Beggar and a little girl(原作:歌田うた)
その男が、母さんを買った。
母さんには、もれなく私もついてきた。
買ったと言うと、人聞きが悪いわね。一般的に言うのなら、父さんと離婚した母さんが、その男と再婚した。
わたしと母さんにはお金が必要で、その男にはお金があった。
確かにそのおかげで、すきま風が入ってくるぼろいアパートで、母さんと二人寒さに耐えながら暮らす必要は無くなった。
美味しいものを食べて、暖かい布団で寝て、綺麗な服を着られるのも、その男のおかげ。
けれど、その男が欲しかったのは、母さんだけ。わたしなんておまけはいらなかったの。
その男には、お金が沢山あったから、わたしから母さんと二人きりになるための時間を買った。
要は、「これで遊んできなさい」そうお金を渡して、しばらくの間わたしを家から追い出した。
最初はね、楽しかった。母さんと一緒なら止められそうなものを食べて、おもちゃを買って。
でもね、何度も続くと飽きちゃった。寒い外に追い出されるってのもね。
かといって、売らない選択肢はなかった。だって、それならもういらないと、わたしも母さんも捨てられたらどうするの。
どうやって時間をつぶそうかと考えながら、駅前を歩いていて、その人を見つけたの。
ぼろぼろの格好で、少し前に銀色のボウルを置いて、どこかを見ていた。
ちらっとその人を見る人はいるけれど、すぐに視線をそらして、何もなかったかのように通り過ぎていく。
この人の時間なら、わたしにも買えるんじゃ、そう思った。
五百円玉をボウルに投げ入れた。カシャン、シュルルン。音を立てて、五百円玉はそのボウルに落ち着いた。
「おじさん、何をしているの?」
呼び掛けても応えない。こちらを見ようともしない。
何度か呼び掛けてみたけれど、変わらない。つまらない。
私はそうそうに飽きて、別の暇つぶしを探すことにした。
次の日も、わたしは時間を売った。
そう言えば、あの人はどうしたのかと、駅前に行ってみれば、昨日と同じようにしていた。ボウルは空になっていた。
きっと、昨日は金額が少なかったのよ。そう思って、今度は千円札を入れた。
「おじさん、何をしているの?」
ようやく、こちらを向いた。なんだ、やっぱり昨日は安かったのね。
せっかく、ちょっとくらい話ができるかと思ったのに、駅から人が来て、おじさんを追い払う。わたしの邪魔をしないでよ。
その様子をじっと見ていたら、駅員さんがわたしに気付いて、声を掛けてきた。
「大丈夫? 何か言われたの?」
「何も言われてません」
むしろ、何も喋ってくれなかったのよ。
「おうちの人は?」
「家に居ます」
「それじゃあ、おうちに帰りなさい。心配するよ」
心配なんかしていない。うーん、母さんはちょっとしてるかも。でも、家に帰るわけにはいかないのよ、まだ。
この人に言ったって、わからないのでしょうけど。
おじさんはどこかに連れて行かれたけれど、銀色のボウルは残ったまま。せっかくわたしが、千円あげたのに。
ボウルを持って、追いかける。
少し探したけれど、ベンチに座っているおじさんを発見した。
「おじさん、忘れ物」
千円札の入ったボウルを差し出す。
おじさんは、千円札を見たけれど、他は動かない。お金が欲しかったんじゃないの?
「ほら、おじさんのでしょ」
冷え切ったボウルを差し出す。
おじさんは手を出して受け取らないから、膝の上に置いた。
ボウルの上に雪が落ちる。積もって、遊べるかな。
雪を見たら、寒く感じてきた。
「ねえ、おじさん。雪だよ。おうちに帰ろうよ」
おじさんは、ボウルを持って立ち上がると、何も言わず、歩き始めた。
わたしはまだ帰るわけにはいかないし、おじさんがどうするのか気になったから、付いていくことにした。
おじさんは、コンビニに入っていった。
千円あるんだもの、寒いし、ちょっと温かい物でも食べればいいわ。
そう思ったけど、コンビニから出てきたおじさんは、食べ物を持っていなかった。持っていたのは傘が一本だけ。
ビニールの安っぽいのではなく、もうちょっといいやつ。
雪が降っているし、うーん、無い選択ではないのかな。
おじさんは、こっちに歩いてきて、せっかく買った傘を差し出す。
「雪が降ってる」
あれ? 実は思っていたほどおじさんではないのかも。
「おじさんが使いなよ。おじさんが買った傘でしょ」
別に、必要ならわたしは自分で買うわよ。もっとカワイイやつ。
「どうして?」
尋ねたけれど、応えはない。
おじさんは、傘を差しだしたまま動かない。
仕方が無いから、受け取った。受け取って、そのままはないでしょう? 雪が降っているんだもの。
わたしは留め具を外して、傘を差す。
おじさんは、そんなわたしを待ってはいなかった。
傘から視線を外し、おじさんを探せば、路地を曲がる所だった。
慌てて追いかける。
おじさんが入っていった路地まで辿り着いた時、その路地におじさんの姿はもうなかった。
ここだと思ったけど、間違えたかな。
しばらく探してみたけれど、結局、おじさんを見つけることはできなかった。
雪も、本格的に降ってきた。
そろそろ、家に帰ってもいいかな。
傘をクルクル回しながら、家へと向かう。帰りたいけど、帰りたくない。
あのおじさんは、どうしてわたしに傘を買おうと思ったのかな?
わたしの方が、おじさんより良い物を着ているのに。
そんなことを考えながら歩いていると、救急車とパトカーがサイレンを鳴らして通り過ぎていった。
どっかで、交通事故でもあったのかな。別に珍しいことではない。
数日後、再び時間を売ったわたしは、おじさんがいるかと思って、駅へ行ってみた。
わたしの傘を見せて、この前の傘を返そうかと思ったのだ。
あの場所におじさんの姿はなくて、駅の近くを探して、もう一度戻ったけれど、やっぱりいなくて。
どうしようかと思っている所に、この前おじさんを追い出した人を発見した。
「ねえ、あの人、今日はいないの?」
「あの人?」
そうね、それだけじゃわからないわね。
「あそこで、銀のボウルを置いて、膝立ちになってた人。この前、追い出していたでしょ」
「ああ、あの人ね。亡くなったんだ。えっと、この前の雪の日だったかな、警察がここにもやってきて」
そこまで言って、しまったと口元を押さえる。
「警察が来たの?」
「自殺したらしいんだ。ビルから飛び降りて。その前にいたのがここらしくて、変わったとこはなかったかと」
「そう」
そう、死んじゃったんだ。
「お嬢ちゃんの、知ってる人?」
「ううん、知らない人」
たまたま見かけただけの人。
今日は何して時間をつぶそうかしら。
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原文:https://kakuyomu.jp/works/1177354054885346464/episodes/1177354054885346470
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