パンジーは裏庭に咲く

「そこまでだ! 両名とも動くな!」


「……本人登場か」


 少尉と軍曹が備品管理部別室内の様子を秘密裏に録画していた隠しカメラの映像を確認していた時、突如現れた一人の男!

 彼は情報自衛隊の制服を纏い、その手には同隊の制式拳銃であるシグ・ザウエルP226-SCTが殺気を孕んで鈍く輝いていた!

 グレーの長髪を後ろに流し鋭い眼をした鷲鼻の士官!

 そいつは狐のように狡猾な表情で笑った!


「警備責任者のあなたがスパイとは……高木少佐」

「加藤少尉。君を隊規違反と重大背任、機密漏洩と第三者サーバー不法侵入の容疑で逮捕する」

「安直なシナリオだな」

「君の口座に不自然な高額の振込みが確認されている。『カバー』は割れてるぞスパイめ」

「詩集の新刊が売れてね。その印税だ」

「嘘をつくな!」

「振込んだのは俺なんだぞ、だろ?」

「言い分は法廷で聞く! おっと軍曹。今隠したカメラを寄越したまえ」

「くっ……なんでカメラのことを?」

「盗聴器か……。仕掛けた本人にその捜索を頼んでしまったと言うわけだ。まともに徹去される筈もない。高木少佐! このカメラにはあなたがここ備品管理部別室の端末に私物メディアを挿して何らかの作業をしてる様子が映っている! それをどう説明なさるおつもりか⁉︎」

「備管別のお二人は優秀だ。軍曹はその筋ではクラッカーとしても名高い。動画の加工はお手の物だろう?」

「馬鹿いえ! 生まれてこの方アタマにキャビアを載せられたことも、バター塗られて朝飯代わりになったこともないぜ!」

「強がっておくがいい軍曹。法廷ではその映像は君の人相で証拠として流されることになる」


 少佐は不敵に笑った!

 少尉は軽蔑の眼差しを少佐に叩き付けながら、吐き捨てるように言った!

 

「番犬の癖に護るべき井戸に毒を放り込むとは……目的は金か⁉︎」

「金? 地位? そんなくだらないものを超越したところに我々の目的はある。そして私は一歩、神に近づくのだ」


 軍曹は悔しそうに叫んだ!


「狂ってる! 身内を盗聴して、ここの端末にウィルスを⁉ そんなことがよくも!」

「簡単なものさ。警備計画も施設や機器の配置も私の管理だ。庭にパンジーを植えるより容易たやすい」

「何もかも……! 貴様の仕業……!」

「新型ウィルスの『サラブレッド・シンディ』を躱したまでは流石だったが……詰めが甘かったな。軍艦島刑務所は寒いぞ。精々せいぜい体に気をつけることだ。さあ軍曹。命が惜しかったらまずはそのカメラをこちらに渡せ。それとも無益に抵抗してやむを得ず射殺されたスパイとしてニュースサイトのネタになりたいか?」

「少尉……!」

「奴は本気だ。逆らえば撃つだろう。言う通りにしてやれ」

「畜生っ! 少尉が少ない給料から買った大事な私物のカメラをむざむざこんな奴に!」

「軍曹。そこはどうでもいい」

「終わりだよ少尉と軍曹。この備管別も。そして狐の坊やが仕切る下品なネットイベントもな。フフフフフフ……ハァーッッハッハッハッハッ……!」


 裏切り者のスパイが勝ち誇ったその時!

 入り口ドアが強制解錠され開け放たれると、多数の武装した兵士が踏み込んで来た!


 基地の最高司令官と共に!


「バカ笑いをやめて銃を降ろしたまえ! 高木少佐‼」

「福島中将⁉ 何故ここに!」

「君を解任する。保安部の諸君、高木少佐を拘束しろ」

「ま、待って下さい! こいつらの上げた具申メールは出鱈目です! この少尉と軍曹こそ裏切り者のスパイ……」

「メール? 何の話だ? 君自身が語ったのだろう。パンジーを植えるより容易い自らの背任行為を」

「何故それを⁉ ! ……あっ!」


 高木は気が付いた!

 彼と福島中将の声が、開け放たれた扉の、その先の廊下に、館内放送を通して響き渡っていることに!


 今度は少尉が不敵に微笑む番だった!


「ボロが出たな……三文役者。今の我々の会話は、デフコン用の館内回線で全基地に筒抜けだったんだよ」

「ばっ、馬鹿な……!」

「こうなる事を少尉は予想してたんだ。カメラを確認したら、焦って間抜けなスパイ野郎が踏み込んで来るってな。そうなった時、マイク感度最大にする手筈と決めてたんだ!」

「何時の間に……そんな素振りは……」

「本当にずっと盗聴してたんだな」


 軍曹は自分のデスクからA4の用紙を摘み上げるとそれを高木に突きつけた!


「さっき少尉がくれた戦争論まとめレポート。本当はこの通り戦争論のせの字もない。一か八かの大芝居の台本が事細かに書いてあったんだ!」

「こうも上手く行くと、少々出来過ぎな気もするがな」

「いきなり銃を向けられて、一時はどうなることかと……焦りました」


 少尉と軍曹は、お互いに視線を交わすと少し笑って頷き合った!

 そして少尉は高木に向き直るとはっきりとした口調で言った!


