第2章 『憧れと依存と』

第7話『琥珀と蓮 ②』

 れんはくにとって、あこがれの存在である。


3rdサードアルト、ねるところで音がこもりがち。もっとんで良いと思う。2ndセカンドテナーは特にソロ入りの音程ピツチ気をつけて。前のばんそうを良く聞いて、落ち着いて」


 蓮は、音大ビッグバンドジャズせんこう、1年生バンドのサックスパート、パートリーダーである。

 一方で、琥珀はパートの1stリードアルト、役割としてはメロディーラインだ。その琥珀にも、蓮はようしやない。


1stリードアルト、サックスソリの時、自分が引っ張ろうとしてリズムがくずれて周りを引きずってる。もっと視野を広くね」


最高のライブのための、綿密な練習。蓮はそれを先導しつつ、またバンド内で一歩引いた視点で調整役を買って出ている。その姿が、琥珀にとってはとてつもなくかがやかしく見える。


 昔から、琥珀は蓮に何かとたよることが多かった。プロを目指そうと思ったのも、蓮について行きたいがためだった。それが、他人からは『あまえている』ように見えることもあったようだ。

 そんな琥珀を、見捨てずにいてくれる存在が、蓮なのだ。


 琥珀は蓮のようにしっかり出来ないのだ。

 バンドリーダーとの打ち合わせ、パート内での指示。もちろんすべてがかんぺきというわけではないが、冷静な指示にはしんらいが集まる。

 蓮自身の個人練習での際も。


「……ここ、出しゃばりすぎるかな。もっとコンパクトに」


 げんばんの音源を聞きながら練習して、いかにも重そうなバリトンサックスをく。決して目立ちたがり屋ではなく、がたいアプローチを好む。アドリブは得意ではなく、いつもソロをめんに書き起こして演奏している。


「あ、琥珀。今晩はグラタンね」


 アパートでのすいがかりも基本的には蓮の役目だ。レシピ本に頼るものの、分量もきっちり取るのがかれらしい。バイトもしながらなので、夕食はおそくになってしまうが、琥珀はいつも満足そうに食べる。


 料理を琥珀がやろうとすると、油に火が付いたりと危なっかしくて、蓮は落ち着いてみていられないらしい。琥珀自身、それは分かっているし、自分自身の練習も蓮ほど効率よく出来ない。だから、量をこなしてようやく追いつこうとする。

 蓮において行かれないように。


 琥珀自身、無い物ねだりだということは分かっているのだ。それでも、蓮のようになりたいとあれこれためすが、蓮のようにはなれないのだ。


 蓮は、それを許してくれた。そのかんようささえ、うらやましいのだ。憧れというものは、そういうものだとも思い知らされた。それが、れつとうかんでもあるということも、うすうす分かってはいる。いつしよに居られるだけでぜいたくだと言うことも。親友から『共に居る仲』になった今では、なおさら。


「琥珀が居てくれるだけで良いのに」


 そう蓮は言ってくれる。もちろん、それはうれしい。それでも、蓮に追いつきたくて仕方が無いのだ。


「そんなわがままを言えるのも、琥珀だからこそなんだから」


 どんよくなのが琥珀の良いところだ、とも言ってくれる。たとえそれが蓮へのただのれんという感情だとしても。自分が満足したいだけで、蓮の気持ちは置き去りにしていることも分かってはいる。


あわてなくても、ぼくは琥珀のこと、待ってるから」


 蓮のその言葉さえもまぶしくて、ただ琥珀はだまってしまうのだ。


 無い物ねだりなところがあるから、琥珀は蓮に甘える。蓮がそれをいやがることは特にないが、それでいいのかと不安になることがある。もちろん、人前では節度を守る。

 特に目立つのが、アパートに帰ってきた時だ。


「琥珀、ひっついたってご飯はすぐには出ないよ」


 家族ゆえの甘えだろうか。感覚としてはそれが近いだろう。何となく、蓮には母性のようなものを感じるのだ。蓮が世話焼きな性格なのも相まって。


「下ごしらえ、手伝ってくれる?」


 蓮がエプロンをしながら言うと、琥珀は大人しくそれに従う。琥珀も、包丁のあつかいにはさすがに慣れてきた。


 とんとんとん、とみじん切りの音。

 じゅうううう、といたものの音。

 その間にも、あいのない話がわされる。時々練習の話になり、琥珀が苦い顔をする。そんな時も、蓮に悪気はないのだが。


 こんなささやかな時間が、琥珀にとって甘えられる時間だ。もうすぐ成人するので、ひかえようとは思っているのだが、読書中の蓮に寄りかかるなんてこともある。蓮は少しほほむと、それを受け入れる。


 一方で、蓮も全てが完璧な訳ではない。

 蓮は手堅いアプローチを好むが、その分、とつぜん行動を求められると、すぐに行動できないことがある。琥珀は、それを分かっているから、その時は助言や代わりに行動するなりしてサポートする。


「ああ、琥珀、わざわざごめんね」


 そう蓮があやまるが、『だいじようだよ』と琥珀も返す。だん甘えっぱなしの、恩返しのようなものだから、と。

 だからこそ、引け目をそこまで深刻に感じたことはない。これでようやく、自分自身が蓮のとなりに立てているような気がするからだ。


 蓮がやさしいからこそ、琥珀は恩返ししなければならないと思っている。蓮はそんなことはない、と言うが、そうでないとわないと思うくらい、琥珀にとって蓮は眩しく見える存在なのだ。そんな蓮と並んで見えるように、必死になる。


 それは、そんのようなものだと、自覚はしている。それでも、それだけ、琥珀にとって蓮は大切な存在なのだ。


 本人は無自覚だが、琥珀もただ蓮に引っ張られ続けている訳ではない。むしろ、蓮を引っ張ることさえあるのだ。


 例えば、夕方のこんだてを決めるとき。


「んー……」


 蓮が、スーパーの安売りのチラシとこうに見ながら、売り場の前でなやむこと数分。許可をもらって店内をふらふらしていた琥珀がもどってくると、手にレトルトの箱を持っていた。


「マーボーどう! これならどう?」

「あっ、いいね。ちょうど一丁100円切ってるし、それにしよう」


 例えば、大学の学年バンドでの練習中。


「今日のパート練習メニューは……」


 これもまた、サックスパートのパートリーダーとして、練習メニューを立てるのが日課なのだが、この日は難航していた。

 そこに、自主練をしていた琥珀がやってきた。


「蓮、昨日ダメ出しされたソリの集中トレーニングしたいんだけど、手始めに音階練習したい」

「あ、そうだね。じゃあ、そこをじくにして……」


 そんな風に、琥珀のさいな一言で、何かが決まることがある。

 琥珀は気づいていないが、蓮はそんな琥珀を信頼しているのだ。

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