第23話  エメラルド~ホタル


 ドアを叩く。「はーい」と元気の良い挨拶が聞こえドアが開く。ドアの隙間からアイラの顔が覗いた。

 起きたばかりなのか眠そうに瞼を擦っている。「起こしましたか?」と尋ねると「女は睡眠が大事なんだよ、ホタルは年寄りだから諦めているだろうけど」半目に近い目つきで訴えてきた。

「まだ私は二十歳です」

「アイラは三歳だよ」

「知ってます」

「アイラからしたらホタルは、おばさんだよ」

「悲しい代名詞を付けないでください」

 入りますよ。と断り、アイラの部屋に入る。ベッドにも床にも大量のぬいぐるみが散らばっている。ヒツジやウサギ等の可愛らしい動物がモチーフになっている、ぬいぐるみが多い。

「たまには片付けるのも大事ですよ」

「三歳だから片付けられないの」

 アイラが両方の頬を膨らます。はいはい。と私は雪崩が起きた後のようなぬいぐるみ達を大雑把に片付け始める。

 私達、人格は年齢が同じではない。

 私は二十歳で、アイラは三歳。私達はアヤが内界を作った時に産まれ、そこからアイラは歳を取らず同じ外見のまま内界で過ごしている。私は産まれたばかりの頃は七歳くらいだった。何故、私がアヤの体の年齢より高い歳で産まれたのか確信はない。恐らく保護人格という役割上、思考、発言力を考慮してこの歳になったのだと自分で勝手に思っている。アヤより冷静に客観的に判断出来なければ役割を担えない。そういう理由でもあるのだろう。

 一方でユキは内界でも歳を取り外見を変えている。

 アヤの体が成長する速度と一緒だ。歳もアヤと同じように重ねてきている。生活担当だからだと思う。仮にユキが幼児や小学生の人格だとしたら高校生活に馴染めるはずがない。

 人格の年齢の仕組みを言っているが、ここは内界。想いの世界だ。

 絶対的な理由はないし、一年が経つと一歳増えるという訳でもない。私も何度か眠りから覚めているが、その度に歳が増えている訳ではない。数年経っているのに歳を取っていない時もあれば、一気に歳が増えている時もある。また、人格によっては正確な年齢が分からず自分の外見から何となく年齢を予想している場合もある。原理は不明だ。そもそも精神世界に決まり事などないのかも知れない。

 ぬいぐるみ達を部屋の端に積み上げ、テーブルの前の椅子に腰かける。アイラも子供用の椅子を引っ張り出し、私の前に座った。

「アイラ、聞きたい事があります」

「ホタル、片付けてくれてありがとう」

 バランスの崩れたお辞儀をされ「いえいえ」と手を振り「でもこれからは、片付けは忘れないで下さいね」と念を押す。

「三歳なのにやらせるの?」

 アイラがタコのように口を突き出す。

「三歳なら出来ますよ」

「嫌だ」

「アイラなら出来ますよ」

「ホタルの鬼」

「そんな事よりも」

「ホタルの悪魔。鬼婆。祖母。ばあさん。老婆」

「後半、お婆さんの呼び方しか出てきませんでしたが」

「んじゃ、爺さん」

「私は男ではありません」

「んじゃ、おばさん」

「私の心をこれ以上、抉らないで下さい」

「……えぐる?」

「傷付けるという意味です」

 アイラが感心したように何度か頷く。

「ホタルは頭が良いね」

「ありがとうございます」

「ホタルを誉めたアイラは偉い?」

「偉いですよ」

 アイラのペースに巻き込まれている事に今更ながら気付く。咳払いを一つする。

「なぜ、ソウタ君の前に出てきました?」

 アイラが首を傾ける。

「なぜって。特別な人だからだよ」

 常識だと言いたげな口調。

「特別……ですか」

「アイラを助けに来てくれたから。ソウタは特別だよ」

「男の人が怖かったのではないですか?」

「そうだよ」

 アイラが胸を張る。あたしの質問に何かを思い出したのか、アイラの腕の内出血の色が濃くなり赤みが増した。

「でもソウタは何か怖くないんだよ」

「そうですか」

 珍しいですね――と言おうとし止めた。確かにあの少年は真面目なようで頼りない印象があった。

 アヤが好きなのは分かるがハッキリと決められない。いざという時の行動力は認めるが、それ以外は男らしくない部分も目につく。アイラが持った印象もそれに近いのかも知れない。

