第25話 絶対~ユキ
バイトが終わり、お先に失礼します。と頭を下げて店を出た。ソウタは他の店員に紛れて、あたしに片手を上げると棚に視線を戻しDVDを並べていた。今日は早退するつもりはないらしい。
この前、あんな目にあったせいか一人で歩くのは少し勇気がいる。
ハヤマはあの日以来バイトに来ていなかった。店長から辞めたと聞いた。電話で一方的に辞めると言ってきたらしく、非常識だ。と店長がぶつぶつ周りに文句を零していた。あたしとの一件が辞める理由の一つなんだろうけど、あの性格のハヤマがあれくらいの事をしただけで辞めるのは予想外だった。
きっと他の店で可愛い子でも見つけて、そこで働いているに決まっている。単純馬鹿はそういう頭でしか行動しない気がする。ハヤマだけじゃなくて男は大抵、そんな思考回路で動く単細胞に見える。
ソウタも単純な性格だ。分かりやすくて、その上いつもどこか抜けている。ハヤマと違う所は無理矢理女の子を誘ったりはしない。夜景を見に行く話だって、あたしから誘ったようなものだ。
人通りが多い道を選んで歩く。店が並び、他人の会話が空気中に散らばり、雑音が煙のように漂う。雑貨屋、眼鏡屋、銀行を通り過ぎ、服屋が視界の真ん中に映る。自然と足がその店に向かった。夜景を見る時に羽織る可愛い上着を持っていない事を思い出した。
白塗りで飾られた店の入り口に入る。聞いた事のない洋楽のBGMと女性店員の明るい「いらっしゃいませ」の声が頬を撫でていく。値札とデザインを交互に確認しながら、歩き、服を取り、全身鏡の前に立ち、何をしているんだろう。と自分に問い掛ける。
夜景を見に行く事に深い考えはなかった。
今、ソウタとの会話を頭で再生しても本当に期待とか願望とか、そういう感情で誘ったわけではなかった。何となく。その場の流れ。そんな程度の気持ちだ。他の人格に相談もしないで勝手に約束した事には少し悪いとは思っている。形が分からない歯触りの悪い気持ちは罪悪感に似ていて鎖のように、あたしに絡みついている。
いや、違う。
頭を振る。店員が不思議そうに見ているのが分かった。
違う。そうじゃない。
あたしが本当に思っているのはそんな事じゃない。
二人組の客が入ってきて店員の目がそちらに向いた。恋人同士らしく手を繋いだまま服を選んでいる。悩みや問題なんて何もなさそうな穏やかな表情をしている。いいな。と思う。あたしにも、ああいう表情が自然にできる日が来るだろうか。
答えは分かってる。永遠に来ない。透明な空気をノドから出した。
あたしは本物じゃない。人格だ。
アヤの代わりに生きている偽物。アヤの顔をしているアヤじゃないアヤ。それなのに。こんな、あたしなのに。ソウタは距離を置かないでいてくれる。それどころかアイラが出てきた時も逃げないで対応してくれた。感謝しなくちゃいけない。普通はそんな事してくれない。ありがとう。そう思っている。本当は、たぶん。あたしは――。
手に取った服を戻す。店を出ようと思った。
無理だ。唇を強く噛む。
あたしは人格だ。それは絶対に変えられない現実。いつか統合する日が来て、アヤが生活出来る日が来たら、あたしは消えてしまう。だから、あたしには無理だ。人を想ってはいけない。
ユキと呼ばないで。そうソウタに言ったのもきっと、無意識に自分を抑える為だったのだと今更思う。
店の出口に向かう。扉の脇に置いてある上着と目が合い、足が止まった。落ち着いたデザインが可愛かった。人気商品と書いたプラカードがぶら下げてある。値段を一応見ると少々高い。
店員があたしに足早に近付いて来て「これ可愛いですよね」と話し掛けてくる。
「ええ、はい」
遠慮がちに返事をする。
「よろしければ試着なさいます?」
「いえ、もうちょっと他のも見てから」
「お客様なら、絶対に似合いますよ」
遠慮のない距離に困る。
「こちらでしたら普段用にもデート用にも使えますよ」
「え?」
馴れ馴れしい話し方に戸惑ってしまう。店員はイタズラっぽい笑みを浮かべ
「それにお客様の雰囲気にぴったりですよ。保証します」
「はぁ。でも」
「絶対、お客様に似合いますよ」
自信満々な口調と、絶対に。という言葉にあたしは揺さぶられた。そのままサイズを確認して試着し、買ってしまった。「ありがとうございました」を背中に受けながら店を出て、あたしは何で流されやすいんだろ。と手に持った紙袋を眺める。
もし夜景の時にソウタが褒めなかったらあの店員のせいにしよう。
両手で紙袋を持ち直し、家に向かう。
無意識にソウタと夜景を見ている光景を妄想してしまう。足取りが軽かった。本当にあたしは単純で流されやすくて……馬鹿な人格だ。
あたしの横に一台の車が止まり、窓が開いた。
僕が好きな人は複数らしく、そして誰の姿も見た事がない~ミルフィーユ~ 笹原いな @sasaharaina
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