ゆっくりと鎖は巻かれる④

 教室には徐々にクラスメイトが集まり始めていた。

机の横に鞄を置き、鞄から読みかけの小説を取り出した。

隣の席が気になる……小説をぱらぱらとめくってはいるが集中できない。


 彼女が登校してきたとて、こんな僕に「おはよう。」なんて声をかけてくれることは無いだろう。

いや、でも……もしかしたらなんて考えているうちに教室の外が騒がしくなってきた。

次第に大きな雑音となり、人だかりが教室に入ってきた。

その人だかりは僕の席の真隣りで止まった。


 するとほんの数秒前まで騒がしかった隣が、急に静かになった。

沈黙の中から「おはよう」と一言聞こえてきた。

まさかと思い恐る恐る声のした方へ顔を向けると、人だかりがこちらへ嫌悪ともとれる不思議そうな顔でこちらを見ていた。


「有馬君。おはよう。」

人だかりの中から僕に向けて挨拶を誰かがしてきた。

視界をかき分けて犯人を探した。そこには、声の主と思しき女子生徒が立っていた。


「有馬君聞こえてる?おはよう。」

鳴海さくらだった。


「え、あ、おはようございます。」

まさかの出来事にたどたどしくなってしまった。彼女は挨拶をして気が済んだのか納得した顔で席に座った。

僕と周囲は、今のやり取りに取り残されてしまっていた。


 午前中の授業は、音沙汰もなく無事終了した。授業の合間の休み時間に周囲を見渡すとさっきの人だかりの中にいたであろう生徒からの目線が少し痛かった。

 お昼の時間になれば、騒がしい教室ともおさらば出来る。僕は弁当をもって図書室の倉庫へ赴くのが毎日の日課だ。

友達と食べることはあるけれど、誘われなければ基本的には独りで静かに食べることになっている。


 図書室の倉庫は、図書委員か教員しか入れないし、生徒は全くと言っていいほど来る気配はない。まさにベストプレイスと言えるのだ。


 そんなことを考えながら意気揚々と倉庫に机といすを並べ弁当を広げた。

 今日は、卵焼きにピーマンの肉詰め、おかかのかかったご飯という有馬家定番メニューだった。

持ってきた読みかけの小説を片手に弁当を食そうとしたとき、倉庫の入り口から何やら人影が見えた。


「こんなところにいたんだ。探したのよ?」

そこに現れたのは、さっきまで人だかりの中心にいた鳴海さくらであった。


「急にいなくなるんだもん。話しかけられなかったじゃない。」

「ごめん。何か用事でもあったの?」

彼女は椅子を僕の弁当が広がっている机に寄せながら答えた。


「用事っていうか……それはもういいの。君とお弁当を食べたかったのよ。それなのに誘う暇もなく教室から出て行ってしまうのだもの。」

「ご、ごめん。」


 彼女はわざわざ僕と一緒にお弁当を食べるために探しに来てくれたのか。

「君はいつもここでお弁当を食べているの?」

「そうだよ。ここが落ち着くからね。」

「邪魔しちゃったかな?もしかして一人で食べたかったとか?」

「教室は少々騒がしいからね。お昼ぐらいは静かなところで食べたいんだ。」

「私は……邪魔かな?」

彼女に対しての皮肉に聞こえてしまったのか。


「じゃ、邪魔じゃない!……邪魔じゃ……ない。」

僕の上ずった声に彼女はクスッと笑顔を見せた。

「ありがと。昨日のお礼もあったからさ。」

「お礼?そんなのいいのに。結局傘は持っていたし。」


 彼女は弁当の包みを開き、食べ始めた。

「努力家って言ってくれたこと。ありがとう。うれしかった。」

そんなことでわざわざお礼を言いに来たのか。

「僕は思ったことを言っただけだよ。」

「それでもよ。今まで言われたことなんてなかったから……」


 彼女はどこか寂しそうな表情をしていた。と、思ったその時急に彼女が思い出したように「今朝、無視したよね?」と切り出してきた。

「朝?何の話?」

「交差点で呼んだじゃない。それなのに無視して行っちゃったの覚えていないの?」


あー……もしかしてあれか。交差点の人だかりの中から腕が一本出ていたやつ。

「ごめん。気づかなかったよ。」

「うそ。私が手挙げてたの気づいたでしょ」

隠し通せないと思った。


「鳴海さんだとは思わなかったんだよ。あんな人込みだったし」

「ほらやっぱり気づいてたんだ!」

彼女の圧力に椅子を後ろに引いてしまった。


「無理なんだ……喋りかけられるわけないじゃないか。」

「どうして?」

「だって君はいつも周りに誰かいる。学校中の人気者でみんなに期待されている。」


あぁ……僕は何を言っているんだ――――


「僕なんかとは生きる世界が違うんだよ。君がもし、あの時の言葉に感謝して僕に会いに来てくれても、それは気にすることじゃない。いつか僕じゃない誰かが言ってたよ。」


 期待を持ってしまう。それに僕は耐えられなかった。暗い孤独の世界にいる僕が明るい世界に干渉することはとても困難だ。

ましてやその相手が世界の中心だ。気が気じゃない。彼女は僕の嫌味な話を最後まで聞いてくれた。真剣に。僕の目を見て。

これで彼女は僕を敬遠してくれるだろう。暗い世界に来た少女は再び明るい世界へと帰っていくのだ。


「有馬君の言いたいことはわかった。」

よし。彼女は理解してくれたみたいだ。


「じゃあ。デートしよう!」


そう。そして僕の元から……

「え!?な、な、なんて言った?」


「デートだよ。デート!」


鳴海さくらは決め顔でそう言った――――

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