「ですが外に出る担当はユキがやっていますので」

「ソウタとケーキ食べる約束したんだよ」

「え?」

「アイラがソウタとケーキを食べるんだよ」

「……ケーキですか」

「うん」

 アイラの目が輝いている。

「ソウタは良い男だからね。アイラとケーキを食べるんだって」

 アイラが前のめりになって私を見つめる。姿勢が崩れ、椅子から転びそうにならないか心配してしまう。

「それは……良かったですね」

 相槌を打った後に本当にそうか? と疑問が浮かぶ。

 アイラにとっては良い事で、男へのトラウマを軽減させるチャンスにもなっている。では相手のソウタ君にとっては良い事なのか。単に負担を増やしているだけに思える。この流れでいいのか。負担は疲れになり、否定に繋がる可能性がある。信頼は絶望に変わる危険がある。

「アイラ」

「何? ホタばあ」

「妖怪みたいな名前は止めて下さい」

「ホタル鬼婆さんの略だよ」

「略さなくても妖怪に聞こえます」

「ホタばあ、可愛い名前だよ?」

「ソウタ君はアイラにとって特別な人なんですよね?」

 改めての確認にアイラが迷わず頷く。

「そうだよ」

「でしたらケーキをソウタ君と食べる時は、アイラと二人きりになるように協力します」

「本当?」

「ええ。その時は他の人格は外に出しません。その代わりアイラも普段は外に出るのを遠慮して欲しいのです」

「どうして?」

 アイラが頬を膨らまし、口を突き出す。

「たまにしか会わない方が、ソウタ君もアイラの事を意識するかも知れません」

「おお」とアイラが顔を輝かせた。「大人の駆け引きというやつだね」と子供用の椅子を大きく揺らした。

「特別さが増すかも知れません」

「ホタルは凄いね。テクニシャンだね」

「いえいえ」と否定する。どこで、そういう単語を覚えてくるのか。苦笑いになる。「ではお願いしますね」立ち上がり、アイラの「はーい」と分かっているのか不安になる返事を背中で聞きながら部屋を出る。

 ドアが等間隔に並んだ広い廊下に出る。自分の部屋の方向へ足を向け、良い傾向だと一人で微かに頷く。トラウマを持ったアイラが他人に心を開き始めている。しかもトラウマの原因を作った同性である男に。アイラとの会話から喜びや甘えが跳ねまわり、歳に似合った陽気さが表情を飾っている。

 このままだと統合できるかも知れない。

 まだ起きて来ない人格達の部屋を幾つも通り過ぎる。

 統合とは文字通り一つになる事。合体するという意味合いとは若干違うが、人格同士の知識や経験が共有される。もちろんそこには人格が持ったトラウマも含まれる。多重人格を治すには人格同士の統合を繰り返し、最終的に本体のアヤと全人格が統合しなければならないが、私はそれが不可能に近いと思っていた。

 仮に無理矢理統合したとしても人格は何かの拍子で分離。つまり統合する前の状態になる確率が高く、統合を維持するには人格の気持ちが安定しないといけない。トラウマを持っている人格が安定するには外部の人間の協力が必要不可欠で、今まで統合を試みなかったのもそこに原因がある。

 他人に私達を理解してもらわないといけない。高いハードルだ。私の役割はアヤの体を守るのが最優先で多重人格を治す事ではない。人格が落ち着き、普通の生活が問題なく送れているのであれば、私達人格がこのままの状態で生活するのも一つのゴールだ。

 ただ、この体の持ち主はアヤだ。この事実は絶対だ。いつまでも私達がアヤの代わりにいるのはアヤが生きているという事にならない。人格の負担も大きい。

 あの時――。

 ソウタ君にアヤの説明をした時ソウタ君は驚き、混乱していた。あの後ソウタ君は、信じるという結論を出した。疑い、飲み込むのに時間がかかったはずなのに、ソウタ君は一人で決めた。

 自分の部屋のドアを開ける。

 エメラルド色の壁が目に入り、そのままベッドの上に身を投げた。

 エメラルドの石言葉は幸運、安定。昔の医術では解毒に用いられ、万能薬扱いされた。

 部屋の壁をこの色にしたのは好きな色だったから。それだけの理由なのだが無意識にそういう願望があったのかも知れない。

「安定――か」

 一人、横になったまま天井へ手を伸ばす。うまくいく可能性もある。同時に悪化する可能性もある。成功を考えるなら失敗も考えなくてはならない。ソウタ君という影響がこれから、どう響くか。

 ソウタ君に説明した時に、信じなくてもいい。と言ったはずなのに私は感情の奥底で期待していた。

 伸ばしていた手を広げ、握る。何も掴めなかった手は、固く握られたままベッドに落ちた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る