」


「わ! ちょ……泣くなよ!」

「少尉がもしも……。あたし、あたしあの時、少尉のすぐそばにいたのに……何も、できなかった……何も……」


 両手で顔を覆い、嗚咽を漏らしながら泣き続ける二曹。

 その二曹を、ふわりと抱く腕があった。

 柔らかく受け止める胸があった。

 優しく包み込む体温があった。


「石野……司令」

「大丈夫だ仲本二曹。加藤祥一朗は馬鹿がつくほど真面目な男。職務や部下を中途に放棄して……他所よそに逝くような真似はせん。何より司令である私が、そんな許可を出しておらん」

「……はい」


***



「夜明けか……」


 白んで来た窓の外の空を見ながら、石野がそうつぶやく。


「長いですね」

 大槻は少し疲れた様子でそう応えた。


「あ、ランプ、消えました!」

 軍曹が緊張した声を出す。


 二曹は黙ったまま、ごくり、と喉を鳴らした。


 手術室を出てきた医者は手術着のマスクを外し、帽子を取って挨拶した。

 がっしりとした体格の若い医師は意志の強そうな太い眉の間に皺を作りながら、一同に挨拶した。

「執刀医の和賀です」

「患者の上官……情報自衛隊福山基地司令、石野です。ドクター、彼の容態は?」

「当座一命は取り留めました。しかし予断を許さない状況です。患者のご家族に連絡を取られましたか?」

「彼の所属部署は秘匿性が高いので、任務中に万一があっても、結果が出た後に家族に通知が一通送られるだけです。それは当人も家族も了承しています」

「そうですか……。厳しいお仕事ですね」

 大槻が尋ねる。

「彼の受けた傷の状態は?」

「こちらへ。画像で説明します」


 一同は手術室前から和賀医師の診察室へと移動する。


 彼は慣れた手つきで端末を操作すると、パネルモニターにレントゲン撮影の画像を二枚表示させた。


「患者は弾丸を近距離左後方から二発、受けています。画像は胴体を正面から撮影したもの。ここと、ここ。白くなってる部分が開放創。二発とも弾は体外に抜けています」

「入射創と出射創の高さがほぼ同じ……同じ地面に立つ奴に水平射撃で撃たれた、ってことか」

 軍曹がそう感想を漏らす。それはすくなかとも高所からの狙撃などではなかったことを意味した。

「やっぱり……あのバイクが」

 呻くように二曹がつぶやく。


「一発は左肩の肩甲骨を貫通し、左胸、大胸筋鎖骨部から抜けてます。こちらは完治に時間は掛かりますが命に関わる傷ではありません。問題は……」

「もう一発……左肺を貫通してる」

 そう言ったのは石野だった。

「ええ。弾は綺麗に抜けてるので肺自体のダメージはさほどでは。循環器系の臓器や太い血管をそれたのも幸いでした。今は肺そのものと胸腔にドレーンを留置し、肺の中に溜まる血液と肺を潰そうとする胸腔内の空気を抜いている状態です」

「回復しますか?」

 石野の問いに、和賀はため息で応じる。

「正直ここからは本人の体力次第です。感染症に注意しながら意識が戻るのを待つしかありません」

「意識が戻ったとして、その……また元どおり元気になりますか?」

 そう質問したのは軍曹だった。

「……出血が多かったので、なんとも。搬入された時点では出血性ショックは出ていなかったので、例えば半身不随のような状態になる可能性は現時点では低いと思われますが断言はできません。容態が安定したら脳の状態をCTしてみますが、今すぐは無理です。覚悟はしておいて下さい」



 ふむ、と大槻が鼻を鳴らす。

「肩甲骨を貫通……9mmではありませんね。恐らく45口径か7.62mmの高速弾でしょう」

「どちらかな。フォーティファイブなら警察や自衛隊内部犯もありうるが、7.62mm、トカレフ系の銃なら公組織より民間の……犯罪組織やその関係者を想定したくなるが。どちらだったとしてもそれを装う欺瞞かもしれない。単独犯でバイクで逃走というのも、本当に単独か……組織だとしても小規模と思える」

 石野がそう感想を述べる。

「大口径拳銃弾を二射して二発とも当ててる。犯人は素人ではないですな」

「さて、そう言い切っていいものか。拳銃の射撃は運も絡む。それに少尉はまだ生きている。殺しを生業としたプロとも思えん。もしそうなら狙うのは頭だったろうし、二発と言わず二曹もろとも……それこそ弾倉が空になるまで撃っていただろう」

 そう分析した石野は一つ息をはくと、和賀医師に向き直った。

「ドクター。ありがとうございました。午後から入院費治療費の相談にこの大槻が参ります。これは私の名刺です。何かあれば私か副司令、大槻に連絡を」

「分かりました」

「さて……軍曹は一度帰ってヒトフタから出勤しろ。二曹、すまんがこの後、警察の現場検証だ。終わったら今日は休め」

「了解」

「……了解」

「大丈夫か? 二曹。ひどい顔だ。立会いは明日にしてもらうか?」

「大丈夫です。記憶が薄れない内の証言の方が……犯人の手掛かりになる可能性も高くなりますし」

「気丈だな。無理はするな」

「少尉を撃った犯人を許せません。捕まえて償いはさせます。絶対に」



「司令」

「なんだ? 軍曹」

 軍曹は石野にだけ聞こえるよう声を潜めた。

「倒れた少尉が切れ切れに自分に言ったことがあります。良くは聴き取れなかったのですが……『犯人』『レイノニ』『ストーム25』『フォックスハンティング』、と」


 石野はそう聴いて記憶を探るような素振りを見せたが、何も思い当たらなかったようで小さく首を振った。


「ふむ。出勤したら部内メールで直接私に今の内容の報告をくれ。まず客観的事実。それから君の主観や気づき、で纏めてな。ベタ打ちでいい」

「了解」

「加藤は……そんな場面で無意味なことを言うような男ではない。何か犯人に繋がるメッセージだ。それは私や副司令よりも、君や二曹の方が意味を汲み取りやすい筈だ。今後この件に関する報告は私に直接しろ。間違っても遠慮などするな。また第三者を経ての報告は禁ずる」

「分かりました。そのようにします」

「分かったら帰って寝ろ。すぐヒトフタになるぞ」


***


「二曹。悪いけど先に上がるよ」

「はい。……ありがとうございました軍曹。あの場に軍曹がいなかったら、私一人じゃ……」

「たまたまさ。現場検証が終わったら今日はゆっくり休みなよ。風邪治り切っちゃないんだろ?」

「はい」

「少尉も、君が自分を追い詰めるのを望んじゃいない。休むのも仕事と思って……ね」「はい。ありがとうございます」

「お疲れ様。お先に」

「お疲れ様でした」


 一同と別れた軍曹は人気ひとけのない早朝の病院の廊下を一人歩きながら、撃たれた少尉の言葉を繰り返し思い出していた。



( 犯人……レイノニ……ストーム25……フォックスハンティング……。少尉ぃ。どうせならもっと分かり易いヒント下さいよぉ……)

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