慌ただしい一日⑦
「おじゃまします。へえー結構片付いているじゃない。もっとだらしないのかと思っていたわ。」
入ってすぐの感想がそれか。彼女は部屋の隅に来ていたコートと荷物を置いた。彼女の持ち物は、肩から下げる財布と携帯が入るほどのエメラルドグリーンのポシェットといやでも目立つ大きさの黒い旅行鞄があった。
「そういえば、念のために聞くんだけどそのでかい鞄は何入っているの?」
「何って……着替えやらなんやらいろいろ入っているけれど、それがどうかしたの?」
しばらくこっちにいるつもりなのだろうか。僕は帰り際購入したおつまみとビールを冷蔵庫に入れながら彼女にさりげなく聞いてみた。
「ちょうどいい機会だし今日からこっちに住み始めようと思ったのよ。」
「ふーん。」
仕事で都内にでも住むのかね。
ん? ちょうどいい機会? ――その言葉の真意をこちらから聞くまでもなく彼女は即答した。
「今日からお世話になります。」
――――え?
無意識に手から缶ビールが離れていった。フローリングに鈍い落下音が鳴り響いた。
「い、今なんておっしゃいました?僕の家に……なんだって?」
「住むのよ。」
「念のために聞くんですけど…いつまで?」
彼女はまるで躊躇など一切なく即答する。
「ずっとよ。死ぬまで一緒に。」
普段ある程度のことならば感情をあらわにしない姿勢を貫いてきた僕だが、さすがにこれは限度を越えていた。
「ど、どうしてそんな急に……いつの間にそんなことに!?」
動揺が隠せなかった。鳴海さくらは一体何を考えているんだろう。僕には彼女とそんな仲になる資格はない。それは彼女も重々承知なはずだろう。色んな思考が交差する中、彼女は僕の目から視線を逸らすことなく話を続けた。
「私は、有馬君と一緒にいたいと思っています。私は、あの出来事のおかげで有馬君という大切な男の子ができました。有馬君があの事件のせいで学校にいられなくなったことも承知しています。有馬君にとってあの出来事は……あの事件は決して癒えることのない深い傷を刻んでしまった事だとも承知してます。でも……私は……」
言うな。言うな。言うな。言うな。言うな。言わないでくれ――――
そんなこと言われる筋合いはない。僕はあの時、自分の正しい思ったことをやっただけだ。それにうそはない。それに……結果はどうであれ僕は、彼女を……鳴海さくらを傷つけたのだ。一生消えることのない大きな傷とともに。
そんな彼女からは非難の言葉を浴びる方が一番合っている。
やめてくれ……彼女の言葉を遮ろうと言葉が喉から出かかったとき、
ぐぅ~………
「あ、ご……ごめん。そういえば夕飯食べてなかったんだ。」
場の空気とは裏腹に身体は正直なものだ。
「とりあえずその話は後にして、ご飯でも食べない?」
「はい……そうしましょうか。」
彼女は今までの真剣な表情から一転、安堵した柔らかな表情へと変わっていた。
夕飯は彼女が作ってくれた。すでに日付を超えており、お互い明日は仕事なので軽めのものをと冷蔵庫の食材を使って、もやしと白菜の野菜炒めと豚の生姜焼きを作ってくれた。僕はその最中、彼女用のビールをコンビニまで買いに行っていた。
気持ちの整理というか、場面の整理をしておきたかったこともあり、少しゆっくり気味で歩いて帰ることした。
家のドアを閉めると彼女が部屋から顔を出して「おかえりなさい。」と笑顔を見せてくれた。おかえりなさいなんて何年ぶりに行ってもらえただろう……。
そんなことを思いながら彼女の待つ洋室へ足を運んだ。
出来上がった料理は、とてもおいしかった。きっと彼女は普段から料理をしているのだろう。包丁さばきも手馴れていたし、料理後のキッチンもきれいに片付いていた。
そういえば高校生の時、実家は共働きで家事は妹と分担していると言っていたな。
数年ぶりの鳴海さくらとの時間に緊張しているのか、今日はお酒が進む。彼女と同じタイミングで飲み始めた缶ビールがものの数分で開いてしまった。その後家にあるウイスキーやワインといったお酒を次々に飲んでいき、とうとうおつまみがなくなってきたころで僕は酔って眠りについてしまった
僕は彼女から逃げるように引っ越した。それは彼女のためでもあったはずだ……それでも彼女は僕の前に再び現れた。たぶん僕は彼女が望むことを知っている。――本当は僕も望んでいることなんだ。けれど僕にはその自信がない……いやそもそもその資格はない。
明日以降、彼女が僕に対してどのようなことをしてきても、気持ちを打ち明けるようなことがあってもあの時の決心を変えてはいけない。その決心は僕の心を鎖のように縛っている。
その鎖の錠は決して解けることなんてないのだから――――
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