ゆっくりと鎖は巻かれる③
「ごめんなさい。長く引き留めてしまったようね。今日の話は、忘れてください。それじゃ……」そう彼女は言い残すと雨を遮る軒下から橋を踏み出そうとしていた。
――――体が無意識に反応するとはこういうことなのだろう。僕は右手に持った傘を彼女のほうへ突き出していた。
「雨に濡れると筋肉が冷えて固まってケガするよ。せっかく頑張っているのに。」
そういって彼女の手に傘を無理やり持たせ、「職員室に用があったの忘れてたから。」と校舎の中へ急いで向かった。
どうして走り去らなかったのだろうと去り際に後悔した。こんな展開一生に一度の展開であろうに、お約束の雨に濡れながらダッシュで帰宅することができなかった。
幸いにもまだ最終下校時間まで少し時間があったので図書館へ出戻り、心を落ち着かせることにした。
読みかけだった小説を手に取り、読んだ内容を復習する。そして続きを読み始めた。
さっきは突然なことで驚いたな。まさか鳴海さくらにあんな一面があったとは意外だった。
普段静かだったのは周りの雑音に耐えていたからなのだろうか。
気づけば彼女のことで頭が埋まってしまっていた。僕と彼女は縁遠かったはずだ。ただ、席が隣なだけ。
そう言い聞かせて彼女のことは、言われた通り忘れることにした。
最終下校時間になり、図書室を後にした。
昇降口に向かい軒下からどんよりした雲と先ほどよりも強く地面を打ち付ける雨に気分を落ち込ませていた。
そういえば傘を渡してしまったんだった。いよいよ雨に降られながら帰らなくてはならなくなった。
そう覚悟を決めたとき、前方より赤い傘が僕のほうへ近づいてきた。
「やっと見つけました。」
赤い傘からのぞいた顔は、鳴海さくらだった。
「先ほどは、傘をお貸しいただいてありがとうございました。傘がないと帰れないと思いまして、少し待たせてもらいました。」
わざわざ待ってくれていたのか。というか自分の傘持っていたのね……なんだか恥ずかしくなってきたな。
「有馬君。ものは相談なのですが……一緒に帰りませんか?」
はい?
帰りは少し雨が弱まっていた。学校からの帰り道に二つ横に並んだ傘は、小さく雨粒を弾く音だけが聴こえていた。
なんて話しかけていいかわからない……女の子だぞ?あの鳴海さくらだぞ?もうどうにかなってしまいそうだ。
「どうかしました?」
隣の傘から声がした。
「あ、いや……」
「曖昧だと気になります。はっきり言ったらどうなんですか?」
いやいや……一言話すだけでもこっちは勇気がいるんだよ!
よし!言うぞ?言うぞ?言っちゃうからな!?
――――よし!
「鳴海さん……敬語……辞めない?」
――――さっきまで僕の隣には鳴海さくらが歩いていた。常軌を逸した状況に戸惑いを隠せなかったのが情けない。
下校中彼女との会話した内容は、全く覚えていなかった。といっても彼女が一方的に語りかけていただけなのだが……敬語を辞めてくれたのは功績として挙げられよう。
彼女とは、彼女の家の前で別れた。さすがに男として送っていかないわけにもいかなくなったので、自宅まで送ってから帰路についた。
学校の同級生に見つからないように細心の注意を払って帰ってきたから、明日からの学校生活は安泰だろう。彼女のほうからも、特に話しかけられることがなければそのまま昨日あった事実は霧の中に消えていくことだろう。
そう願って僕の新学期初日は終わりを告げた。
今朝は体が重く気分も沈んでいた。昨日の思いもよらぬ出来事が僕の心身を疲弊させていたのだ。日課のランニングも数年ぶりにサボってしまった。
部屋のカーテンを開けると昨日の雨が嘘のように空は青く、寝起きの僕には痛々しい日光が差し込んできた。
日差しから隠れるように羽毛布団をかぶり、体を徐々に起こしていく。
体を起こすまでに相当な時間を有してしまったため、朝食は簡単なシリアルで済ませ学校へ行く支度を始めた。
雨上がりの道を春のそよ風とともに学校へ向かっていると、交差点に人だかりがあった。
何かあったのかな?そう思ったが、さすがに今日の気分であそこに交わるのことはできなかった。
交差点の手前で右の小道に入り人だかりを回避しようとしたとき、横目で見ていた人だかりの中心から手が挙がっていた。その手は、僕のいる道のほうへ左右に何度も振っていた。
そのままルートを変え、なんなく学校へ到着することができた。下駄箱で部活の朝練終わりの雅彦と出会った。
「よっ!どうした?顔色わるいぞ?」
「ああ。昨日ちょっと寝付けなくてな。大丈夫、授業中寝るから。」
雅彦は少しあきれた笑みを浮かべ
「堂々サボり宣言かよ。いいご身分だなぁ」
雅彦は少々授業の成績が悪かった。まあそれも部活で忙しかったり、単に勉強が逃げてということもあるんだが。
僕らは、教室に入りそれぞれの席に着いた。
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