「さて、言うのも恥ずかしいベタな台詞だが『年貢の納め時』だな少佐。聞いた話だが軍艦島は寒いそうだ。精々ご自愛頂きたい」

「く……貴様! よくもこの私に、こんな真似を……!」


「連行しろ」

 中将は保安部の隊員たちに命じる!

 だが、その時!

【バツン!】


「停電⁉」

「いや! すぐ予備に切り替わるはずだ」


【ブ……ブン!】


「あっ!」

「高木が……いない!」


 瞬きほどの一緒の間に、窮地に陥ったはずの事件の真犯人の姿は、一同の前から忽然と消えていた!


「追え!」

 中将の号令で屈強な保安部の隊員たちが、訓練された猟犬の動きで部屋を飛び出して行く!


 そして老練の基地司令は、少尉と軍曹に穏やかな表情で語りかけた。


「高木少佐の件は任せたまえ。少尉。軍曹。派閥の醜い内輪揉めで、君達には迷惑をかけた。すまなかったな。良くやってくれた」

「ありがとうございます中将。日頃の訓練の成果が活かされて幸いです」

「うむ。しかし少尉。何故もっと早く私に直接報告しなかった? そうしていればこんな危ない橋を渡ることもなかっただろう」

「は。何分こういった事態は初めての経験であり、咄嗟に適切な判断ができませんでした。以後、もし類似の事態があれば最優先でご報告致します」

「よく言いますよ。中将も疑ってたんでしょ? 最初に焦って踏み込んで来るのは、中将かも知れなかったですし」

「軍曹。失礼だぞ」

「上官に嘘の報告をするのは失礼に当たらないんですか?」


 二人の会話を聞いて納得したらしい中将は声を上げて高らかに笑った。


「ハッハッハッハッ……なるほどな。少尉。優秀な情報自衛官が信じるものはなんだ?」

「は! 自分の眼と耳だけ、であります」

「その通りだ。少尉。そして軍曹。我が隊に君たちのような優秀な自衛官がいることを、私は誇りに思う。今回の功労にはなんらかの形で報いると約束しよう」

「ありがとうございます、中将。……一つ、お尋ねして宜しいですか?」

「なんだ?」

「いつ……なのでしょうか?」

「……7月7日の予定だ。タナバタ講和…という呼称で発表される」

「大衆が喜びそうですね」

「不平等な内容だ。オンライン取引きの恒久的非課税、ネット選挙システムの構築、WEBコンテンツのコピーライト保護の国際法規の整備……講和が聞いて呆れる。事実上の敗北宣言だよ。既に与野党ともに若い議員に働き掛けて、必死にV.I.P.sの取り込みに動いている。次の選挙は荒れに荒れて、我々古い世代の人間にとって……また古典的な芸能や文化にとって、厳しい時代が到来するだろう」「それでも……戦争は終わる。そうですね?」

「……その通りだ。数年のうちに『ピリレイスの地図』はV.I.P.sの色に染まる。新しい時代の始まりだ」

「今度は敗戦処理ですか……辛い戦いになりますね。少尉」

「我々の戦いは、常に辛いさ」

「高木少佐の件について、また君たち備管別の処遇について、近い内にこちらから連絡する」

「了解しました。ご足労、ありがとうございました」

「また会おう」


 福島中将が部下である少尉と軍曹に対し先に敬礼する!

 本来ならば官位が下の者が先に敬礼するのが礼儀であり、これは異例なことと言えた!

 慌てて返礼する少尉と軍曹に頬を緩めた中将は、踵を返すと備品管理部別室を静かに去って行った!


「ふう……偉い人と会うと緊張しますね」

「ああ」

「終戦かあ……なんか実感わかないですけど。少尉はどうなさるんです? 戦後」

「デコポンだ」

「……は?」

「小包に入ってた果物。夏みかんじゃない。デコポンっていう果物なんだよ。実家は熊本のデコポン農家なんだ」

「あ!……じゃあ端末の送り主は実家のお兄さん?」

「……君の想像に任せよう」

「じゃあ実家にお戻りに?」

「さあな……まだ先の事だ。ゆっくり考えるさ。軍曹こそどうする? まあ君なら再就職も楽だろうが」

「少尉がお決めになったのを聞いてから決めます」

「なんだそれは。小学生か? まあいい。この仕事からあぶれるとも限らんぞ。大きな戦いが終わったからと言っていきなり平和で静かな時代が来るわけじゃない。逆に多くの場合、その後に来るのは小さな内戦の時代だ。PCのリブートは?」

「イザナミ・イザナギのバックアップから再立ち上げすればいいんですよね?」

「いつの時点のゴーストを出せば良いかは分かるな?」

「昨日の深夜1時。ビデオで時間が分かりましたからね。高木少佐が毒を盛る直前のバックアップでしょ? 任せてください」

「タワー1、2を頼む。プライマリとセカンダリは私がやろう。無停電装置の再接続を忘れるな」

「了ー解っ」

「返事は短く!」

「了解!」



***



 暗闇に一台の車が止まっていた!

 顔が映るほど磨きこまれた黒塗りの国産高級車である!

 運転席の男は、スマートフォンで通話していた!

 

「……はい。……はい、申し訳ありません。今回は失敗です。……いえ、それは。……はい。……それは間違いなく。計画自体には支障ありません。いえ。……中将がこちら側とは奴らも気づいていません。……はい。新しき時代の為に。……分かりました……



 つづく!!!

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